第35話:再会は戦場で⑨

 間に合った。シンヤは仮面の中で安堵のため息をこぼす。そして地面にへたり込んでいる最愛の人に視線を向ける。十年ぶりに再会した彼女は呆けた表情を浮かべていた。仮面越しだから無理もない。


「な、どうして……あなたが、ここに?持ち場はどうしたのですか!?」


「決まっているだろう?貴方を一人で戦わせないため。貴方をこんなところで死なせないためだ」


 十年ぶりの会話。しかしその喜びを噛みしめて感慨にふける猶予を与えてくれるほど敵は優しくなかった。その無粋な行為に舌打ちせずにはいられない。


 サラティナの前に立ち、必殺の断罪の一撃を右手に握った刀で受け止める。そして空いた左手の蒼刀で薙ぎ払うと山羊頭は図体に似合わず俊敏な動きでこれを回避した。


「ふむ。我の一撃を容易く受けとめるか。貴様……何者だ?」


「黙れよ、山羊頭。俺が誰かなんて、ここで死ぬお前には関係ないことだ」


 師匠の下を離れ、中央選都に来てからもう何度目かになる質問に辟易とした。それにせっかくの逢瀬の邪魔をした貴様は絶対に赦さない。と心中で付け加えた。


「なるほど、勇猛な騎士かと思うたガ、その実は敵の力量を正しく測れない愚か者の類か。ならばここで死ね。愚者と語る剣はない」


 山羊頭は大太刀を腰だめに構えて豪風を発生させるほどの勢いで横一閃に振り切った。


 大振り故に回避することは容易いが、そうすれば背後にいるサラティナに被害が及ぶ。それを避けるには受け止めるしかないのだが、二度目はないとばかりに放たれた一撃は必殺のための膂力が惜しげもなく込められている為強力無比に他ならない。


 なら、真っ向から受けて立つしかない。


 ―――星斂闘氣(せいれんとうき)・総集(そうしゅう)・灼烈(しゃくれつ)―――


 シンヤが使う技、星斂闘氣には三つの基本型がある。その一つの【灼烈】は総合的な身体能力を瞬間的に任意の段階まで引き上げる効果がある。


 つまり0の状態から1にでも5でも10にでも好きな段階に身体能力を強化することが出来る。いかに劣勢に立たされようとも灼烈を発動させたなら戦況をひっくり返すことができるシンヤの持つ切り札の四分の一。


 その身体をさながら太陽のごとく灼熱に輝かせながら、シンヤは山羊頭が放つ絶死の一撃を一歩も動くことなく余裕を持って受け止めた。そして驚愕する山羊に返す言葉は刃ではなく嘲笑。仮面で見せられないのが残念だが、口元をひどく歪めて嘲わらう。


「その程度か、山羊頭?」


「ば、そんなバカな!?二度も受け止めただと!?」


「その驚愕と停滞は死への直行便だぞ、山羊頭」


 ―――灼烈・第五位階・叫喚きょうかん―――


 選択した強化の度合いは上から五番目。この程度・・・・の敵に全力の第十段階まで引き上げる必要はない。事実シンヤの動きをサタナキアプートは目でもグリシナのような野性的直感で追うことはできず、自慢の角の左を簡単に斬り落とすことができた。


「見た目と違って存外脆いんだな、この角は。飾りか何かか?」


 手元でその立派な角をもてあそび、地面にたたき落として踏みつける。


「貴様―――!」


 自慢の両角の一つを斬り落とされて傷口からダラダラと血が落ちる。痛みは引かず、治る気配もない。サタナキアブートの怒りは頂点に到達して地鳴りを起こしながら跳躍して自慢の漆黒の翼を広げて宙に舞った。


「今すぐ死ね!矮小なる人間よ!」


 サタナキアブートは大太刀を両手で強く握りしめ、縦に横へと高速で振り抜いた。放たれるのは斬撃の圧嵐。たった一人の人間相手に振るうには過ぎた技。無差別に放たれる剣閃の豪雨を前にして身体を濡らさずにいるのは不可能だ。


 シンヤの判断は早かった。刀をしまい、すぐさま振り向いてサラティナを抱きかかえてその豪雨の中を踊り舞う。


「―――ッチ、面倒な!」


 離脱しようとすれば簡単だ。本来ならば対軍に使用してこそ真価を発揮する技だろうがそれを個人に向けて放っている。そうであるなら有効範囲は必然的に絞っているはずだ。だから全力で飛び退いて仕舞えばそれで事足りるが、そうすればむしろ被害は拡大する。ならば止むまではここに留まる他にない。だがその選択は腕の中の大将様の望むところではないだろう。


