第9話:まだまだ、勉強勉強、暗記暗記

 食堂を出る際にはヴィルがモラに詰め寄り何やら耳打ちをしている姿を見たアヤだったが、聞いても教えてくれなかったので気にしないことにした。

 ……いや、気にしている余裕などないと言った方が正しいかもしれない。


「……罠のダンジョン……ランクE……塔タイプ……一〇階層……」


 再び資料の山と格闘を始めたアヤはぶつぶつと呟きながら読み込んでいく。

 休憩から戻ってきて三時間が経ち、ようやく終わりが見えてきたところだ。


「……罠解除ができるパーティにいると攻略が楽……下層に落ちる罠に注意……」


 今までよりも読み込むのに時間が掛かっているのは上のランクになるにつれて補足情報が多くなっているからだ。

 低いランクのダンジョンであれば単純なものが多いので細く自体ないこともあるが、今読んでいる罠のダンジョンなどはどうしたら楽に攻略できるのか、何に注意するべきなのかなどの情報も含まれている。

 終わりは見えている、だがこれら一つ一つを暗記する必要があるのだから別のことを気にしてなどいられなかった。


「……うーん……はぁぁぁぁ」


 大きく伸びをして硬くなった体をほぐしていく。関節がぽきぽきとなり自然と声が漏れ出ていた。


「……はっ!」


 そこで慌てて振り返るアヤだったが、扉は閉じられたままで個室には誰も入ってきてはいない。


「……はぁ、よかった」


 気づかないうちにヴィルが入ってきていたら、また恥ずかしい姿を見られたかもしれないと思ったのだ。

 しかし、どうしてヴィルの存在が気になっているのかには頓着しなかった。

 そのまま立ち上がり屈伸をしながら全身をストレッチすると、頬を叩いて気合を入れ直す。


「よし! 残りも一気に読みますか!」


 再び椅子に座り資料を手に取る。


「えーっと、これは……大森林のダンジョンでランクE……へぇ、タイプも森なんだ」


 今まで見てきたダンジョンのタイプは三種類に分けられていた。塔タイプ、地下洞窟タイプ、迷宮タイプである。

 森タイプというのは初めてであり、階層は一階層と迷宮タイプと同じである。


「迷宮タイプに似てるのかな? 迷宮は室内っぽいから、森タイプは室外のダンジョンってこと?」


 補足情報に目を通していくと、森タイプの特徴が徐々に分かってきた。


「自然物の罠やそれらに酷似したモンスターがいるんだ。モンスターが罠みたいにもなるのかな? それだと迷宮タイプよりも危険度は高いかも」


 アヤの予想は正しく、さらに上位ランクダンジョンにはタイプが混ざったダンジョンも存在しており、塔タイプで一部の階層では森タイプに変わる、などである。

 下位ランクダンジョンの資料は上位ランクダンジョンの情報を覚えるためには必要は基礎の基礎だった。


「こっちは火山のダンジョンでランクE、火のダンジョンよりも暑さ対策が必要で、それがないと熱波だけで死んでしまう! ……これでランクEなんだから、上位のダンジョンは本当に危険なんだろうなぁ」


