第8話:旅路と陰謀⑥
カラカルは震えていた。先日遭遇したゴブリン達の時の震えとはまた異なる震えだ。純粋な恐怖。確定した死が目前に迫っているのが本能で理解している。あの火炎玉の大群を見せられたら大抵の者は膝を折るだろう。それでもなお立っている時点でカラカルは優秀な戦士だ。しかしそれらを前にして笑みさえ浮かべて得物を構えるシンヤの存在こそがこの震えの正体だ。
「―――いけ」
ダークエルフの男、ランコーレが裁定を下した。その判決は死刑。今だ増殖を続ける火の玉達がまるで意志を持って一斉にシンヤに襲いかかった。
「魔導としては単純だがその数にその威力に圧倒的な差があるぞ!防げるものなら防いで見せろ!」
シンヤは冷静に。大きく深呼吸をして集中の濃度を深めていく。己の意識を深く深く沈めていくイメージ。やがて根底にたどり着き、そこにある固く閉ざされている力の源泉の扉の前に立つ。
四方八方から同時に迫り来る無数の火の玉。シンヤは蒼刀に持ち替えて対応するが数が数だけに全てをたたき落とすことは不可能だ。舞うようにしながら刀を振るい、火弾を的確に斬り裂いていく。その様はさながら神に奉納する踊りのように優美で華麗。その動きにカラカルは目を奪われながらも不安しかなかった。
火弾は今だに増え続けているのだ。シンヤの体力とてこの神経を削るような攻防の前にどこまで持つかわからない。対してランコーレにはまだまだ余裕がある。
故に、シンヤがとれる行動は限られている。彼が選択したのは前進。ギリギリまで引きつけて着弾する直前に急発進。ド派手な爆発音を撒き散らして周囲を赤く燃やすがシンヤは無傷。それどこからすでにランコーレを己の間合いに捉えている。背後に残りの火炎玉が迫っているが構わない。斬り捨てて通り過ぎればそれで事足りる。カラカルは勝利を確信した。
「甘いぞ!人間!」
刀を振り下ろした瞬間、ランコーレの姿が消え失せる。気配を追うと褐色の長耳の男は宙空に移動しており、勝ち誇ったかのように笑みを浮かべながらシンヤを見下ろしていた。全ての火炎玉がシンヤに殺到し、先ほどの爆発とは比べ物にならないほどの爆音と火柱が立ち上り、夜の選都を明るく照らした。
「シンヤ―――!!!!」
カラカルの悲痛の叫びがこだまするのを聴き、愉悦に浸りながらランコーレは嘲笑する。
「ハッハッハッ!私に空間転移を使わせたのは褒めてやろう。だが終わってみれば何とも呆気ないものだ。この程度ほんの序の口に過ぎないのだがな」
「―――そうか、それは残念だ。もう少し戦ってみたかったが…お前、さすがにやり過ぎだよ」
「なにっ!?」
背後から聞こえた声はたった今爆殺した男の声。もうもうと上がる煙の中で死体も残らぬほどに四散したと思われる敵の声。振り返ると、そこには傷一つなく、しかし身体を淡い赤い光に包んだシンヤがいた。手にするは赫刀。ランコーレは再び瞬間転移の発動を試みるがそれより先に空いた左手で胸ぐらを掴まれる。
「―――逃がさねぇよ」
力任せに引き寄せながらシンヤは刀をその身体に突き刺した。ガハッと口から大量の血を吐き出すランコーレ。刀を引き抜いて乱暴に地面に叩き落とした。
「まさか短距離とは言え空間転移を使えるとはな。『とば口』とは言え星斂闘氣の灼を使う事になったのは予想外だ。だが、油断が過ぎるな。お前、残心って言葉を知らないのか?」
「ま、まさか…あの状態から回避するとは。ガハッ……貴方…本当に人間ですか?」
「正真正銘の人間だよ。それも碌に魔導も使えない、ただ刀を振るしかない能無しさ」
自嘲しながらシンヤは一息ついた。それで身体に纏っていた赤い光は霧散した。致命傷とまではいかないが深手を負わせたが万が一もある。念を入れて四肢の腱を斬ってから刀を納めた。カラカルが恐る恐るとした足取りでやって来た。
