第45話 モンスターが生まれる日(一)

 夕方の団体客に紛れて、等々力と左近は動物園に入った。


 入園すると、動物販売業者用のネーム・カードを付けて、まっすぐ従業員用の建物に向かった。


 従業員用の施設を歩いている。誰もが二人を見る。けれども、ネーム・カードをチラリと見ただけで、二人を気に留めなかった。


 左近と等々力は堂々と『商談中につき関係者以外出入禁止』の紙が張られた部屋に入った。


 部屋の広さはそれほど大きくなく、パイプ机と椅子が十脚置かれていた。部屋の隅にはホワイト・ボードがあった。窓にはクリーム色の遮光カーテンが下がっていた。


 カーテンを少し開けてみた。象の展示スペースの少し後に工事中のフェンスがあり、黒いクレーンのような機械が置いてあった。


 部屋の扉が開いて、工事業者に化けたアントニーと柴田が入ってきた。

 アントニーが晴れやかな表情で報告した。


「準備は終った。いつでも、象の展示スペース内から飛び上がって、園内通路に移動できるよ」


 左近を見ると、左近も準備万端といった様子で答えた。


「軍曹は等々力君について秘密の話があると、後藤さんを使って呼び出してもらったわ」


 策は整った。等々力は作戦の概要を説明した。


「まず、誰もいない象の展示スペースで、俺が一人で軍曹を待ちます。そこに、後藤さんが軍曹を連れてきます。後藤さんには、軍曹を象の展示スペースに入れたら、鍵を掛けて帰ってもらってください」


 ホワイト・ボードに簡単な図を書きながら説明した。


「俺と軍曹は、象の展示スペースで話し合います。俺は軍曹を適当に丸め込もうとします。でも、おそらく、軍曹は簡単には納得しません。話し合いは決裂します。俺が片手を高く上げたら、アントニーはトリックを発動。俺は象の展示スペースから脱出。脱出後、姿を消します」


 アントニーから左近からも問題点の指摘はなかった。後は四人で、いつどの場所で配置に就くか。各自がどの経路で園内から逃げるか作戦の細部を詰めた。


 作戦の細部が決まると、左近、アントニー、柴田が最後の下見に出かけていった。


 午後九時になり、園内の電気が落ち始めた。象の展示スペースだけが、中を照らされていた。展示スペースの外は灯りを意図的に落としたので、真っ暗になり、クレーンは見事に闇に紛れた。


 アントニーがズボンを差し出した。ズボンは、一見すると、サスペンダー付きのジーパン。


 けれども、サスペンダーはズボンとしっかりと固定されており、取り外しはできず、ベルトの部分も、かなりの強度があった。


 背面に来る部分には金具があった。

 ズボンを観察しながら感想を述べた。


「金具部分に紐を通して、一気にクレーンで空中に吊り上げるわけか。でも、サスペンダーは細いし、ズボンと固定してある部分も、それほど頑丈には見えないな。失敗してサスペンダーだけ壊れるっていう間抜けな事態には、ならないのか?」


 アントニーが得意気な顔で流暢に説明した。


「サスペンダーがあんまり大きいと、疑われるだろう。問題ないね。この世の中には蜘蛛の糸より細く、鋼鉄より丈夫な繊維があるんだよ。強度計算したけど、君の体重が二百㎏以上ないと、君が心配する間抜けな状況には断固ならないよ」


 等々力は、アントニーが用意してきたズボンに穿きかえた。

 等々力は象がいなくなった展示スペースに、アントニーと一緒に入った。


 アントニーは大きな紙袋を持っていた。アントニーが紙袋から黒い革靴を取り出し「靴を履き替えてくれ」と命令してきたので、素直に従った。


 靴を履き替えて、アントニーに誘導されながら移動した。ある場所に来ると、靴底が磁石になっているかのように、床に吸い寄せられる場所があった。


「足が地面に引っ張られるようになる場所があるだろう。そこが、トリックを使える位置だよ」


 アントニーが次に、紙袋から小型のナイト・ビジョンのような機械を取り出して装着すると、空中にある何かを掴むような動作をした。


 等々力に前を向かせて、サスペンダーを装着している背中に触ると「カチッ」という音が三回した。


 背後で作業するアントニーから注意された。


「気を付けて欲しいのが、軍曹に真横より後ろに来られた場合だ。真横より後ろに来られると、いくらロープが黒く細くても、見つかる怖れがある」


 等々力は直ちに解決策を思いついた。


「トリックが使える位置にいる状況が自然に見えるように、後で園内のベンチを持ってこよう。ベンチに座って待機位置で待てば、ベンチが邪魔になって、軍曹は俺の後ろに移動できない」


 アントニーがすぐに賛成した。

「それが無難だね。では、仕掛けが上手に作動するか、一度テストしよう」


 等々力が答える前に、等々力の身体がものすごい勢いで空中に引っ張られた。思わず声が出そうになった。等々力の体は後方にジャンプするように園内の通路まで移動した。


 注文通り、飛び上がれた。でも、姿は消えていない。


 アントニーから「右手を横に伸ばして、布を引いて」と指示が来た。布らしき物体は見えなかった。けれども、言われた通り手を伸ばすと、絹のような布の手触りを感じた。


 等々力が布を掴んで引っ張ると、体の上に布が落ちてきた。布を被った状態なので、周囲がよくわからないが、アントニーから「成功だ」の声が聞こえた。


 象の展示スペースからは姿は見えなくなっているのだろう。肩を軽く叩かれたので布をどけると、真っ黒な姿で暗視スコープをつけた柴田がいた。


 柴田は等々力に背中を向けさせると、背後で仕掛けを外してくれた。仕掛けを外すと、時計で時間を確認して、象の展示スペースまで戻った。


 等々力の足で十一分ジャスト掛かった。アントニーから仕掛けを片付けるまで六百秒と聞いていたので、象の展示スペースに入ったときに外から鍵を掛ければ、軍曹が展示スペースから出てきて等々力が消えた場所まで来たときには、痕跡は全てないだろう。


 仕掛けが問題なく作動する確認が終った。後は、アントニーと柴田に手伝ってもらって、園内にあるベンチの一つを象の展示スペースの中まで一緒に運んだ。


 ベンチを運ぶのは、少し苦労した。薄っすら汗を掻くと、すぐに柴田が気付いて拭いてくれた。軽くメイクもしてくれた。


 柴田はアントニーの怪盗業を手伝っているので、準備も手際も良かった。

 アントニーと柴田が隠れた。等々力も空気を消してスタンバイしていた。


 背後に夜の動物園は意外と静かだった。やがて、動物たちが少し騒がしくなってきた。


 ガニーが来たのだと、何となく理解した。象の展示コーナーの扉が開いた。


 ガニーと後藤老人が入ってきた。ガニーはスーツ姿だった。スーツ姿のガニーを見たが、予想以上に似合っていた。いつも見せるような危険な空気は、体の内側にでも押し込めたように隠していた。


 ガニーの姿から想像するに、身分を記者と偽って、後藤老人に接触してきたのだろう。


 等々力は空気を消すのを止めて、立ち上がった。

 途端にガニーが気が付き、いつもの荒々しい空気を醸し出した。


 ガニーがゆっくりと、等々力に向かって歩いてくる。打ち合わせどおりに、後藤老人が入口からすぐに戻って、鍵を閉めた。


 鍵が閉まった音がしたが、ガニーは慌てたりしなかった。

 ガニーが等々力から五歩ほど離れた位置で停まった。ガニーが険しい表情を浮かべつつも、懐疑的な口調で「お前が等々力か」と尋ねてきた。

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