 少しだけダンジョンが怖くなったが、だからこそ適正ランクを冒険者に案内する仕事が大事なのだと改めて実感できた。


 ――そうして資料を読み込んでいると時間を忘れており、気づけば二時間をとうに過ぎていた。


「アヤ! 終礼だ!」

「はひいぃぃっ!」

「……変な声を出すな。ノックしただろうが!」

「す、すみません! 聞こえませんでした!」

「いいからさっさと来い!」


 ヴィルに怒鳴られながら慌てて個室を出て事務所に向かう。時間はすでに一八時を回っており閉店時間になっていた。


「遅くなってしまいすみませんでした!」

「あぁ、構いませんよ。ずっと資料とにらめっこで疲れたでしょう、お疲れ様です」


 遅れてきたアヤへ笑みを浮かべながら答えるエルフィン。

 ヴィルが格好良さに秀でたイケメンならば、エルフィンは童顔で可愛らしさを残す甘えさせたいイケメンである。

 仕事場でもあるので誰も声には出さなかったが、表情には完全に出てしまっていた。


「それでは終礼を始めましょうか。まずは冒険者登録窓口から――」


 各窓口が報告を行っていく。

 冒険者登録窓口では新しく冒険者になった人数と、窓口担当が気になった冒険者の名前と特徴を説明していく。

 気になったという内容にも色々あるが、危なっかしく見守りが必要だったり、すぐに冒険者ランクを上げそうな有望株などである。

 ダンジョン窓口では各窓口の案内数が報告されていくのだが、ランクAからランクSSSの上位ランクのダンジョン窓口だけは案内する件数自体が少ないのですぐに終わってしまう。

 王都や大都市のダンジョン管理組合では実力者の冒険者が沢山いるので報告も賑やかなのだが、レイズ支部はできたばかりなので一番込み合う窓口が下位ランクのダンジョン窓口だった。

 そのため、上位ランクのダンジョン窓口では強がりな冒険者がダンジョンに行って攻略失敗で帰ってきた、という報告ばかりだ。


「最後に換金窓口からお願いします」


 冒険者がダンジョンから持ち帰った魔石やアイテムをお金に換金するのは換金窓口である。

 どのような魔石やアイテムがあり、冒険者へ換金した金額などが報告される。その際にはレアアイテムなどがあれば報告されるのだが、ここでも上位ランクのダンジョンに挑める冒険者がいないことから報告されたことは一度もなかった。


「レイズ支部はまだまだできたばかりの支部です。冒険者が足りないのも、ランクが低いのも仕方がありません。これから徐々に大きくしていきたいと思っているので、どうかよろしくお願いしますね」


 再びの笑みに多くの女性職員がほの字になってしまった。


「それでは終礼はこれまでです。皆さん、お疲れ様でした」

「「「「お疲れ様でした!」」」」


 各々が荷物をまとめて帰宅する者もいれば、酒場へ行って飲み会を開く者もいる。

 そんな中でアヤだけはすぐに個室へと戻り資料を読み込もうと考えていた。


「今日も残るのか?」

「はい。もう少しなので、今日で一度は全てに目を通しておきたいんです」


 ヴィルの声掛けにアヤは笑顔で答える。

 机に目をやると資料は残り数枚にまで減っていたのでヴィルは目を見開いていた。


「……本当に読むのが早いんだな」

「そうでしょうか? 皆さんはもっと早いと思いますよ。私は物覚えが悪いので頑張らないといけませんけど」


 あはは、と苦笑しながら答えたもののヴィルの感想は違っていた。


「お前ほど物覚えの良いやつはいないんだがな」

「えっ?」

「まあ、テストの時に緊張して全くダメになっているようじゃあ意味がないがな」

「あうぅぅっ、褒めたと思ったら一気に落とさないでくださいよ!」

「調子に乗らせないためだからな」

「調子になんて乗りませんよ! ……乗ってる暇なんてないんですから」


 一瞬だけ悲しそうな表情をしたアヤだったが、すぐに気持ちを切り替えて椅子に座り資料を手に取る。


「……無理するなよ」

「分かってます」


 視線は資料に注がれており振り返る様子はない。

 ヴィルも邪魔をしないようにとそれ以上声を掛けることはせずに個室を後にした。


『――あっ! ヴィルさん、これから一緒に飲みに行きませんか!』

『――たまには俺たちとも飲んでくださいよー!』

『――支部長もどうですか? 男水入らずで!』

『――せっかくですから参加しますよ。ヴィルはどうしますか?』

『――俺は……』


 周りの音はそこから聞こえなくなっていた。

 視線は文字を追っておりダンジョンの情報を記憶しようと口がぶつぶつと呟きを落としていく。

 補足情報が多いダンジョンだけが残っていたこともあり一枚を読み終わるにも時間が掛かってしまう。


 ――結局、アヤが全ての資料を読み終わる頃には終礼から二時間が経とうとしていた。

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