第3話
母親が会場に戻ってきたところでお願いがあるのですが、と声をかけた。
「明日の火葬の後、茉梨さんの遺骨を分けて貰えないでしょうか。」
無縁仏に入れるくらいなら、と続けてしまいそうだったがぐっと堪えた。
「少しだけでよければ構いませんよ。」
そう言って明日の火葬の時間や場所を教えてくれた。とくに娘に興味もないのでどうでもいいのだろう。むしろ遺骨全てを僕に渡してしまった方が手間が省けて好都合、くらいに思っているのだろうか。こんな小さな街では噂がすぐ広まるので世間体の悪いことはしたくないからとりあえず遺骨を引き取るのか。
世間体とか気にするならよくあんな大きな声で娘の悪口を言ったもんだなと心の中で笑ってしまった。
「ああ、あとこれ、茉莉のカバンに入っていましたよ。立花さん宛の遺書です。それとこれもきっとあなたが茉莉にあげたんでしょう。お返しします。」
母親は自分のバッグから封筒とジップロックに入れられた茉莉のブレスレットを取りだした。ブレスレットには取り切れなかったのだろう茉莉の血が黒く変色してついていた。
ありがとうございます、明日はよろしくお願いしますと、お礼と挨拶をして葬式会場をでた。
さすがに疲れた。有給をもらって正解だったなと、自宅の鍵を取り出しながら思った。あの日、病院から会社に戻り、まずは突然飛び出して午後の業務にもいなかったことの謝罪をした。続けて亡くなったのが自分の恋人であり、今の時間まで病院にいた旨を説明すると、上司からは小言ではなく、お悔やみの言葉と有給の許可を貰った。同僚たちからもゆっくり休めと言ってもらい、お言葉に甘えて溜まっていた有給で1週間の休みを貰った。いまどき恋人が亡くなったでは休ませてくれないような会社もあるのに自分はいい所に務めていたんだなと、少しだけ心が軽くなったような気がした。とはいえほとんど眠ることが出来ず、食事も喉を通らないような数日だった。睡眠不足の体に精神的なダメージが積み重なって玄関を開けた瞬間、体が鉛のように重くなり喪服を脱ぐことも出来ずにベッドになだれ込んだ。このままではベッドごと線香臭くなってあとあとカバーの洗濯やらでめんどくさい事になると分かってはいたがもう指一本動かす気力もなく、気がついたら暗い海の底に沈むように眠りに落ちていた。
翌日、火葬場で最愛の恋人が焼かれる煙を見ながら、茉莉が飛び降りた日からずっと不思議に思っていたことを考えていた。去年の茉莉の誕生日にした約束。当時は冗談かと思っていたが今となっては茉莉の本心だったのではと思うとある約束をしていた。
「どうぞ。少しだけですが。」
火葬が終わり、茉莉は白い骨と灰になって僕の元へ帰ってきた。遺骨を分けたい旨を火葬場に事前に伝え、分骨の手続きやら骨壷やらも全て手配してもらったので思っていたよりスムーズに終わった。小さな骨壷を抱え、母親にお礼を言い足早に帰ろうとしたが、もう二度とこの人と会うことはないだろうと思い、昨日の電話のことについて聞いてみた。
「茉莉さんを無縁仏に入れるんですか。」
昨日僕が電話を盗み聞きしていたことに気づいていたのだろうか、特に驚く様子もなく、赤い唇を動かした。
「私はね、誰との子供かも分からないあの子を産んで、男を連れ込みたい時は公園に行かせたりベランダで待たせたりしていた。茉莉は私の事母親だなんて思っていない、そんな私に墓を建てられて供養される、なんてこと茉莉は望んでいないんですよ。」
8畳のワンルーム。社会人4年目、26歳の男の部屋にしては狭い部屋の角に小さな仏壇のようなものを作った。仏壇といってもテーブルの上に茉莉の写真と遺骨、ブレスレット、そして遺書を置いただけのものだ。写真は去年の茉莉の誕生日の時に一緒に撮ったものにした。僕がこのブレスレットをプレゼントし、約束をした日の写真だ。写真をみて改めて、母娘そっくりな顔をしているなと思った。唯一違うのは茉莉はピンク色の口紅を塗っていることくらいか。自分とよく似た顔の、しかし僕からみたら正反対の性格の母のことを茉莉はどう思っていたのだろう。母親あての遺書はあったのか、それすらも知らない。
子供の頃の茉莉を想像してみる。この写真よりもっとあどけない顔立ちだったのだろう。寒いベランダに座り込んで母親の喘ぎ声を聞かされる幼い茉莉は何を思いながら時間が過ぎるのを待っていたのだろうか。
今僕が抱えているたくさんの疑問の答えはすべてこの白い封筒のなかに書かれている気がした。今朝、寝付きはよかったもののほんの数時間で目覚めてしまったので線香臭い喪服を脱ぎ、まだ太陽も昇っていない中シャワーを浴びた。体はさっぱりして頭も冴えてる。気持ちも少しは落ち着いたと思いカバンに入れっぱなしだった遺書を取り出した。でも茉莉の本心を知るのが怖くて指が震えて封を切ることができなかった。自分が臆病な人間であることに気づいたのもことときだった。
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