第38話:大森林のダンジョン⑨

 先ほどまで倒れ込んでいたヴィルは平然と立ち上がり、アヤの前に出てハイオーガと再び対峙する。

 突然立ち上がった死んだと思った相手を見て、ハイオーガは視線をグロリアから再びヴィルへと向けた。


「私の援護も必要かしら?」

「いらん! これだけの手負い、一人で倒せなかったら元冒険者の名が廃る!」

「元、冒険者?」


 ヴィルが元冒険者だったことを知らないアヤは驚きの表情を浮かべたが、ならばと先ほどの詠唱も納得できた。


「だったらそっちの女の子をこっちに寄こしなさい。その方が戦いやすいでしょう?」

「……アヤ、姉貴のところに行っててくれないか?」

「あ、姉貴って、お姉さんなんですか?」

「あぁ。グロリア・バレーロ。エルクの師匠で、ランクの冒険者だ」

「ア、アダマンタイト!?」


 上から数えた方が早いランクに、アヤは場を弁えることができず大声をあげてしまった。


「そうよー。だから、そーんな元冒険者の愚弟なんかと一緒にいるより、こっちに来た方が安全よー!」


 そして、場を弁えていないのはグロリアも同じだった。

 ハイオーガを通り越してアヤに大声で呼び掛けているのだから。


「……いえ、私はここで大丈夫です!」

「なあっ! お前、何を言って――」

「ヴィル先輩を信じてますから!」

「……ヒュー! お熱いことで!」


 グロリアはアヤの覚悟を聞いて、入り口の柱にもたれ掛かり成り行きを見守ることにした。

 もちろんヴィルがハイオーガを倒すと信じての行動だが、それでもヴィルからすると予想外だった。

 グロリアの行動も、アヤの選択も。


「おま! 何を言ってんだよ!」

「言葉の通りです! それともヴィル先輩、負けるつもりですか? それとも相打ち覚悟で戦うんですか?」

「そんなわけないだろう!」

「だったらここでもあっちでも一緒です! 私は、ヴィル先輩が一緒じゃなかったら戻りませんからね!」


 まるで我儘を言う子供のような理由に、ヴィルは頭を抱えたくなった。

 だが、アヤとの短い付き合いの中で今のアヤには何を言っても通じないことも理解している。

 目を真っすぐに見つめ、逸らせることなくはっきりと言い切ったのだから。


「……だったら、何があってもここから絶対に動くなよ!」

「は、はい!」

「頑張れよー、愚弟!」

「愚弟、愚弟ってうるさいんだよ、バカ姉貴!」


 身を低くして加速したヴィルは一瞬のうちにハイオーガの懐に潜り込んだ。

 あまりの速さに驚きを示したものの、ハイオーガの体は条件反射のように両腕を広げて絞め殺そうと抱きしめる。

 ヴィルは懐に潜り込んだが、立ち止まることはなかった。通り過ぎながら漆黒の短刀を振り抜き右腕を一刀のもとに斬り落とす。


『グオオオオオオッ!』

「まだまだ」


 絶叫をあげるハイオーガとは異なり、ヴィルの声はあくまでも静かであり、音を置き去りにしてその肉体は距離を離していく。


「あ、危ない!」


 あまりの速度にヴィルの体が壁に激突すると思ったアヤだったが、その前に直角にその進行方向を変化させた。

 弧を描くわけでもなく、速度を落とすわけでもなく、そのままの速度で直角に曲がった。

 そんなことができるのかと考えようとしたが、目の前ではヴィルが再びハイオーガに迫っていた。


『グガアアアアアアッ!』

「遅い」

『グ、ググオオオオッ!』


 気づいた時には体が傷つき、獲物が遠くに行ってしまっている。

 ハイオーガの苛立ちは徐々に高まっていた。


『ガアアアアアアアアアアァァッ!』


 そして、大咆哮をあげたハイオーガの肉体に変化が起こった。

 筋肉が一回り、二回りと盛り上がり、体長は最終的に五メートルにまで迫っている。

 傷ついていた肉体も筋肉が塞ぎ、溢れていた黒い血も今は止まっていた。


「だから、どうした」


 明らかな変化に、普通の冒険者なら様子見をしようと距離を取ることだろう。

 だが、ヴィルは先ほどと変わることなく、むしろ速度を上げてフロアを縦横無尽に駆け回る。

 速度を乗せた一刀を放ったヴィルは、先ほどとは異なる感触にわずかながら表情を曇らせた。


『グガガガガッ!』

「筋肉で、刃を防いだか」


 斬り裂く、ではなく跳ね返される感触に、ハイオーガが筋肉の鎧を纏ったことを悟ったヴィルは、並行詠唱を試みた。


「——我は影を支配する者なり」

『ゲギャギャギャギャ!』


 また同じ魔法か、とハイオーガは考えた。

 そして、筋肉の鎧を纏った今の自分ならば漆黒の槍を弾き返すことも可能だと。


「全ての影は我の支配下にあり」

『ギャギャ……ゲギャ?』


 だが、先ほどとは詠唱句が異なっていることに気がついた。

 それでも、ハイオーガは勝てるだろうと高を括っている。

 この筋肉の鎧を破れるはずがないと。

 だからこそ守りに入るのではなく、反撃に出た。


「影を介して我に力を与え給え」

『ガルアアアアアアッ』


 逆手に持った漆黒の短刀めがけて振り抜かれた左拳は、ハイオーガの思惑通りに筋肉を斬り裂くことなく弾き返し、ヴィルの足を止めた。


「その力を媒介として我の敵を討つ――シャドウバースト!」

『アアアアアアアアッ!』


 ヴィルの詠唱は完了したが、ハイオーガの攻撃は止まらない。

 漆黒の短刀を相殺した左拳が開かれると、そのまま刀身を握り込みヴィルの動きを封じる。

 そして、不敵な笑みを刻み右腕を振り上げるとヴィルの脳天めがけて一気に振り下ろされた。


「ヴィル先輩!」


 直後――ヴィルはハイオーガは砂煙に飲み込まれた。

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