第37話:大森林のダンジョン⑧

 視線の先には大森林のダンジョンでは見るはずのないハイオーガの背中。

 その視線はやや下に向いており、視線の先を追い掛けると目的の人物が死を覚悟したのか目を閉じたまま座り込んでいる。


「――アヤ!」


 ヴィルは叫んだ。

 声をあげたからどうなるわけでもないが、それでも叫ばずにはいられなかった。

 ここまでも全力で走ってきたが、地面を蹴りつける力が今までよりもさらに強く、速く駆け出した。

 そして――漆黒の短刀が傷ついたハイオーガの右腕を弾き返していた。


『ギ、ギギャアアアアアアッ!』


 苦悶の声がフロアの中に響いてくる。

 しかし、まだ窮地を脱したわけではない。ヴィルの後ろにはアヤが座り込んでいるのだ。


「てめえ、アヤから離れろおおおおっ!」

『ギゴオオオオアアアアッ!』


 ヴィルとハイオーガがお互いの武器である短刀と拳をぶつけ合う。

 苦悶の声をあげたハイオーガだったが、大きなダメージを負ったわけではない。目の前の獲物を殺すには微々たるダメージだった。

 久しぶりの冒険。久しぶりの強敵。久しぶりの窮地。


「ヴィル先輩!」


 だが、久し振りに聞くアヤの声がヴィルに力をみなぎらせる。

 重くて速い左右の拳から繰り出されるハイオーガの連撃を、ヴィルはさらに剣速を上げて弾き返していく。

 それどころか徐々に押し返し始めたことでハイオーガは一度距離を取ろうと大きく後方へ飛び退いた。


「アヤ、無事か!」

「ヴィル先輩……ヴィル、先輩!」

「無事みたいだな」

「はい! ヴィル先輩が、守ってくれました!」


 言いながらアヤは握りしめていたお守りを見せた。

 すでに守護の魔法陣は効果を失っているものの、アヤにとってはお守り自体が守ってくれたのだと信じて放さない。


「後は任せろ、お前を死なせはしない」

「でも、ヴィル先輩……戦えるんですか?」


 アヤはヴィルが元プラチナランクの冒険者だったことを知らない。

 だからこそ心配の声が出てくるのだが、ヴィルは短剣を構えながら背中越しに返事をする。


「安心しろ。こいつくらいならなんとかなる」


 強気にそう言ったヴィルだったが、内心では倒せるかどうかは五分五分だろうと考えていた。

 現役の頃なら問題はなかったが、今のヴィルには大きなブランクが存在している。

 ランクEのダンジョンのモンスターやダンジョンキーパーなら一人でも問題はなかったが、明らかな異常であるハイオーガの出現はヴィルの計算を狂わせていた。

 だが、それでもやらなければならない。ここでヴィルが倒せなければ、アヤを守ることなどできないのだから。


「――我は影を支配する者なり」

「え、詠唱!」


 エルクが魔法を使った時にも驚いていたアヤは、ダンジョン管理組合の職員であるヴィルが魔法を使えるなんて思ってもいなかった。


『ギオオオオッ!』


 ハイオーガも詠唱が終わるまでただ見ているはずもなく一気に間合いを詰めてきた。


「我に敵意向く者の影を支配し」

『ギガオッ!?』


 反撃を考えていないヴィルは防戦一方となるが、詠唱を止めるようなことはしない。

 エルクと同じとは言わない。その証拠に詠唱が何もない時に比べてゆっくりになっているのだ。

 それでも、並行詠唱を止めることなく最後まで唱え切った。


「漆黒の槍で串刺しにせん――シャドウランス!」


 影から無数の槍が飛び出してきたのだが、シャドウランスには視認している影から槍を顕現させる特性とは別にもう一つの魔法特性が存在する。

 それは、使用者に近い影から顕現させた槍は数も多く、威力も高くなるというもの。

 ヴィルとハイオーガは今まさにやり合っていた。

 ならばとヴィルは自分の影からシャドウランスを顕現させた。


『グゴアアアアアアアアッ』


 ハイオーガは回避することができず、至近距離から飛び出してきた槍に突き刺されていく。それも一本ではなく、無数の槍に串刺しだ。


『……ガアアアアァァ』


 これが並みのモンスターなら勝負ありだっただろう。ヴィルもこれで決まったと思ってしまった。

 しかし――相手は並みのモンスターではなかった。異常から産まれ落ちたイレギュラーな存在だった。


『――コロオオオオオオオオスッ!』

「なあっ!」


 串刺しにしていた槍を腕力だけで砕き、どす黒い血をドバドバと垂らしながら三つ目がヴィルを睨みつける。

 そして、死を厭わずに目の前に立ち尽くしていたヴィルの腹部に左拳がめり込んでいた。


「ぐはあっ!」

「ヴィル先輩!」


 両足が地面から離れて、まるで人形のように飛んでいくヴィル。

 地面に弾むことなく、そのまま壁に背中からぶつかり大きくひびを作ると、ズルズルと壁を伝い地面に倒れ込んでしまう。


「……そ、そんな……先輩……ヴィル先輩!」


 慌てて立ち上がったアヤはハイオーガに背中を見せることも気にせずに駆け出すと、倒れ込んでいるヴィルの横に座り込む。


「……ぁぁ……逃げろ……アヤ」

「あぁ、先輩、私のせいで、先輩が!」

『コオオオオォォ……』


 二人を三つ目で睨みつけながら、ハイオーガが一歩ずつトドメを刺すために近づいてくる。

 ヴィルを見下ろしているアヤの瞳からは大粒の涙がこぼれ落ち、ヴィルの頬を濡らしている。


「ダメだ……逃げろ……」

「無理です! 先輩を置いて逃げるなんて、できませんよ!」


 このままでは二人とも死んでしまう。


「――ハイヒール」


 そこに響いてきた透き通るような声。

 ハイオーガの視線は二人から入り口の方へ向けられる。


「女の子を守るのが男の役目だろうが。倒れている場合じゃないわよ――愚弟」

「……う、うるさいな、遅いんだよ、姉貴は!」


 先ほどまで倒れていたはずのヴィルは、入り口から姿を見せた女性冒険者でありヴィルの姉――グロリア・バレーロに悪態をついていた。

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