第5話:勉強と暗記
一八時の閉店時間を迎えたダンジョン管理組合だったが、これから事務業務へと移っていく。
多くの職員が事務所へと下がりそれぞれの業務と向き合う中、アヤはヴィルに呼び出されて再び奥にある個室へと移動していた。
「ヴィル先輩! 私、受付できましたよ!」
「あぁ、見てたよ」
「先輩の教えのおかげです! ありがとうございま――」
「あれくらいで喜んでるんじゃないぞ?」
満面の笑みでお礼を口にしようとしたアヤに対して、ヴィルはずいっと顔を近づけて釘を刺してきた。
笑みは真顔へと変わり、そして寂しそうに下を向いてしまう。
「……すみません」
「……お前ならまだできるって信じてるから言うんだ」
「……えっ?」
ヴィルの期待を耳にして驚きの声を上げる。
表情も目を見開いて驚いているので、コロコロと変わる表情にヴィルは内心で笑っていた。
「とりあえず勉強だ勉強! 暗記だ暗記! 次はダンジョン窓口だからな!」
「は、はい!」
いつものように手前の椅子に座り期待に胸を躍らせたアヤだったが、ドスンと机に置かれた資料の山を見て一瞬にして表情が青ざめていく。
「ダンジョン窓口は何ヶ所に分かれている?」
「……」
「おい、アヤ!」
「は、はひ! 三ヶ所でございます!」
「……変な言い回しは止めろ」
「……はいぃぃ」
溜息をつきながら頭を掻いているヴィルだったが、そのまま質問を続けていく。
「どうして三ヶ所に分かれている?」
「ダンジョンランクは10ランクに分けられています。その中で最低ランクのGからFとEの窓口、次にDとCとBの窓口、最後にAとSとSSとSSSの窓口です」
「その通りだ。アヤにはまずダンジョンランクGからEのダンジョンについて覚えてもらう」
「……それが、この山ですか?」
チラリと横目で資料の山を見たアヤは、口端をひくひくさせながら呟いた。
「そういうことだ。とりあえず俺が戻ってくるまでは暗記をしていろ」
「あの、先輩は?」
「俺はお前が今日登録したブロンズ冒険者の書類整理をしてくる」
「えっ! あの、それは私が――」
「お前は早くその資料の山を覚えろ! 急ぎだ! 全部だぞ!」
「は、はひいぃぃっ!」
くわっ! と効果音が鳴りそうな睨みで立ち上がろうとしたアヤをそのまま座らせたヴィルは、アヤが持っていた書類を奪い取って個室を後にした。
「……よ、よし! 頑張るぞ!」
最初はぽかんとしていたアヤだったが、ヴィルの好意を無下にしないためにも目の前の資料の山と向き合うことを決めた。
山の一番上にある資料を手に取り内容を確かめていく。
「えぇっと、これは……初心者のダンジョン、ランクはG、塔タイプの五階層……」
ダンジョンにはそれぞれに名称が付けられており、ランクとどういった種類のダンジョンなのか、階層まで事細かに記載されている。
これはダンジョン管理組合の職員自らが冒険者と共にダンジョンへと潜り調査した結果をまとめているのだ。
仕事の中にあるダンジョンの攻略、それはこうした資料を作るために必要な業務だった。
「基本のモンスターはスライムやゴブリン……へぇ、三階層から上にはシャドウパイクやミニパンサーもいるんだ」
ぶつぶつと呟きながら資料の山に立ち向かうアヤの後ろには個室の扉がある。
事務所に戻ったと思っていたヴィルだったが、実は少しだけ扉の前に立って時間を潰していた。
しばらくして扉をゆっくりと開けるて見えるのはアヤの後ろ姿。
一度集中すると周りが見えなくなることを知っているヴィルは、その姿を見て安堵する。
「……この調子なら大丈夫だろう」
笑みを浮かべながらゆっくりと扉を閉めたヴィルは、今度こそ事務所へと戻り書類整理を始めたのだった。
※※※※
「……火のダンジョン……ランクF……地下洞窟タイプ……七階層……」
「――」
「……熱波あり……暑さ対策必須……モンスターは……」
「――い」
「……今度はこっち……」
「――おい!」
「ひゃい!」
あまりに集中し過ぎていたために扉が開いた音も声を掛けられていることにも気づかなかったアヤは、変な声を上げて驚いてしまった。
