第31話:再会は戦場で⑤

「ハッハッハッ―――!まさか闇騎士がこうもあっさり斃されるとはな!魔導士部隊も過半数を倒されたか。存外に人族もやるではないか!」


 山羊頭の怪人は水晶玉の中で繰り広げられていた戦いを観て興奮して鼻息を荒くしていた。しかしその結果は【闇の軍勢】とすれば完敗。主力部隊は健在とは言え後方部隊はかなりの痛手を受けた。それこそ壊滅と言ってもいい。しかし大将であるこの怪人はただただ愉快に笑うばかり。その様子にさすがの側近たちも焦りを覚えた。このままではこの戦、負けるのではないかと。


「進化体と言えども所詮は最下級種の骨人族。名も与えた。側近として取り立てもした。だがあの体たらくだ。それにしてもあの仮面の人間が使った技は見たことがない、珍しいものだな。私自ら戦いたいものだが……その前に奮戦している前線の立て直しか」


 サタナキアプートは顎に手を当てて思案する。小回りが利き、数も多い小鬼族がただひたすらに人間どもに飛び掛かり、豚人族が巨躯に物を言わせて何の変哲もない棍棒を振り回して蹴散らしている。狼人族は数こそ少ないがその戦闘力はずば抜けている。中でもその隊長は魔皇帝様直々の魔力を与えられて進化した猛者。サタナキアプートには劣るとはいえ正導騎士級の力は有している。


「左翼には狼人族と人狼【グリシナ】を回せ。右翼には豚を中心に攻めさせろ。豚人族総出で正導騎士と小賢しい槍使いの小娘をコロセ。正面の部隊は我自ら蹴散らしてくれよウ」


「そ、そんな!?サタナキアプート様自ら向かわれるのですか!?」


「これ以上体たらくを魔皇帝様に見せるワけにはいかなイ。それにナ、あのような闘いを見せられテ我もひと暴れしたくなったのサ。止めテくるなヨ?」


 その一睨みでこの大軍の作戦指揮を任された長耳族の男は声を発することが出来なくなった。魔導士としては今や囚われの身となっているランコーレに匹敵する実力を持っている。そんな彼でも魔皇帝の右腕とも言われる怪人を前にすれば赤子も同然だ。


「では、引き続き指揮ハ任せる。我は好き勝手に暴れテ蹂躙シテ来るとしよウ」


 得物である身の丈近くもある太刀を手にサタナキアプートはゆっくりと玉座から立ち上がった。その姿は優に二メートルを超えている。高密度で高硬度な筋肉により膨れ上がった両腕両脚は無造作に振り上げるだけで人間など藁のように吹き飛ぶことだろう。


「貴方様にこのようなことを言うのは失礼かと思いますが———ご武運を」


 そして【闇の軍勢ケイオスオーダー】の指揮官はド派手な土煙をあげて血と悲鳴が飛び交う戦場へ飛び立った。


 異形の怪物が断罪の刃を掲げて戦場に降り立つ。戦局は混沌局面に移行する。



 *****



 左翼部隊を指揮する正導騎士ナスフォルンは苦戦を強いられていた。小鬼族はただ数が多いだけでなんてことはない雑魚の集団兵だが、今相手にしている狼人族の戦士達は屈強で強靭な肉体と人の身では再現困難な敏捷性と肉体操作で地平のみならず空間さえも自由自在に駆け回る。


「ヒャッハ———!正導騎士様っていうのも存外大したことないんだな!俺達の動きに全くついて来れねぇじゃねぇか!」


「いくら強くたって人間様の限界はこの辺ってことだろうぜぇ!俺様達狼人族の的じゃねぇな!」


「ガチャガチャとうるさい獣だな!その辺が獣所以ってか!?」


 高速で縦横無尽に旋回する二人の狼人族の戦士を相手にしながら軽口を叩ける程度にナスフォルンには余裕がある。


 ナスフォルンは傭兵上がりの正導騎士だ。それ故に正々堂々の戦いよりも今のようななんでもありの戦いの方が好みだ。


 傭兵の時から得物は剣だけで盾は持たずに剣一筋。、それは騎士となった今も変わらない。変わったことは魔導を真剣に勉強したことと、【星選の証】によって齎される力を十全に扱うことができるようになったことだ。


 この戦争自体はまだ始まったばかりだ。最初は高い指揮と洗練された練度によって人界軍の優勢で進んでいたが、後方から飛んできた火球の雨で瞬く間に逆転。しかしそれも奇襲部隊の活躍によって撃退に成功したとの報せもある。その証拠に火の雨も止んでいる。ならばここが序盤戦の力の出しどころと覚悟を決める。


