第2話
茉莉の母親とは病院の霊安室で初めて顔を合わせた。こんな形で茉莉さんとお付き合いしております、なんて言うことになるとは思ってもみなかった。茉莉の実家でもっと小綺麗な格好でお嬢さんを僕にくださいとかっこよく言うつもりだったのに。僕はいまだに混乱している頭でしっかりと言葉を選びながら自分が恋人であること、自分がそばにいながら茉莉の辛い気持ちに気づくことが出来ずに申し訳ありませんでしたと心からの謝罪をした。
「茉莉の顔、見ますか。」
頭を下げていた僕に茉莉の母親がそう声をかけてくれた。5階から飛び降りたのだからもとの美しい茉莉のままでは無いことは分かっていたが茉莉の最後の姿を目に焼き付けなければならないと思った。顔を見ようと白い布越しに茉莉の顔に触れた。氷の冷たさとは違う、なんの温もりも感じない肉の塊にここにはもう茉莉がいないことをようやく理解して涙がこぼれおちた。結局茉莉の顔を見ることは出来なかった。
茉莉のことを僕は案外知らなかったということにこの頃やっと気がついた。まず、茉莉は母子家庭の一人娘であり、頼れる親戚や兄弟は1人もいないこと。たった1人で、葬式の準備をするのは大変だろうと、手伝いを名乗り出たがあっさりと断られてしまった。次に「友人」と呼べる人がほとんどいないこと。お葬式の参列者も少なく、かなり小さな式がしめやかに執り行われた。
お通夜にも告別式にもどちらにも参列したが茉莉の友人と呼べそうな人は僕の幼なじみの拓巳と茉莉の職場の後輩で僕の同級生の百合香、この2人くらいしか見当たらなかった。
「悠、お前ちゃんと寝てるのか。」
拓巳は昔から面倒みがよく目の下に真っ黒なくまをつくった僕に心配そうに声をかけてくれた。
「あんまり自分を追い詰めたらダメだよ。悠くんのせいじゃないんだから。」
普段は少しお節介なところがある同級生もこんな時ばかりは気を使ってくれる。
「ありがとう、僕は大丈夫だよ。」
ありきたりなお礼を伝え、僕は茉莉の母親に頼みたいことがあったので姿の見えない喪主を探すため、2人にとりあえずの別れを告げてその場を離れた。
茉莉の母親は会場の外にある喫煙所ですぐに見つかったがメンソールの細長いタバコをふかしながらで誰かと電話をしていた。
「ホント迷惑よ、飛び降りなんて。なーんかできちゃったからとりあえず産んでやったのに最後の最後に親に迷惑かけてくれちゃって。誰が葬式代やらなんやら出すかわかって死んだのかしらね。」
そう言えば、霊安室でも式の最中でもこの母親は1度だって涙を見せなかった。
「とりあえず明日火葬して、骨は無縁仏に入れるんでいいかなって。あたし家のお墓とかないし、わざわざ墓立ててやる必要も無いでしょ。」
もしかしたら僕は1人で勝手に共に家庭を築きたいと舞い上がっていただけなのかもしれない。茉莉から子供って可愛いよねとか暖かい家庭がほしいとか、そういう話は1度も聞いたことがなかった。タバコを吸い終わったあとに声をかけようと一旦会場にもどったが、茉莉の左腕と同じ真っ赤に染まった母親の唇と長い爪が脳裏に焼き付いて離れなかった。
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