第36話:大森林のダンジョン⑦
耳をつんざくようなモンスターの大咆哮が聞こえてきた。
アヤは膝を抱えて埋めていた顔を上げると周囲を見回す。
モンスターの姿は隠れているフロアには見当たらないものの、聞こえてきた大咆哮はとても近くに感じられた。
「……な、何? 今のは、モンスター、だよね?」
今すぐにでも逃げ出したい。
大咆哮から遠ざかりたい。
そう思いながらも、何故だか体が動かない。そう、これはまるで──。
「……ダ、ダンジョンキーパー、なの?」
ならばおかしな話である。
ダンジョンキーパーはダンジョンの最深部から出ることはできない。いくら大咆哮が聞こえてきたとしても、最深部の外にいる相手を恐怖で縛ることができるものだろうか。
「……もしかして、ランクの高いダンジョン、なの? でも、さっき遭遇したモンスターはゴブリンだったし、どうなってるの?」
頭の中が混乱し、考えがまとまらない。
そんな時、さらなる困惑がアヤの目の前に姿を現した。
『──グルルアアァァ……』
「ひぃっ!」
両手で口を押さえたものの、姿を現したモンスター──ハイオーガの三つ目は確実にアヤを見据えていた。
『……コロス』
「……しゃ、喋った?」
震える声でそう呟く。
アヤとハイオーガ。二人の距離は一〇メートル以上は離れていただろう。
『コロス! コロスコロス! コロスコロスコロスコロス!』
「ひぃっ! 嫌、やだよ! 誰か、助けて!」
自分を鼓舞するかのように声をあげてなんとか立ち上がったアヤだったが、フロアへの入り口にはハイオーガがたっている。
できることといえば、壁際伝いになるべく遠くに移動することくらいしかない。
それでも──彼我の距離は一瞬にして無くなってしまった。
『コロオオオオオオオオス!』
「──!」
先ほどまでハイオーガが立っていた場所の地面が陥没し砂煙が舞い上がっている。
たった一歩踏み込んだだけで、ハイオーガはアヤの目の前まで移動してきたのだ。
振り抜かれる右拳。
何もできずに死を待つアヤ。
──バキンッ!
「きゃあっ!」
『ゴオオオオオオオオッ!』
だが、アヤは守られた。ヴィルから貰ったお守りに。
しかし、本来なら30分は猶予がある守護の魔法陣だったが、ハイオーガの一撃を防いだ代償として完全に破壊されてしまった。
『グオオオオォォ……ガアアアアァァッ!』
「ひぃっ!」
ただ、ハイオーガの右腕にも大きなダメージが残っていた。
ゴブリンのように腕が吹き飛ぶということはなかったが、どす黒い血液がボタボタと滴り落ちて地面を染め上げている。
動かなければ殺される。そう頭の中で警鐘が鳴らされたのか、アヤの体は自然とフロアの入り口へ駆け出していた。
「はぁ、はぁ、はぁ!」
いまだに砂煙が舞っている入り口へ全速力で走る。
追い付かれることは分かっている。一瞬で目の前に移動してきた先ほどの動きを目の当たりにしたなら当然だろう。
それでも、少しでも入り口の近くへ、誰かが駆け付けてくれた時のために。
だが、現実は残酷だ。
アヤが入り口に辿り着く前に、回り込んでハイオーガが目の前に立ち塞がった。
『コオオオオォォ……』
深紅に染まった三つ目でアヤを見下ろすハイオーガは、傷ついた右腕に右目だけを向ける。
何が起きたのか、次に襲い掛かっても同じことが起きてしまうのか。
モンスターとしては珍しく様々な思考を巡らせる。
『……コ、コロオオオオオオオオス!』
だが、すぐにモンスターの本能に従いアヤの目の前で、アヤに向けて再びの大咆哮。
気絶しなかっただけでも奇跡だろう。
アヤはあまりの恐怖で膝を折り、座り込んでしまった。
『……ゲヒャアッ!』
そして、そのまま傷を負った右腕を振り上げた。
守護の魔法陣はもうない。ハイオーガの懸念することが起こることはない。
本能に従った、ハイオーガの右腕が一気に振り下ろされた。
「──アヤ!」
こんな時に一番聞きたかった人物の声が幻聴となって聞こえてくるなんて、神様はなんて残酷なんだろうとアヤは思っていた。
後悔ばかりが残った人生だったが、最後の最後まで後悔に後ろ髪を引かれることになるなんて。
吹き荒れる風が通り過ぎた後には、今まで感じたことのない衝撃がこの身を襲うのだろう。
ゴブリンに襲われた時にも思ったこと。どうせなら痛みを感じないくらいに一瞬でこの命を絶ってほしい。
だが、アヤの思いは予想外の形で裏切られることになる。
『──ギ、ギギャアアアアアアッ!』
聞こえてきたのはハイオーガの苦悶の声。
死んでいるなら聞こえてこないはずの声に意識を取り戻したアヤは、誰かの背中を見つめていることに気がついた。
それは、何度も追い掛けた憧れの背中。
それは、叱咤激励してくれた尊敬よ背中。
それは、淡い恋心を抱いた大好きな背中。
「てめえ、アヤから離れろおおおおっ!」
『ギゴオオオオアアアアッ!』
お互いに雄叫びをあげてぶつかり合う短刀と拳。
あまりの衝撃に風が吹き抜け、アヤの髪を揺らしていく。
何故だろう。目の前には恐怖の元凶がいるにも関わらず、今のアヤは怖いと感じていない。
誰にも理解されないかもしれないが、アヤにはその理由は明白だった。
「ヴィル先輩!」
ヴィルの背中に守られたアヤは、大粒の涙を流しながらその名を呼んだ。
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