「っクソ、仮面が―――」


 だが降りしきる雨から一雫さえその身に浴びることなく乗り切ることは、サラティナを抱きかかえていることを差し引いても灼烈を発動している状態であっても不可能だった。完璧にかわしきれなかった斬撃を数発その身を掠めた。その内の一撃に仮面も含まれる。


「我の攻撃をそこの足手まといを抱えてやり過ごすとは。我に手傷を負わせたことといい、やはり貴様は只者ではないな。人間にしておくには実に惜しい」


「ハッ、その程度の攻撃で俺を殺せると思ったのか?舐めるなよ、山羊頭」


「しかしその素顔は拝ませてもらうぞ。そら、偽りの面が割れるぞ」


 ピキッと亀裂の音が走ると同時に仮面が真っ二つに割れた。そこから現れた素顔を未だお姫様抱っこの状態で抱えられているサラティナは間近で見て、思わず口を押さえてシンヤはやれやれとため息をついた。彼女の目からは涙が溢れて今にこぼれ落ちそうになっていた。


「あぁ……どうして……どうして貴方が、シンヤがここに居るのですか?ここは貴方がいていい場所では……」


「それを言うなら君もだ、サラティナ。剣も魔導も、ましてや戦場は君には似合わない」


 あふれる涙を指で拭い、真珠のような黒髪を優しくなでる。


「さてと……よくもまぁ俺の計画を台無しにしてくれたな山羊頭。それだけじゃない。この世の何よりも誰よりも大切な人を傷つけてくれたな。ここで確実に殺してやる」


「いいぞ!素晴らしい殺気だぞ、人間!では第二幕と行こうか!存分に殺し合おうぞ!」


 そっとサラティナを地面に下ろす。涙を堪えながら心配そうに見つめる彼女ににこりと笑みを浮かべて大丈夫だと頷いた。


 サタナキアブートは再び地に降りて得物を構える。シンヤは得物を取らず、斜に構えて相対する。


 二人の間に流れる静寂はピンと限界まで張り詰めた糸のようだ。それが切れるのは一分、五分、それとも一時間、体感にして永遠とも思える時間だった。しかし実際のところは刹那に満たなかった。


 再び振るわれる大太刀。サラティナは逃げてと叫ぼうとするが声が出ない。シンヤは表情を変えず、左手の蒼刀を抜いて羽虫を払うかのように無造作に振るう。たったそれだけでサタナキアプートの剣は大きく弾かれた。山羊頭の表情に驚愕が浮かび上がる。横目で見るとサラティナも目を見開いて驚いていた。


 ―――星斂闘氣(せいれんとうき)・総集(そうしゅう)・紫電(しでん)―――


 一瞬でシンヤの身体が灼光から紫紺に包まれる。


 星斂闘氣が三種の型が一つ、紫電。それは身体能力の主に速度と武器の切断や貫通力を強化する技だ。灼烈のような総合的な身体強化ではないが、敏捷面の上昇補正は灼烈を凌ぐほど。


 天より舞い落ちる雷鳴を思わせる輝きその身から迸らせながら、跳躍して右の剣を縦一閃。目に映らぬほどの速度で放たれたその一撃は命を奪うまではいかなかったがサタナキアプートを後退させるには十分な深傷を与えていた。


「な……ん、だと?」


 角を叩き切った時とは比較にならない量の鮮血が舞う。深手なのは間違いないがこの一撃で決めるつもりで振るったが耐えられた。なるほど、闇騎士のような物理障壁スコプルスがあったのか、赫刀では両断しきれなかったか。


「さすがの耐久力だが……これで終わりだ」


 ―――世界再現(ノヴァリスコード)―――


 ―――シンヤ。ここまでよく修業に耐えたわね。星斂闘氣も一応自分の物にした。褒めてあげるわ。今日は一緒の布団で寝ましょうね。まぁそれはさておいて。君が真に覚えるべき技は【世界再現ノヴァリスコード】よ。この世界とは別の世界で生み出された、魔力を持たない人間・・・・・・・・・が魔の物を滅する為に編み出した極技―――


