第7話

「私、自分のHミート作ってみたいんだけど」

翌日の昼休み、Hミートを食べている加奈を前にして詩緒里は言った。

加奈は大きな目を見開いて言った。

「どうしたの?あんなに嫌がってたじゃん」

からかいと心配が9:1の配合で作られた表情を向ける。

「いや、ちょっと私もいつまでたっても新しいものを避けているようじゃね。ちゃんと試してみないとって思ってさ。」

今考えた口実をそのまま口にした。

加奈は興奮しながらスマホで色々なHミートのメーカーを紹介してくれた。

ここはパッケージが可愛い、ここは美味しく仕上げてくれる、ここは最近できた、ここは安いけど味はまぁまぁなど。よくもまぁこんなに覚えられるなと感心していたところ、円香も話に参加してきた。

「せっかくだしMeaTでやってもらいなよ、今週末のパーティーにも参加できるなら、私が紹介してあげるよ?」

そんな手もあったのかと考えていると、興奮をそのままに加奈が反応した。

「それがいいよ!そんなチャンスめったにないって!」

確かに初めて作るとなるとちゃんとしたところで作りたいと詩緒里は思った。所有しているだけで、羨望の目でみられる人気店ではじめてのHミートを作れることはそうそうない。

「円香ありがとう!じゃあそうさせてもらうね。何か持って行くものはある?」

「特になんもないんじゃないかな。あ、事前アンケートが確かあったと思うから、あとで詩緒里にメールで送っとくね」

お昼はその話で持ちきりだった。加奈は私の動機をしつこく聞きたがったが、MeaTの話を振ることで煙に巻いた。

 

 金曜日の当日、早めに出勤して仕事を終わらせ三人で退社した。

詩緒里は途中で心が折れそうになりながらも仕上げたMeaTのアンケートがきちんと鞄の中に入っているか確認した。回答項目は、家族構成や好好きな食べ物、過去の疾病歴、そして過去性行為をした相手の人数や詳細など、この質問ははたして必要なのだろうかという内容も含まれていたが、急いでいたため項目を埋めることだけに集中した。

 到着したのは乃木坂から青山の方向に進んだ所にある、昔はクラブだっただろう施設を居抜きで貸し出しているパーティスペースだった。受付を済まし、クロークに荷物と着替えを預けると、ウェイターがドリンクを給仕しにきた。詩緒里はシャンパンを持って円香と加奈のあとを付いて行った。円香が手をあげて一人の男性と合流した。男性は日焼けして浅黒く、髪を丁寧にジェルで固めた、いかにもスタートアップで働いている人の風貌だった。

「円香!ひさしぶり!綺麗になったんじゃない??」

「あんたは拍車かけてチャラくなってるね!今日は誘ってくれてありがとね。」

男と円香は学生からの仲を証明するように、楽しそうに話している。部外者である詩緒里たちは手持ち無沙汰で周囲を見渡した。

パーティに来ている人は、皆華やかな雰囲気を持ち、どことなく浮ついている。円香らの一通りのやりとりが終わり男が上品に掌の先でこちらを指した。

「そこの二人は?」

「会社の同僚、詩緒里と加奈。」

円香がこっちを見て言った。

「そしてこの人が一樹。大学ではこんなに黒くなかったからわからなかったけど。そんで今日はね、」

円香が詩緒里の腕を組んで言った。

「この子がHミート初めて作りたいって言ってるんだけど、今日手続きしてもらうことってできる?」

「へー初めてなの?今時珍しいね、全然かまわないよ」

加奈の羨望のまなざしを遮って言った。

「お会いしたばかりなのに無理言ってすみません、ありがとうございます。」

「全然。顧客が増えるから俺としては嬉しいよ。」

「初めてなのでどうしたらいいかわからないんですが、一応円香に言われてアンケート用紙は持ってきました」

「用意がいいね!あとは簡単だよ、唾液をちょっともらうだけだから。」

一樹は詩緒里が持つアンケート用紙を見て言った。

「ちょっとこっちおいで」

連れて行かれたのはクロークの奥にある控え室だった。扉を開くと大量のチューブや透明な皿が所狭しと並んでいた。どうやら詩緒里以外にもここで作る人は少なくないようだった。

一樹は手袋をつけ、手慣れた様子でテーブルの上に並んだチューブを手に取った。シールに詩緒里の名前と番号を書きチューブに貼った。詩緒里は言われたままその中に唾液を入れ、蓋を閉じて返却した。

