第32話:再会は戦場で⑥

 一方そのころ、正導騎士第五位のホランド・シュロスバーグとその娘、パンテラ・シュロスバーグは互いに背中合わせとなって槍を振るって鬱陶しい小鬼族をただひたすらに蹴散らしていた。


「父上!どうやらこちらは小鬼族と豚人族が中心のようですね!」


「うむ。幸いと言うべきか悩ましいところだが、こちらには狼人族はいないようだ。その分の負担を左翼のナスフォルンに負わせてしまっていることは申し訳ないが、こちらも余裕があるわけではないからな」


 話しながらホランドは槍を一閃して小鬼を三体まとめて切り殺す。この無双ぶりで半分程しか身体強化を施していないのだからその強さは際立っているちなみにパンテラは八割ほど。魔力切れにはまだ至らないが、このままでは先に身体が悲鳴を上げるかもしれない。


「しかし、ただ数が多いだけで練度はまるでなっていませんね。これならば早々に殲滅して左翼の援護に向かったほうが―――」


 パンテラは言いかけて、しかし最後まで口にする前にホランド共に後方に飛び退いた。そこに現れたのはでっぷりと肥えた脂ぎった腹をした豚顔の巨漢。


「ブヒヒ。ブヒヒ。人間どもの中にも可愛がりがいのある娘がいたぁ!グヒヒ。グヒヒ。坊はついてるな!手足を折っておもちゃにしようそうしよう!お持ち帰りだぁ!」


「……」


 パンテラはあまりの気持ち悪さと体から漏れ出てくる悪臭に吐き気を覚えたが何とかこらえて槍を構える。父であるホランドの表情は俯いているため確認できないが、心なしか肩がプルプルと震えていた。


「ブヒヒ。ブヒヒ。ブヒヒ。隣の親父はぶち殺し確定!そこのお姉ちゃんは持ち帰り確定!グヒヒ。グヒヒ」


 口元を歪めて気色悪い笑い声を出しながら、豚人族は手にした鋼鉄の棍棒を勢いよく振り下ろした。二人は散開して回避。と同時に翡翠の閃光となって突撃を仕掛けたのは意外にもホランドだった。


「シュロスバーグ流槍術・【一条の雷サンダー・ストリーク】!」


 風の上位属性、雷を槍に纏わせて貫通力を底上げした突進。加えて身体能力は【星選の証】に恩恵を全力解放しているため先ほどまでの比ではない。そしてこの技は単純だがそれ故にその速度と貫通力は正導騎士の中でも随一。この醜悪な化け物に受け止めることなど不可能。そう信じていたのだが―――


「ブヒヒヒ!やるじゃないか親父!でも僕には通用しないよぉ!だって僕はこの豚人族でも進化体!【霜降豚人マーブレッドオーク】の【タンユ】様なんだからね!ブヒッヒッ!」


 霜降豚人と名乗った怪物はその一撃を棍棒でしっかりと受け止めていた。驚愕の表情を刻んだのはパンテラ。勝ち誇った笑みを浮かべたのは豚。残った正導騎士の男は、淡々と粛々と次の一手に移った。


「シュロスバーグ流槍術・【突撃する雷サンダー・アッサルト!】


 空中に浮かんだまま反転。豚の持つ棍棒の上に立つとそのまま跳躍。星になるほどまで自ら打ち上げて、くるりと回転して己の身体を一切合切まとめて容赦なく貫く破滅の雷に化えて墜ちた。


 その速度、まさに雷速。


 その威力。まさに激怒した父の鉄槌の如し。つまり、何者もかわせず、何者耐えられない。


「グギャァァァァッァァァアァッァ――――」


 聞くに堪えない悲鳴を上げながら、脂ののった高級肉のような香ばしい匂いを上げながら、霜降豚人のタンユは丸焦げとなり、大の字に倒れて息絶えた。


「我が娘を玩具にするだと?豚の分際でふざけたことを抜かすな。反吐が出る。私の目が黒いうちは、パンテラはどこの嫁にも出さん!覚えておけ!」


 すでに頭からぱっくりと縦に両断されて死んでいる豚に槍先を突き付けて唾を飛ばす勢いで吠える父に、パンテラは苦笑せずにはいられない。今の発言が本気なら、自分はどこにも嫁げないではないか。



 *****



「グリシナ……うん。いい名前だな。藤の花、その言葉の持つ意味は『優しさ』『決して離れない』。部下思いのいい女、と言うわけか」


 仮面を被ったシンヤは、狼耳の美女と相対しながらも斬りかかることはせずに口を叩いていた。


「おいこらシンヤ!てめぇなに色目使ってんだ!?お前にはサラちゃんがいるだろう!あの子は俺の―――!」


「黙れひげ!私はお前の番になる気はないぞ!そ、それより……シ、シンヤ、と言ったか?お前も私を『いい女』と言ってくれるのか?」


 頬を染めてもじもじしながら上目遣いで見つめてくるグリシナは控えめに言っても可愛い。もしシンヤがサラティナと言う思い人がいなければ惚れかねないほどだ。


「ん?あぁ、そう言ったが気に障ったか?敵と言うことも忘れて、ここの阿保が求婚するのも理解できるほどにあんたは美人だよ。人としての称賛にどこまで意味を持つかはわからないがな」


