第39話:大森林のダンジョン⑩

 何が起きているのか、ヴィルは生きているのか。

 そのことだけがアヤの頭の中を占めていた。

 自然と足が砂煙の中に向かおうとしたのだが、その足をアヤは自分の意思で押し止めた。

 ヴィルを信じると言ったではないか。

 そして、ヴィルに言われたではないか。

 ――何があってもここから絶対に動く、と。


『——グゴガアアアアアアアアアアアアッ!』


 砂煙の中から聞こえてきたのは、ハイオーガの悲鳴。

 そして、砂煙の中から出てきたのはさらに加速したヴィル。


「ヴィ、ヴィル先輩!」

「はああああああああっ!」


 ここに来て初めてヴィルは感情を表に出して雄たけびをあげた。

 フロア全体を駆け回り、すれ違う度にハイオーガの筋肉を斬り裂き再びどす黒い血が地面を濡らしていく。

 さらに、さらに、さらにさらに加速していくヴィルの姿を、アヤはとうとう視認することができなくなってしまった。


「……す、凄い。これが、ヴィル先輩の、実力」


 グロリアのアダマンタイトランクにも驚かされたが、目の前で繰り広げられているヴィルの戦いに一番驚かされており、目を奪われていた。


『グガッ! ゴアッ! ググッ、グゴガアアアアアアアアアアアアッ!』


 ハイオーガからするとまさかの展開に、思考が追いつかない。

 何故傷ついているのか、何故獲物が見えないのか、何故――ここにいるのか。


 自分の本来の姿は何だった? もっと巨大で、もっと美しくなかったか?

 自分の本来の居場所はどこだった? 周囲に木々が生え、花が咲いていなかったか?

 自分の本来の役目は何だった? ダンジョンの最深部で、冒険者を待ち構えていなかったか?


 思考が入り乱れたことで、ハイオーガの思考とは別にギガトレントとしての思考が混在し始めた。

 自分はハイオーガなのか、ギガトレントなのか、それが分からない。

 だが、互いの思考の中で唯一共通していることがあった。


 それは――どうしたらこの状況を覆せるのか。


 ハイオーガはこのままでは殺されてしまうと理解していた。

 ギガトレントは自分だったらすでに殺されていると理解していた。

 結局、このままでは殺されてしまうと答えが出てしまう。


 ――否、さらに思考は深まっていく。


 ギガトレントは何故進化してハイオーガになったのか。

 ならば、ハイオーガから進化することはできないのか。

 そうなれば、そうなれば……どうなるのだろう。

 そこまで思考が行きついた時——ならば互いに進化してみよう、という結論に至った。


『ギギャオオオオオオオオルルルルルルルルッ!』

「これは、なんだ?」

「愚弟、離れなさい! アヤちゃんを守れ!」

「——! ちいっ!」


 このまま押し切ろうとしていたヴィルだったが、グロリアからの警告に従いアヤのところへ移動する。


「ヴィ、ヴィル先輩?」

「移動するぞ!」

「は、はい――きゃあっ!」


 ヴィルはアヤを抱き上げると一気に入り口の方へと移動する。

 すぐに降ろされたのだが、アヤの頬は紅く染まっていた。


「あんたは、この子のことをちゃんと受け入れてあげるのよ?」

「何を言っているんだ?」

「だって、女の子をお姫様抱っこしたんだからー? その責任は取らないといけないわよねー?」

「ちょ、ちょっと、お姉さん!?」

「ほら、アヤちゃんも私のことをお姉さまって言ってるわけだしー?」

「お前、今の状況分かってんのか!」

「分かってるわよー。エルフィンにも話は聞いてるし、あれは完全にイレギュラーだわねー」


 飄々と受け答えしているように見えるグロリアだが、その視線はさらなる進化を続けているに向けられている。

 舌なめずりをして、進化の結果がどうなるのかを楽しみにしているかのようだ。


「……姉貴、あいつを今の状態で倒すことは――」

「ダメね」

「それは、姉貴の都合か? だったら俺は――」

「そうだ……と言いたいけど、違うのよ。過去の事件で、これと似たようなことがあったの」

「似たようなこと? ……もしかして、火炎竜のダンジョンの事件か?」


 ヴィルも火炎竜のダンジョンの事件を知っていたのですぐに思い当たる。


「そうよ。その時の事件解決には私も同行していたんだけど、進化中のモンスターを攻撃した時に大きな被害が出たわ」

「……どういうことだ?」

「今のあいつは、進化するためにパワーを溜めている状態なの。そんなやつをパンクさせたらどうなると思う?」

「……えっと、爆発する、ですか?」

「ご明察」


 グロリアの質問に答えたのはアヤだった。

 そして、その答えは当たっておりアヤの表情は真っ青になってしまう。


「全く、こんな時に私の弟子はどこをほっつき歩いているのやら」

「エルクは俺と真逆に進んで行ったからな。遠回りしているのかもしれん」

「だからといって、これはさすがに遅過ぎ――」

「し、師匠!?」


 噂をすれば、エルクはようやく三人のところに到着した。


「おっそーい! あんた、私の弟子失格にするわよ?」

「す、すみません! でも……プレシアスさん、本当に無事でよかったです」

「エルク君も来てくれていたんだね。ごめんね、迷惑を掛けちゃって」

「いえ、ヴィルさんと師匠が間に合ってくれてよかったです。ですが……あの、あれは?」


 エルクも進化中のモンスターに気づき汗を滴らせている。

 一目見たとたんから汗が噴き出し、相手が相当危険な存在だということを肌で感じ取っていた。


「とりあえず、ヤバーい相手ってことだけは教えておいてあげるわよ」

「姉貴、手を貸してくれ」

「あら、助けはいらないんじゃなかったかしらー?」

「今はそんなことを言っている場合じゃないだろう」

「はいはい、分かってますよー」

「エルクはアヤを守って――」

「ちょっと待った! エルクにも経験として戦ってもらうわ」

「だが、それだとアヤはどうするんだ?」

「うふふー。アヤちゃん、これを持っていてね」


 そう言いながらグロリアが手渡してきたのはヴィルから貰ったお守りと似た物だった。


「これにも、ヴィルが渡したお守りよりも強力な守護の魔法陣が縫い込まれているわ」

「守護の、魔法陣?」

「あら、言ってなかったの? 照れ屋さんなだからー!」

「う、うるさいな!」

「とにかく、これを持っていれば他のモンスターからの攻撃は一切効かないから、ここで見ていなさいね」

「は、はい!」


 グロリアからのお守りを胸の前でギュッと握りしめるアヤだが、その手の中にはヴィルから貰ったお守りも握られている。

 そのことに笑みを浮かべながら、グロリアは立ち上がるとエルクに声を掛けた。


「というわけで、エルクも戦いなさいよー。ここまでなーんにもしていないんだから、最後くらい働きなさいよねー!」

「は、はい!」


 前に出たヴィルとエルク。グロリアは後方から支援担当だ。

 その直後――モンスターの進化は完了した。

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