「チョロチョロうっとしい獣ども!ミディアムレアにしてやるぜぇ!【火の大嵐イグニス・テンペスタ】!」


 天高くかざした剣に纏わりつくは炎の大嵐。それを地に振り下ろすことで灼熱の大嵐がこの世界に顕現する。ともすれば発動者であるナスフォルンも巻き込みかねないが、嵐の中心地は唯一の安全地帯。しかし彼の周りを高速で動き回る狼人の戦士は暴風圏内。熱風をもろに浴びて悲鳴をあげる。


「ハッ!情けねぇ声出すじゃねぇか!どうせ鳴くならワンって鳴いたらどうだ!?」


 重度の火傷を負って完全に動きの止まった狼人族の二人の戦士。身につけていた鉄製の胸当てなどが溶けて素肌―――と言っても深々の毛だが―――が焼け爛れている。


「自慢の足も死んだな。これでもう戦えないだろう?なら死ね」


 剣を振り上げて、苦しむ狼人族の戦士の首に振り下ろす。しかしその寸前、ナスフォルンは殺気を感じ取ってその場から飛びのいた。瞬間、今しがたまで立っていた地面が三閃に抉り取られた。


「ほぉ……人間風情にしてはよく回避したな。だが、これ以上我が同胞を傷つけることは許さぬぞ」


「狼人族?いや、人狼?それに、女だと?」


 ナスフォルンの前に現れたのは頭に狼の獣耳を乗せた豊満な肢体を鎧で隠す気もなく軽装でさらけ出している美女。流れるような銀の挑発をなびかせている。敵ながら見惚れてしまった。


「あ……その…、っえと……ナスフォルン・ケーファと言います!俺と付き合ってくください!いや、結婚してください!」


 ここが血生臭い戦場ということを忘れて、ナスフォルンは剣を鞘に収めて右手を差し出しながら最敬礼でお辞儀した。


 正導騎士序列第八位、ナスフォルン・ケーファ、御歳三十二歳。人生初めての一目惚れだった。


「……お前は、馬鹿か?いや、何も言うな。一目見てわかった。お前は底なしの馬鹿だな?馬鹿なんだな?」


「三回も言うことないだろう!と言うか狼人族なのになんであんたはそんなに美人なんだよ!?あんたみたいな美人は見たことねえぞ!?」


「―――んな!?わ、私が美人だと!?いや、そもそも私を扱いするな!私は狼人族から進化した高位種の人狼だ!狼と同じ強靭な肉体と長耳族と同じく魔導も扱えるハイブリットだ!私ならば上位種の鬼人族の首領とも渡り合える!それなのに貴様と言う男は、よ、よりにもよって求婚するとは!?侮辱しているか!しているんだな!」


 名も知らぬ絶世の美女は顔を真っ赤にしながら早口でまくし立てた。その姿に呆気にとられたのはナスフォルンだけでなく、彼女が助けた仲間の二人も頭を掻いていた。


「あぁ……姐さんを《女》として見る求婚する男が現れるとはビックリだ。明日は雪か?」


「姐さんてばストレートに可愛いとか美人とか言われたことないから物凄い照れてるじゃん」


「黙れお前たち!私は照れてなどいない!と言うかあやつの様なブサイクな男に私が惚れるはずがないだろう!?私の好みはもっと……そう!若くてイケメンだ!断じてあのような髭顔の男ではない!」


「髭顔じゃねぇよ!というかこの髭はファッションだ!オシャレだ!と言うかなんだよ若くてイケメンて!結局顔なのか!?顔なんだな!?」


 チクショウと地団駄を踏むナスフォルン。きーきーと喚き散らす人狼の美女とうんざり顔でそれを聞く二人の部下。


「あぁもういい!私の番は私で見つける!だがその前に貴様は殺すぞ、不埒の正導騎士よ!」


「ッケ!時代は若いイケメンよりイケオジだってことを教えてやるぜ!肉体強化コルプス・リンフォース!」


 ナスフォルンの身体が魔力を帯びて翡翠色に包まれる。それはさながら闘気のようで、その輝きは紛れもない全力であると主張している。そうでなければこの強敵に勝つこともは勿論、生きて再び求婚することはできない。本能でそれを理解した。


「―――人間の割にはいい闘気だ。これが【星選の証】を持つ正導騎士の全力というわけか。面白い。ならば私も全力でそれに応えよう」


 剣と爪が衝突する。その衝撃で発生した余波は突風で、周囲の小鬼族や兵士を吹き飛ばした。しかしそれに一々構っている余裕はない。


 魔力伝導性の高い鉱物で鍛えられている相棒にそれなりの量の魔力を込めているが、この人狼の爪には傷をつけることはできず、時として腕で受け止められるがその柔肌でさえ一切の刃が通らない。


