第44話 伝説は蘇る(四)

 翌日に左近からシナリオが聞かされた。


「等々力君は動物園でアルバイトをしていた。象の檻に入って清掃をしていたところ、象が驚いて等々力君を踏み潰して圧死。慌てた園長が、裏社会の人間に事件の揉み消しを依頼。裏社会の人間は等々力君の死体を始末して、等々力の戸籍を私に売却。謎の人物が等々力に成り済ます形になったわ」


 おおよそ、考えて通りの形になった。後はガニーが筋書きを信じてくれれば、問題ない。


「では、最後に謎の人物は怪盗グローリーを演じた後、イラクのファルージャに帰ったように出国記録を作る偽装工作をしてください」


「いいわよ。でも、イラクに入ったあと、謎の人物の足跡は途切れるわよ」


「いいんです。イラクに俺に似た人がいるそうですから、勝手に勘違いして追うでしょう。軍曹は、きっとしばらく無駄足を踏んだ後、組織に戻りますよ」


 勝手に捜査を進めた軍曹がイラクに旅立てば問題ない。後は黙って、ウィークリー・マンションでゲームでもしながら、時間を潰せばいいだけ。


 等々力はゲームのコントローラーを握ると、計画はそう簡単にはいかない気がした。


「念のために、もう一工夫しておくか」

 等々力はアントニーに電話をした。すると、アントニーがすぐに出た。


「取引がしたい。一つ、売って欲しい物があるんだけど、いいか」

 アントニーは、もったいぶって答えた


「おかしいな。以前、君からは動かなくていいって、言われた気がするんだけど、あれは聞き間違いかな」


「前はもうこれ以上、関与して欲しくなかったけど、状況が変わった。欲しいものは、トリックなんだ」


「トリック」と聞いて、アントニーが興味を示してきた。

「それは、僕に何かを盗んで欲しいって依頼かい」


「怪盗が消えたのは間違いない。俺が欲しいのは、話している相手の前で、空中に十mくらい飛び上がって、忽然と空に消える。それでいて、後に証拠が残らないトリックだよ。怪盗をやっているアントニーなら、持っているかと思ってね」


「なるほど。マジックの種は、マジシャンの間で取引されている。僕もマジックが好きで、いくつか買ったよ。でも、観客と目の前で話している状況下でマジシャンがいきなり宙に浮いて忽然と消えるトリックは、記憶がないな」


「なら、作ってくれ。費用は百万ドル出そう。百万ドルでは安いというなら、売るのはトリックを一度だけ使う権利と考えてくれ。トリックの権利はアントニーにある、で構わない。どういう仕掛けになっているとか、詳しく教えてくれなくていいから。要は俺が空中に飛び上がって消えればいい」


「難しいね」と返事をしたアントニーだが、難しいから挑戦したいという雰囲気があった。


 挑発する意味で「アントニーでも無理か」と囁いてみた。

 すぐに「難しいが、やってもいいよ」と乗ってき。


 アントニーのトリックが完成すれば、最悪、ガニーと対峙する場面になっても、逃走に使える。


 五日後に左近から等々力に「事故死事件が有って、隠蔽したように見せる細工が終った」と通達があった。細工が終了した翌々日には早速「軍曹が食いついてきた」と連絡があった。


 等々力は黙って、マンションに潜伏しながら、あとはガニーがイラクに旅立ったと連絡があるのを待った。


 携帯が震え、左近から知らせが入った。

 等々力はすぐに電話に出て尋ねた。


「軍曹はイラクに旅立ちました?」

 左近から困惑した声が返ってきた。


「軍曹はまだ日本にいるわよ。それより、等々力君の行動が問題になってきたわよ。作戦が効き過ぎて、事件がおかしな方向に走り出そうとしているわよ」


 意味がよく理解できないでいると、左近が説明した。

「軍曹はリーさんが動いてブービー・トラップで家を爆破した行為を、まず突き止めたのよ」


 軍曹の捜査能力は高いので、微細な証拠からリーさんの関与を突き止める状況は、ありえる。されど、何が問題だったのだろう。


 左近が説明を続けた。


「軍曹が組織の情報網を使おうとしたわ。私が動いていたから当然、これ以上は関わるなと、中止勧告が入った。軍曹、敵はチャイニーズ・マフィアだけでなく、自分が所属するアメリカ系犯罪組織を動かせると、なぜか勘違いしたみたい」


 ありえない勘違いではないが、問題とは思えない。

 等々力は黙って左近の言葉の続きを聞いた。


「軍曹はさらに敵は、日本のテレビ局や携帯会社も自由にできるほどの財力があると思い込んだのよ。加えて、捜査していく上で、等々力君が日本政府の持つ公的情報も自由に操作できる権力を持っていると錯覚したわよ」


