第15話 山猫と太陽
小学校の教室には、頻繁に「てまぜをしない」という
図画の時間。
授業の内容は、宮沢賢治の「注文の多い料理店」の本を読んで、気に入ったシーンを描くこと。まずは、本を読んで描きたいシーンを選ぶ。私は「どんぐりと山猫」から、山猫が一郎の助言を聞いてどんぐりに言い分を申し渡すシーンを選んだ。
それは『
山猫はなるほどというふうにうなずいて、それからいかにも気取って、繻子のきものの胸えりを開いて、黄いろの陣羽織をちょっと出してどんぐりどもに申しわたしました。
「よろしい。しずかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」
』と、こんな具合だ。
どんぐり達からすれば、大きな山猫は見上げるほどある。山猫が申し渡した時、小さなどんぐりたちは山猫を見上げただろう。きっと、その時、天上にある陽の光も山猫の精一杯の虚勢を助けてくれたのではないか。
そこで、立派なヒゲを持った、大きな山猫を中央に、空には強く輝く太陽を描いた。
担任は体育が好きな若い先生だった。
描き終わった絵を見せると、良く描けているけれども太陽が駄目だ、と言い、筆を取って強く輝く太陽をぼかし始めた。
私は、びっくりした。
いや、太陽は大事なんだ、と。
先生は、山猫が目立たないとか、そういうことを私に言った。途中まで筆を入れて、そのまま私に筆を渡した。私は、太陽を描いた部分がぼんやりとなるまで、塗り続けた。
結果として県展か何かで特選に選ばれた。
輝く太陽があった方がもっといい絵になったのに・・・。私は喜べなかった。
運動が得意でもない私は、体育が好きな先生を好きになれなかった。だから、喜べなかったのか、それとも、大人のやり方に流された自分が嫌だったのか。未だに分からない。
絵を書いているときは、いつでもすごく自由だった。
だが、完全に自由になることなんてないんだ、と息苦しさを覚えたのが、その時だった、と、私はときどき思うのです。
引用:青空文庫「注文の多い料理店」宮沢賢治著より「どんぐりと山猫」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43752_17657.html
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