「な、ななっにゃ!?お前はなんて直球的なんだ!?お前も私に求婚する気か!?いや…貴方ならやぶさかでも……にゃい……」


 最後の方は聞こえなかったが、その頬はさらに赤く変色してもはやトマトのような頬になっている。頼れる上司のポンコツぶりに頭を抱えるのは彼女に助けられた狼顔の部下二人だ。彼らはそろってため息をついていた。


「ダメだ。姐さんが完全なポンコツモードだ」


「ありゃ回復までは時間がかかるな。と言うかあんな仮面被った男になんで姐さんは照れてんだよ」


「うるさいぞお前たち!私にはわかる!あの仮面の人は間違いなく私の王子様だ!匂いでわかる。あの人は間違いなく……いい男だ。何より―――強い」


 ダメだこりゃ、恋する乙女となってしまった上司に呆れ果てて二人揃って嘆息する。だが同時に、その気持ちもわからなくもない二人だった。


 グリシナは進化する前から狼人族の中でもとびぬけて優秀な戦士だった。彼女の兄もまた優秀な戦士であり、この二人は上位種族の鬼人族にも引けを取らない実力を持っていた。


 それが魔皇帝に認められて魔力を与えられて人狼種に進化を遂げると益々強くなった。だがそれは番探しに苦労することも意味した。容姿や体つきは長耳族や人族に近いものとなったためだ。【闇の軍勢】において人族に近い容姿は忌み嫌われる。弱者の象徴だからだ。しかしグリシナは強かった。彼女を嘲るものは一人の例外なく叩き潰された。


 ―――私は、私より強い男を番にしたい。あと顔もよければ尚良し―――


 しかしそんな男は一人も現れなかった。求婚しに来た好き者もいるにはいたが全部グリシナに叩きのめされた。だが、そんな彼女の旦那探しは終わりを告げた。


「よ、よし!ではシンヤ!私の番になってくれ!仮面は行く行く外してくれればいい!まずは結婚だ!外堀を埋めてしまえば問題ない!子供はそうだな―――五人は欲しいな!私の家も大家族だったからな!にぎやかな家にしたいんだ!」


「……ああ、その…グリシナ?いや、あんた突然どうした?おかしくなったのか?」


「いやいや!私は正気だよシンヤ!さぁ!私と一緒に行こう!文句を言うやつは私が全員ぶっ飛ばすから安心してくれていいぞ!」


「あぁ…いや、グリシナ。すまない。俺は君とは一緒には行けない」


「……え?今、なんて?」


「グリシナ。俺には心に決めた人がいる。だから君と一緒に行くことはでいない。すまない」


「あ、あぁわかったぞ!さては照れているんだろ!?可愛いところがあるんだな!益々惚れてしまうぞ!」


 プルプルと肩を震わせながら不自然な笑顔で話す狼美女。これはやばいかもしれないと狼少年の二人。そのやりとりを呆然と眺めるヒゲことナスフォルン。茶番求婚は続く。


「どうしてだ!?私は尽くす女だぞ!?お前の希望は全部かなえて見せる!は、恥ずかしいが夜伽だって……経験はないが…が、頑張る所存だ!」


「―――すまない、グリシナ。君の直球的なところは俺も好みだが、君の思いには答えられない。すまない」


「―――そうか。わかった」


 糸の切れた人形のように、突然グリシナの頭がカクンと落ちた。その姿を見て狼少年たちは一瞬で顔を青ざめさせて、シンヤが敵であることも忘れ思わず叫んだ。


「人間!気を付けろ!姐さんがブチ切れた!あぁなったらお前を半殺しにしてでも連れて行く気だ!戦うか、逃げるかしろ!」


 グリシナの身体を一度は消え去った風の鎧が再び収束した。しかしその密度は先ほどの比ではない。広大な草原を思わせる美しい緑の鎧がここに現界した。これが本気になった人狼種グリシナの【暴風の大鎧トルナード・アルミュール】だ。


「ならば、力づくで連れていくまでのことだ。手足の一つか二つは千切れることになると思うが我慢してくれよ、旦那様ダーリン?」


「そうだ、俺を番にしたければ力づくで来い。俺も全力で相手をしよう」


 ―――星斂闘氣せいれんとうき・総集・紫電―――


 紫衣の闘気を身に纏い、赫刀を構える。静寂は一瞬。動いたのは全くの同時。持って生まれた凶爪が暴風を纏ってシンヤを襲う。彼はそれをかわすことはせず、正面から受けて立つ。


 強者同士の己の未来をかけた戦いの火蓋が切って落とされた。


「なぁ狼少年たち。俺達はいままで何を見ていたんだ?安いラブコメか何かか?」


「俺達にわかるかよ、ヒゲ。あんな姐さんは初めてだ」


「そうだぞ、ヒゲ。姐さんが惚れるなんて初めてな上に、振られかけているなんて前代未聞だ。ただ間違いなく言えるのは、姐さんはブチ切れてるってことだ。あぁなった姐さんは手に負えない。あの仮面、死ぬかもな」


 紫電の戦士と新緑の狼の激突は、すでにナスフォルンの目には追えない速度で展開されている。


「シンヤ……俺のお嫁さん候補を傷つけたりしたら承知しねぇぞ」


 ナスフォルンの声援はどこまでもズレていた。

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