 随分と強大な敵と戦っていると思い込んだものだ。正体はただ、偶然金を手にしただけの大学生なのに。


 等々力はそれほど、深く考えず感想を加えた。


「なんか、日本を影で動かす黒幕的存在ですね。軍曹はいったい何を考えて、そんな勘違いを」


 左近が怒った口調で言い返した。


「それは本人に聞いてよ。軍曹だけならいいけど、軍曹が本気なだけに接触した周りも、なにやらファントムと名乗る大きな力が実際に日本で台頭しつつあると思い込み始めた節があるのよ」


 嫌な波及効果だ。軍曹には全く俺を追いつめる気がないだろうが、これは結構、利く。


「ちなみに、どの辺りまで、思い込みが広がっているんですか」


「リーさんの組織、軍曹の組織、日本政府やCIAの知り合いからもファントムってなんだって問い合わせが私の元に届き始めたわよ。放って置くと、これからもっと問い合わせが増えそうなのよ」


 ガニーだけ騙せればいいと思ったが、なんだか、おかしな事態になってきた。普段、冗談を言わないような存在だけに、みんなが軍曹に振り回され始めたのか。


「左近さんは、なんて答えたんですか」

 左近は呆れた口調で返答をした。


「当然、そんなものはない、って教えたわ。でも、私に接触してくる人物は、誰もが疑り深い人間なのよ。なんだか、否定すればするほど、隠していると思われて、困っているのよ」


 誰もが誰も真実を知らず、関係者に問い合わせると否定する。


 全員が相手は何か隠していると思い込む。各自が独自に捜査すると、中途半端に偽の証拠が出てきてファントムの存在を完全に否定できなくなる。


 疑っていると、やがて他の組織も捜査している動きを知る。他の組織に出し抜かれては堪らないと、焦って競争が始まる。結果、存在しないはずの、ファントムが実態を持ち始めた。


 もう、『オレオレオレ作戦』なぞと、気軽に言っていられなくなった。


 黙っていて火が消えればいいが、今までの成り行きからして、静観していると余計に悪い方向に事態が動き出す気がしてならない。


 そのうち、ファントムを名乗った便乗犯が大事件を起こしたら、もう手が付けられない。


 早いこと軍曹を丸め込んで、諦めてもらわないと。


「わかりました。少々危険ですが、早めに火を消しましょう。俺が軍曹と会って、決着をつけますよ。準備ができ次第、連絡するので、もう少し待ってください」


 等々力はすぐに左近の電話を切って、アントニーに電話した。

「アントニー、トリックの完成を急いで欲しい」


 アントニーが少し困ったように答えた。


「そんなに急に、トリックはできないよ。原型はできたけど、今のままでは応用性がないんだ。どこでも使えるものではないよ」


「原型があるなら、条件を限定すれば、できるんだろう。トリックを使える条件は、こちらで合わせるから、条件を教えてくれ」


「まず、日中は使えない。夜でも明かり多い場所ではダメだね。観客は一人ないし数人。観客は演者の正面にいてもらう必要がある。演者が空中に消えた後は、すぐに演者がいた場所に観客に来られると困る。せめて演者が消えてから、トリックを移動させる時間として、六百秒は欲しい。どうだい、まだ、すぐに使い物ならないだろう」


 等々力は話を聞いて、アントニーが出した条件を満たせる場所を思いついた。


「たとえば、夜の動物園なら、どうだ。相手とは一対一、見下ろすタイプの象の展示コーナーがステージになる。下の象の展示コーナーから、動物園の通路に飛び上がって消えるのなら、条件を満たしているだろう。設置にどれくらい掛かる」


 アントニーの口調が肯定的なものに変わった。


「現場を確認しないと、なんとも言えないね。でも、君の出した条件なら、使えるかもしれないね。設置は半日もあればできるよ」


「すぐに場所を教えるから、見に行ってくれ。仕掛けが可能だったら、動物園の園長にちょっとした工事をすると断って、準備に取り掛かって欲しい。動物園には左近さんの名前を出せば協力してくれるように手配しておく。仕掛けが完成したら教えて欲しい」


 等々力はアントニーとの会話を終えると、すぐに左近に動物園に連絡するように伝えた。左近から了承が来たので後は、アントニーの仕掛けが完了するのを待つだけ。


 翌々日には仕掛けが完成したとの報告をアントニーから受けた。

 直ちに左近に連絡を入れた。


「軍曹と会って、直に話をします。軍曹をおびき出す用意を、お願いします」

 左近は乗り気ではなかった。


「軍曹は等々力君を殺すつもりなのよ。やめたほうがいいわよ。話し合いにはならないわよ」


「話し合いにならないかもしれないですが、丸め込むつもりです。逃げ続けるのも限度があります。おそらく、やるなら今です。場所は動物園の象の展示コーナーです。安全を期して、アントニーに脱出用の仕掛けも作ってもらいました」


「どうしても、やるというなら止めないけど、それで、いったい誰に変装して会うつもりなの」


「ファントムです」

 左近が少しだけ驚いた言葉を口にした。


「存在しない人物の影武者をやるの」


「軍曹の心の中には、ファントムはいます。なら、ファントムになって会って煙に巻けば、軍曹は等々力を追わずに、ファントムを追尾していくはずです」

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