「完成して、自宅に届くまで1ヶ月ぐらいかかるかもしれないから、まあ気長に待っといて、味付けは初めての人でも抵抗ないようにしとくから。」

「あの、」

詩緒里は言った。

「できたら何も味付けしないでお願いできますか。」

言い終わらないうちに一樹は詩緒里をじっと見た。そして何かを察したように言った。

「たまにいるんだよね、絶対においしくないのに頼んでくる人が。」

ただ、一樹の目に詩緒里を責めている様子はなかった。詩緒里がなにも言わないでいると、ぼそっとあまり深入りしないようにねとだけつぶやき、二人はその部屋を跡にした。


 三週間後、詩緒里の自宅にチルド宅配便が届いた。段ボールには大きく”ナマモノ”と”冷蔵”と印字されたステッカーが貼られていた。自分の肉が、輸送システムに乗って運ばれたのがシュールでおかしかった。中身を傷つけないようにカッターナイフで慎重に段ボールを開封すると、そこには取り扱い説明書とHミートを掴んで食べる際に使う包装紙がぴったりと敷き詰められていた。その下には大量の緩衝材と、さらにその下には保冷剤がぎゅうぎゅうに入っていた。一つ一つをダンボールから出していき、最後の保冷剤を取り除くとようやくその下に、テレビや雑誌でしか見たことのない缶ケースが現れた。表面にはMade from Shiori Kakizakiと印字されている。詩緒里はこの中に自分の肉が入っているとは到底思えなかったが、缶を手に取ると内容量以上の重さを感じた。蓋を開けるとさらにクッキングシートに包まれた物体が確認できた。詩緒里は過剰気味の包装にある種の心地よさを感じた。筋肉や内臓が、皮膚や骨で保護されているように、Hミートにも外界との隔たりがしっかりあることに安心した。包装を脱がすと、淡いピンク色をしたミンチ状の肉塊が露わになった。Hミートの表面は冷却便との温度差でわずかに湿り気を帯びており、小さな水滴が光沢を放っていた。生き物の生々しさを主張しているようだった。初めて向き合う自分の一部との歪な対面に胸の高鳴りが大きくなっていくのを感じた。早速英人と今夜会う約束をして、Hミートをレンジの中に入れた。


 英人といつも通り新宿で待ち合わせをして、近くの居酒屋で食事をしたあと、詩緒里の自宅に向かった。詩緒里は少し緊張していた。英人の要望にあれほど困惑を露わにして拒絶したのに、突然Hミートを渡したらどう思うだろうか、急な心変わりに引かれないだろうかと思った。ただ、それ以上に、自身のHミートを英人に食べさせたいという思いの方が強かった。家に到着し、詩緒里がお酒とおつまみの用意をしていると、英人はカバンからおもむろにラッピングされた掌サイズの箱を取り出し詩緒里に渡した。

「この前は本当にごめん」

詩緒里は心当たりがなかった。

「前のお詫び、ほら前に俺が、あの、変なこと言い出して詩緒里を困らせちゃったからさ。」

英人は頭をかきながら早口で言った。箱を開けると、詩緒里が欲しかったイヤリングが入っていた。どうやら前のHミートの件を気にかけていたようで、ずっと考えていたらしかった。詩緒里は英人を愛おしく思った。二人はソファに座り、晩酌をはじめた。詩緒里がいつものようにたわいもない話をして、英人は相槌を打ちながら更に話題を降る。普段通りの光景である。しかし、詩緒里の心はHミートでいっぱいだった。いつもより酒が進み、開けたばかりの缶チューハイがすぐに空になった。

「お酒とってくる。なんか他におつまみも作ってくるね」

そう言って詩緒里は席を立った。冷蔵庫に行き缶チューハイと、Hミートが入っているレンジのスイッチを押した。タイマーの音が鳴るまでの時間がとんでもなく長く感じられた。Hミートはレンジの中で朱色の照射を受けて回り、じっくりと焼かれている。ただの肉塊ではなく、詩緒里の愛を形にしたものだった。それを見ながら詩緒里は過去の恋愛を振り返った。今やっている行動はどの彼に対しても当てはまらなかった。唯一、英人だけにしてあげられる愛情表現だと断言できた。その純粋さがとてつもなく嬉しく、純粋であればあるほど真理に近づけると心が高鳴った。

温め終了を告げる音が鳴った。詩緒里は自分の分身をレンジから取り出し、付属の包装紙に大事に包んだ。居間に目を向けると英人はテレビを見ながらスマホをいじっている。詩緒里は小さく息を吐き英人の元へ向かい、少し震えた手で差し出した。