 ―――この技の神髄は己との対話。深層意識と対話して、己を知り、その世界をこの世に再現する。まぁ簡単に言えば秘めた思いを形にすると言う技ね―――


 願うは力。魔力を持たずとも、星に選ばれて剣を取らざるを得なくなった最愛の人サラティナを護る力が欲しい。


 ―――そう…やっぱりそうなったかぁ。シンヤ、貴方の世界再現はこの世界そのものへの反抗ね。魔力を持たないが故と言ってもいい。でもだからこそ、この技はこの世界で戦うもの全てに対して絶大な効果を発揮する。名前はそうね、これなんてどうかしら?―――


 ―――三千世界武の極みさんぜんせかいぶのきわみ―――


 シンヤが身に纏う闘氣は消えず、しかしシンヤを起点にしてこの戦場全体を何かが確かに覆った。その異変をこの場で剣を持つ者たちはすぐに理解した。


「魔力を……全く感じ取れない!?こんなことって!?」


 サラティナの驚愕の声、サタナキアプートの愕然とした顔。シンヤは不敵に笑う。


「喜べ怪物。これでお前も俺と同じ魔力が無く、魔導も使えず、ただ図体のでかいだけの人間と同類だ。理解したか?なら、早々に死ぬといい」


 ―――効果範囲にいる魔力を持つ全ての者達の魔力をその中にいる限り強制的にゼロにして、ただの人の領域・・・・・・・にまで失墜させる技―――


 ―――この世界は皆魔力に依存して戦っているから完璧な封じ手ね。でも貴方はそもそもの身体能力も限界到達している上に、魔力に依存しない星斂闘氣を使えるから、最早禁じ手ね―――


 両の刀はすでに腰に挿している鞘に収めている。正眼から左足を後ろに引いて腰を落として瞑目した。シンヤから発せられる尋常ならざる殺気。起きている異常な現象。サタナキアプートは思わず一歩、一歩と後ずさる。魔皇帝より絶大な力を与えられ、人とは蹂躙するだけの下等な生物と思っていたが、今目の前にいるのは本当に人間なのか。


 シンヤが消える。まるで雷のような轟音を響かせながら。


 ―――無窮鳴神(むきゅうなるかみ)―――


 雷が止むと、山羊の頭がするりと斬られ、ぽとりと落ちた。残された身体はゆっくりと後ろに倒れて土埃をあげた。


「絶望を与えることが自分達だけに許されたことだと思うなよ、異形ども。さぁ!どうする雑兵ども!貴様らの大将は死んだ!それでもなお挑んでくると言うのなら、決死の覚悟でかかってこい!」


 シンヤの宣戦が静寂を切り裂いて戦場に響き渡る。小鬼族や豚人族は次々に武器を手放してゆっくりと後ずさり、敗走を始めた。それを確認した人界軍は歓喜の勝鬨を上げた。


 ようやくダメージから回復したサラティナがゆっくりと立ち上がって近寄り、背中に問いかけてくる。


「シンヤ?本当に……シンヤなんだよね?どうして……なんで?」


「君を護るためだ。あの時掴めなかった……君が延ばした手を掴むため、俺は今ここに居る」


 シンヤはゆっくりと振り返り、十年ぶりに再会した最愛の人の頭に手を乗せた。


「本当に、待たせて悪かった。俺が君を護るよ、サラ」


 シンヤは十年前と変わらない言葉を、しかしあの時とは違って不敵な笑みを浮かべて言った。サラティナは静かに涙を流した。


 初戦の大戦は大将首を獲った人界軍の勝利に終わった。逢いたかった人にも長い時間かかったが逢うこともできた。だが、シンヤの心中は晴れていない。


 あの程度の力で魔皇帝の側近、【闇の軍勢】のナンバー2なはずがない。それこそ山羊頭の前に戦ったグリシナの方が強かった。だとすれば、敵の狙いは―――


「サラティナ。悪いが今すぐオルデブランに連絡を取れるか!?」


「ど、どうしたの、シンヤ?オルデブラン様にはこれから戦勝報告するから連絡するけれど。なんで?」


「この戦いそのものが敵の陽動だ!ここには五千の兵に加えて正導騎士が三人もいる。それだけ中央選都の守りが薄くなるということだ。この機に乗じて敵は本当の主力・・・・・を中央選都に差し向けるはずだ!」


「そ、そんな……馬鹿なこと!?」


「急げ!でないと取り返しのつかないことになる!」


 戦争は終わった。しかし、戦いはまだ終わらない。


 目には目を。【闇の軍勢ケイオスオーダー】の真の襲撃が始まる。

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