「きっちりトドメを刺しておきたいが、こいつには聞きたいことが山ほどある奴らがいるんだろう?お前の知り合いの正導騎士様はいつになったら来るんだ?」
「あぁ、さすがにもうすぐ来ると思うんだが―――っと噂をしていたら来たようだぜ」
ガチャガチャと喧しく金属をぶつけるような音を鳴らしながら、鎧姿の集団がこちらにやって来た。皆統一した鎧をつけているその先頭に立つ男のそれは他のものたちとは明らかに材質から仕上げが異なるものだ。
腰に挿している剣も相当な業物と見てとれる。醸し出す空気から見てとれる実力のほどはなるほど騎士の中の騎士と言われるだけのことはあるな、とシンヤは素直に賞賛した。
「カラカル、遅くなって悪かったな!派手な爆発が見えたが大丈夫だったのか?ってそこで倒れているのはまさかダークエルフか!?何がどうなっていやがる!」
「カラカル。こいつがお前の知り合いだって言う正導騎士か?」
「おぉ、そうだったな!彼は正導騎士序列第八位ナスフォルン・ケーファだ。俺の昔馴染みの男だ」
序列第八位と言うことはサラより下という事になる。しかしこのナスフォルンという男は無精髭を生やしていて髪もボサボサで騎士らしからぬ風体だ。なるほど、傭兵のカラカルの元同僚というのも頷ける。鎧なんて着込んでいるがバリバリの実戦派の戦士なのだろう。言葉と態度に惑わされてはいけないな。
「宜しくな、兄ちゃん。そんで―――首から血を流して死体になっているのがヘイトリッドさんで、ここで無様に血を流して倒れているダークエルフがその重要参考人をぶっ殺したと。さらにさらに超重要参考人をぶっ飛ばしたのが兄ちゃん、お前ってことでいいんだな?」
ナスフォルンが顎せ指し示す先には一つの死体。この事件の首謀者であり元凶たるヘイトリッド。手の施しようがなかったしその暇もなかった。さらに言えばするつもりもなかったのだが。そして今は大人しく瞑目して横たわる褐色の長耳の男を指差した。
「シンヤ・カンザシだ。このダークエルフだが連れて行くなら早くしたほうがいいぞ。死んではいないが深手は負わせたし四肢の腱も断ってあるからな」
「うわっ……兄ちゃん、見た目によらず結構エグいことを、さも釣った魚は捌くのが当然だ、みたな感じで話すんだな。えぐっ」
自分の身体を両手でできながら身震いするナスフォルン。こんな奴が正導騎士で本当に大丈夫なのかと疑惑の目線を友人だというカラカルに向けるが、まぁまぁと彼は苦笑いするばかり。シンヤはため息をついた。大丈夫なのかこの世界は。
「うしっ。それじゃまぁサクサクと移動しますかね!胸の傷に最低限の治癒をしたらこのダークエルフには封魔の枷を嵌めろ。それが済み次第、急ぎ【
戦士の顔つきに変わったナスフォルンの指示のもと、同行していた騎士たちがテキパキと作業に取り掛かる。ここまできたらシンヤ達の出番はもう残ってない。
「なぁ、シンヤ。これで終わりでいいんだよな?ヘイトリッドは死んじまったが、黒幕のダークエルフは捕まえた。ザイグさんを狙った事件は解決したんだよな?」
「…さぁな。これで終わればいいが―――」
そうはいかないだろう、とは口に出さなかった。むしろ始まりに過ぎないとシンヤは思っている。その認識を今この世界を守護する筆頭の正導騎士達が抱いているかがこの先の未来を別つ鍵になるだろう。起きてから対処しては遅いのだ。起きる前から準備しておかなければ戦いに勝つことはできない。
―――機先を制する者が勝つ。これは個人との戦いだけでなく戦争でも一緒よ。肝に命じて起きなさい―――
師匠の言葉を思い出しながら、シンヤは選都へと帰還する騎士団の背中を見つめ、やがてゆったりとした足取りその後に続いた。
まだ何も終わっていない。
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