 対して人狼の美女の攻撃はナスフォルンの身体を順当に傷つけている。モデル顔負けの無駄のない美脚から繰り出される一撃で凸凹に陥没し、鋼鉄のような爪で所々抉られている。

「この程度か、正導騎士?私にかすり傷一つ負わせることが出来ない実力で求婚してきたのか?ここでいいことを教えておこう。私はな、私より弱い奴と番になる気はない」


「ハァ……そうかい!言ってくれるぜ。だがまだまだここからだぜ、お嬢さん!」


 軽く深呼吸して息を整える。剣だけでは太刀打ちできなら、魔導を交えた戦闘に切り替えるまでのこと。ナスフォルンは素早く術を展開する。


「行け!【火の矢イグニス・アロー】!」


 重視するのは数と速度。威力も欲しいところではあるがまずは牽制。選択したのは火矢の魔導。その数は十本。それが一斉に襲いかかる。しかし―――


「【暴風の大鎧トルナード・アルミュール】。その程度の魔導で、私の鎧は突破できませんよ?」


 狼美女の周囲に発生した暴風がナスフォルンの火矢を一つ残らず弾き飛ばして無力化した。そしてその風は収束し、彼女の身体を包み込み、美しい肢体を凶刃から護る鎧と化した。


「なるほど、それがあれば鉄の鎧なんてものは無粋だな。それにしてもこいつは……想像以上にやばいな。もしかしなくても絶体絶命ってやつか?」


「ようやく悟ったか?ならもう諦めろ。まぁ…その、なんだ。私のことを美女と褒めてくれた礼として、殺しはしない」


「ハハハ。優しいこって。だがな、俺も男だ。一目惚れした女に情けをかけられて安心するほど腐っちゃいねぇ!それよりなにより俺は正導騎士だ!俺の敗北はすなわち部隊の敗北であり人界軍の敗北につながる。だから、簡単に諦めるわけにはいかねぇのさ!」


 剣で傷はつけられず、己の火の魔導は暴風の鎧の前ではろうそくに灯るか細い火も同然。だが諦めるのは早すぎる。刃は健在、魔力にも余力はある。何より心には折れていない。なら、まだ戦える。


「そうか。貴様も戦士というわけだな。ならば情けをかけようとしたことを謝罪しよう。そして、これにて命を狩りとろう。受けるがよい。【暴風の断頭台トルナード・ギロティンヌ】!」


 彼女より生み出されたのは轟々と音を立てる暴風の断頭の刃。無形の風を目に見える巨大な刃の形状に押し固めていることから、この人狼美女の魔導士としての技量もかなりのものだ。


「さらばだ、正導騎士」


「ふざけんな!【火刃の閃光イグニス・シュトラール!】」


 剣を媒介にして全力の魔力で持って発動させるのはナスフォルンが扱える魔導の中でも最高火力のモノ。赤い閃光が剣より放たれて頭上から迫り来る白刃と激突する。


 本来、火の属性は風の属性に対して優位に立つ。風は火を大きくするため相殺するどころか威力を増加させてしまうためだ。しかし魔導士としての力量差があれば属性の優劣など関係なく圧倒することができる。それをまざまざと見せつけられた。


 拮抗したのはほんの僅かな間。徐々に押されていく赤い閃光。強引に押しつぶしてくる暴風の前に為すすべがない。すでに全力を込めて魔導を発動している以上、枯渇は目の前だ。


「クソが。せっかく最高の女に会えたっていうのに……」


「―――諦めるのが早いぞ、ナスフォルン」


 盛大な爆発音が戦場に鳴り響く。土煙とともに周囲に火の粉が舞い散る。圧壊の余波により再び戦場に突風が吹いた。


 煙が晴れる。大きく縦に抉られた地面。しかし、そこにあるべきモノはなかった。その代わりに聞こえてきたのは第三者の声。


「なるほど。骨人族の進化体の闇騎士とは格が違うか。それにしても手こずりすぎだろう?まさか相手が美女だから手を抜いたんじゃないだろうな?」


 仮面を被って素性はわからないが、声からして若い男性。その人物は仮面を被り、正導騎士の乱暴に首根っこを掴んでぶら下げていた。


「……貴様、何者だ?」


「俺か?俺はシンヤ。シンヤ・カンザシだ。この馬鹿が世話になったな。ここからは俺が相手をしよう」


「ふむ。仮面こそしているが素直に名をなるか。では私も名乗ろう。狼人族が副首領のグリシナだ。獲物が二人に増えただけだ。さぁ、死合おうぞ」


 シンヤと狼人族のグリシナによる左翼の攻防が始まる。

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