振り返ると溜息をついている最中のヴィルが頭を掻きながら睨んでいた。
「す、すみません! 気づきませんでした!」
「……いや、だいぶ集中してたみたいだな」
「……はい」
ヴィルは机に広げられた資料をチラリと目にして表情を笑みに変える。
「よく頑張ったな。ほら、これ飲めよ」
「……へっ?」
「コーヒーだ」
カップを受け取ったアヤは中で揺れる茶色の液体とヴィルの顔を交互に見ている。
「安心しろ、ミルクと砂糖をたっぷり入れた甘々コーヒーだ」
「そ、そういうことじゃありません! ……その、ありがとう、ございます」
「おう」
資料が汚れないようにとヴィルがアヤの目の前に広がっている書類に手を伸ばす。
「あっ! わ、私が――」
「お前は休んでおけ。それに、それを持ったまま動かれるとこっちが怖い」
「うっ! ……はぃ」
右手で取っ手を掴んでいるものの、左手も添えてゆっくりとコーヒーを口に含むアヤ。その視線は目の前のヴィルに注がれている。
「……なんだ、どうしたんだ?」
「ぶふっ!」
見つめていることを見られていたと思ったアヤは口に含んでいたコーヒーを吹いてしまった。
「おいこら! お前、資料が汚れるだろうが!」
「ご、ごめんなさい!」
「あぁ動くな、これ以上は動くな、マジで動くなよ!」
「……はいぃぃ」
恥ずかしさに耐えることができず今度は下を向きながらコーヒーを飲む。
何とか資料にはねることを阻止していたヴィルは顔に付いた水滴を拭いながら片付けていく。
その時に資料に目を通していたのだが、顏には出さないものの驚いていた。
(もうこれだけの資料を読み込んだのか?)
ヴィルの予想だと一割でも読み込めていれば御の字と思っていたのだが、片付けるために手を伸ばした資料は二割ほどに達している。
(……これで緊張しいじゃなかったら即戦力なんだがなぁ)
自信をつければ冒険者登録窓口の時のように活躍してくれるだろうが、その前にはヴィルによるテストが必要となる。
見ているとその時が一番緊張しているように見えるので、そこをどうにかしてほしいという思いもあった。
(まあ、何とかなるか。実践向きだと考えればな)
資料を片付け終えたヴィルが奥の椅子に座ると自分のカップに口を付ける。
その時には飲み終わっていたアヤが申し訳なさそうに見ていることに気づいたので怪訝な表情で声を掛けた。
「……なんだ?」
「あの、制服が」
「制服? ……あー、帰ってから洗うか」
「わ、私が洗います! 汚してしまったのは私ですから!」
自分がコーヒーを吹いてしまったことで制服を汚してしまったことに負い目を感じていた。
「遠慮しとくわ」
だが、ヴィルは即答で断ってきた。
「でも!」
「お前、俺と変な噂が流れるかもしれないがいいのか?」
「……変な噂?」
色恋に鈍感なアヤは首を傾げながら聞き返してくる。
「……男の制服を洗って持ってくるなんて、付き合ってると思われても仕方がないと思うんだが?」
「つ、付き合う! いや、その、ダメですって!」
「だから断ってるんだよ」
「……はいぃぃ」
今日何度目になるか分からない落ち込みで背中まで丸めて下を向くアヤ。
その姿にヴィルは柄にもなく声を出して笑ってしまう。
「くくくくっ!」
「……笑いごとじゃないですよ、先輩」
「いや、お前の素の姿ってそんな感じなんだな」
「……へっ?」
「コーヒーを吹いた時もすみませんじゃなくてごめんなさいって言ってたし、さっきもあたふたしていたし、本当に面白いんだな」
「……先輩、ひどいですよ!」
「そうか? アヤを見ていたらそう思うのも仕方がないと思うがな」
「……もういいです!」
怒ったふりをするアヤにまた笑ってしまったヴィル。
そんなヴィルの姿にアヤも結局は笑みを浮かべてしまう。
すでにレイズ支部には誰もいない。エルフィンも個室の外から賑やかな声を聞いて何も言わずに帰っていた。
この後、二人はしばらく世間話を楽しんでから帰宅した。
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