「え、これ何?」

当然の反応だった。

「Hミート。私の。」

詩緒里は言った。

「…」

「前食べたいって言ってたし。」

「え…。」

詩緒里は持っているHミートをさらに英人に突き出す。

英人は無言でそっと受け取った。

「驚かせてごめんね」

詩緒里は英人の挙動を見逃さないようにじっと目を見て言った。

「まさかもらえるとは思ってなかったんだけど、」

英人の目が詩緒里とHミートを行ったり来たりしている。

「いいの?」

詩緒里は頷いた。

「あ、ありがとう。」

詩緒里はもっと喜んでくれると思っていたので内心少しがっかりしたが、何より早く食べて欲しかった。

「今食べて欲しい。」

ほとんど命令に近い口調だった。英人はとまどいつつ、包みを剥き始めた。詩緒里はその様子をみながら考えを巡らせた。これは自分が望んでいることなのだろうか。それとも英人の欲を満たしてあげたいだけなのだろうか。いや、今はどっちだっていい。詩緒里はその瞬間の自分から湧き出る何かが楽しみでならなかった。

 英人の不器用な手元がじれったかった。幾重にも包まれている私的な部分が徐々に露わにされていく。詩緒里は肉塊が自分の肉体とリンクする感覚に見舞われた。英人の指がそれを乱暴に剥いていく。詩緒里は生唾を飲んだ。包みが破られ、とうとうむき出しになった。蒸気をあげているそれは今にも脈動しそうだった。包装紙からは肉汁が溢れている。詩緒里はそのまま食べてと促した。肉汁がしたたり、ベージュのソファカバーが赤茶色に染まっていった。詩緒里は初めてセックスをしたときでさえこんな拍動があっただろうかと思った。

「食べるね。」

「うん」

英人の大きな口が小さくあいた。ゆっくりと口に近づけて、歯がそれに触れた。詩緒里は咀嚼をこんな間近に見たことはなかった。コーヒーの飲み過ぎで微かに茶色ばんでいる英人の歯が少しずつ肉の中に入り込んでいく。肉の繊維がちぎれていくのがスローモーションのように見えた。意図しているのかと感じるぐらいゆっくりと噛みちぎられた。

咀嚼、咀嚼、咀嚼。

薄紅色の穴の中に消えていった分身の行く末を想像した。肉は形状を保ちながらも歯と歯に潰され、舌で転がされなすすべもなく潰されていく。艶かしく蠢動する舌の上の無数にある受容体がそれをしっとりと引き受ける。口の中でよじれた柔肉が喉の管を通過しそうになった時、詩緒里はじわじわと下腹部から湧き出てくる心地よい違和感を感じた。


 いま目の前で行われている摂食行為は、これまで詩緒里がしてきたこと全てを包括している行為だった。ご飯を作り食べさせ、セックスをしてあげるといった事は、付き合う上での娯楽にはなり得たが、詩緒里を排除しても成り立ってしまう。しかしこの行為は必ず、英人を底から支えるエネルギーを生み出す。詩緒里はHミートが届くまでの間、代謝について調べていた。肉はアミノ酸に分解され、ATPを作り出す。ATPがADPとリン酸に分解される際にエネルギーが取り出され、生命活動に使われる。英人の今後を支えているという気持ちは確実なものだとわかって嬉しかった。なんて素晴らしい行為なのだと思った。

 丁寧に食べていた英人は徐々に日常的な摂食行動としてそれをどんどんのみ込んでいった。詩緒里は彼の下半身に激しい隆起を確認した。ひどく興奮していた。一人前に仕事をして社会的な地位もあり、休みの日は子供のような可愛らしさを見せる目の前の男性が惨め垂らしく自分の肉を頬張っている姿が、詩緒里の承認欲求を満たした。詩緒里の太ももをぬるい液体が伝っていった。Hミートを食べる事。これは擬似的な捕食である。詩緒里は選ばれて、食べられている。究極的に求められている気がして、頭がおかしくなるほどに恍惚状態だった。別の女の肉を食べているところを想像すると、嫉妬でおかしくなりそうだった。性行為ではない、ただの摂取である。しかし、これは明らかに愛情であると認識していた。カマキリを思い出した。死んでいく時こういう気持ちならば、奴らは人間よりも愛を知っている。セックスだけでしか愛を表現できない人間が哀れだと思った。

「どう、美味しい?」

詩緒里は聞いた。

英人は頬張りながら頷いた。

「詩緒里も食べてみる?」

息絶え絶えに英人が言った。

「ううん、いい」

微笑みながら答えた。

自分の肉なんてどうだっていい。

もっと近くにいたい、繋がりたい。食べられたい。衝動が抑えられなかった。これから何度となく捕食が行われる。きっと二人の間に不安が生まれても、目の前の生き物は詩緒里の肉からエネルギーを生み出し、動いていると考えると、どんなにささくれた気持ちも、いやされると思った。

詩緒里はもっと真実に近づきたかった。進化で洗練されたカマキリの気持ちを。それには痛みが足りなかった。詩緒里は英人が食べている姿を見て、キッチンに向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

H-Meat asai @asai3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