第20話 フライドポテトと随筆
私の母は教育熱心だった。
私は、中学受験することを前提として勉強していた。私は、それが特別なことと考えずに受け入れていた。毛筆の練習よりもよっぽど五教科の勉強をしているのが楽だった。
大学進学校の中学入学試験は、小学校の授業だけでは対応できない。教科書の問題が素直に出題されないからだ。そこで、塾にも通ったし、短期間だったけれども家庭教師もついた。
中学入試なんてものは、方程式とか高度な道具を使えないから、大人でも解けそうで解けない問題が多い。年齢算とかニュートン算、鶴亀算、算数だけでも数学ではなくパズルのノリだ。
家庭教師として自宅に現れた先生は、若い男性だった。20代後半から30歳そこそこ。昼間の本職が終わった後のバイト感覚だったのか。週一くらいの頻度だったと思う。
時折、フライドポテトをお土産に持ってきてくることがあった。
当時、オシャレな食べ物の一つだった。
車で三〇分くらいかけて、私の自宅に来る途中に馴染みのお店に立ち寄るのだ。表面はカリッと揚がって中がホクホク。塩を効かせた細身のポテトだった。
テーブルに紙を敷いて、頂いたフライドポテトを広げ、兄弟で食べる。
何か飲み物も飲んでいたのかも知れないが、思い出せない。
先生の帰り際に、また買ってきてね、とおねだりしたことは覚えている。
ある日、一冊の本を持ってきた。
團伊玖磨の随筆「パイプのけむり」という本だった。
小学生には難しいかもしれないけど・・・と言いつつ、手渡してくれた。
自分が読むために持っていたのだろう。
私が本が好きだと聞いていたから、特に考えもなく、私に手渡して見せてくれただけ、だったのかもしれない。
子供向けの偉人伝記や名作シリーズのような本とは違っていた。小さい文庫本には難しい字がびっしりと並んでいた。とは言え、大人でも難読なものにはルビが振ってあったから読むのに苦労はしなかった。
團伊玖磨の綴る言葉の響き。
音楽家の感性と大人の世界を垣間見た気がした。もちろん、小学生にパイプの紫煙を燻らす筆者を理解できていたなんては思えない。
それでも、実感を持って大人の思考に触れた気がした。
私が一冊読んだら、次の一冊を持ってきてくれた。
随筆が好きになったのは、それからだ。
続巻が出るたびに買った。先生に貸してもらった初期の巻は古本屋で集めることになる。
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