第43話 伝説は蘇る(三)

 天気も、雨が降りそうであり、時間帯も平日の昼間だったためか、動物園は閑散としていた。象の花子はまだ生きているだろうかと思って、象の展示コーナーに移動した。


 象の展示コーナーは、地面より十mほど低く作られており、上から象を見下ろすタイプの施設になっていた。施設は広く作られており、象が四頭いても充分なスペースが存在した。けれども、中には象が一頭しかいない。一頭だけポツンといるのは、花子だろう。


 花子は生きていた。生きていたというより、生き生きとしてエサを貪るように食べていた。別の象かと思ったが、空気は確かに花子だった。


 あれ、変だなと思って、ずっと花子を見ていた。花子は元気そのものだった。


 等々力は、もしやと思い、帽子を花子の檻に投げ入れた。帽子を投げ入れてから、動物園の人に「帽子が象の展示コーナーの中に入ったので取って欲しい」と頼んだ。


 しばらくして、象の展示コーナーに年配の飼育員が入ってきた。直感だが、死んだはずの後藤老人だと思った。


 等々力は完全に左近に騙されたと知った。騙したというより、シーンに酔っていて、左近が勝手に良い話を創作したといったほうが正しいのかもしれない。


 帽子を持って後藤老人が出てきた。後藤老人には全く愛想といった概念がないようだった。


 等々力は後藤老人に話しかけた。

「すいません、ちょっと、いいですか。パンジャブ象の花子が癌で死にそうだって聞いたんですけど、外に出して大丈夫なんですか」


 後藤老人が帽子を差し出して、不機嫌な顔で不快感の滲む声で答えた。


「どこで、そんな出鱈目を聞かされたんじゃ。ハナは癌じゃない。どこを見たら、死にそうに見える。それに、ハナは日本生まれのインド象。パンジャブ象なんて四十年も飼育員をやっているが聞いたことがない」


 やっぱり、嘘だった。でも、以前の花子は気が立っていたのは事実。

「でも、花子を以前に見たとき気が立っていましたよ」


 後藤老人が花子を見て話し出した。

「おそらく、生理の日だったんだろう。ハナは生理が来ると神経質になるからな。ハナは、まだ子供を産める年齢だし」


 後藤老人が寂しそうな顔で言葉を続けた。


「だが、ハナも、もういい歳だ。いつ、子供を産めなくなってもおかしくはない。ワシもハナに婿を迎えて、どうにかして、子供の一人も産ませてやりたいと思う。でも、こればかりは金の問題があってな。今のご時勢、どこの動物園も、金がない」


 等々力はさりげなく尋ねた。

「象って、一頭でいくらするんですか?」


 後藤老人は「若造の給与じゃ買えんよ」と答えた。それでも、聞くと「購入に一千万円、エサ代が年間四百万円じゃよ」と投げやりに言葉を残して消えた。


 等々力は以外に動物園ってお金が掛かるんだなと思った。


 園内の案内パンフレットを見ながら動物園を見て廻った。動物が入っていない檻もいくつかあった。


 パンフレットには、虎が大きく口を開ける写真があった。でも、虎の檻も空になっていた。


 空の檻を見ると、少し寂しくもあった。虎の檻からは、死の空気が漂っていた。

 帰りがけに出口のスタッフに尋ねた。


「動物園は、すっかり、人の気配がなくなりましたね。パンフレットの虎ですけど、いつ死んだんですか」


 動物園の年配女性の職員は、気まずそうに答えた。

「虎次郎は病気で、療養中なんです」


 等々力は引っ掛かりを感じたので、さらに聞いた。

「病気? 虎次郎って、そんなに高齢でしたっけ?」


「いえ、虎次郎は若いですけど、肝臓が悪くて、表には出ていないんですよ」

「動物園には、いるんですね。いつぐらいに来れば、見られますかね」


 年配の女性は困った顔で「すいません。こればかりは、わかりません」と答えた。

 等々力は家に戻って、一眠りした。


 携帯電話が鳴る音で、目を覚ました。相手は左近だった。


「やっぱり、だめだったわ。等々力君。園長が、協力したくないって。やはり、公営の動物園だから、大きな厄介事は嫌みたいね。園長の話では、仮に園長がよくても、象の責任者の後藤さんがうんと言わないだろうって。象の責任者がうんというわないと、うまくいかないわよ」


 等々力は「動物園に虎はいましたか」と確認した。

 左近から「あの動物園に虎はいないわよ」と即答された。


 解決法が見えた。


「左近さん。もう一度、動物園と交渉してください。キーワードは、動物です。園長には死んだ虎次郎と、若い牡と牝の虎、計二頭トレードをさせると申し出てください。おそらく、今、動物園は表沙汰にできない理由で、看板の虎次郎が死んで、困っているはずです」


 左近がすぐに状況を飲み込んだ。

「看板の虎が死んだ不祥事は、隠したい。でも、高額な動物を買えば、補助金を出している市の監査で引っ掛かる。有利な条件でのトレードなら、金銭が動かないし、虎を引き渡した経緯にすれば虎の死も隠せる、そういうことね」


「さらに、牡の象一頭に、象二頭分の餌、三年分を寄付する条件を申し出てください。後藤さんには、これは花子が結婚して子供を授かる最後のチャンスだ、と囁けば、渋々ながら折れるはずです」


 左近が交渉可能と見たのか、すぐに申し出た。


「いいわ、もう一度、その線で話をしてあげる。でも、等々力君の案だと、経費として五十万ドルは掛かるわよ。象や虎は高額なのもあるけど、今回のようなケースだと、動物取引業者に手数料を弾まなければならないわ」


「了承しました。ただ、結論は明日の午後五時までとしてください。おそらく、悩む時間があると、冷静になって危険な橋を渡るのを辞めようとなる可能性があるので。あと、交渉がいけそうだとしたら、追加で、さらにもう十万ユーロを出すので、アルパカでもレッサー・パンダでも動物をサービスで追加して構いません」


 動物園の寂れようから見て、金がないのは明らか。きっと、市からはさらなる収益改善や経費削減を求められている。


 けれども、経費削減も限界。看板動物も死んで新しい動物を購入もできなければ、収益改善も見込めない。行き着く先は閉園だ。園長は、さぞや苦しい立場にいるだろう。


 ここで若い動物のつがいが入って赤ちゃんが生まれたとする。動物の赤ちゃんは客を呼んでくれる。収益が改善していけば、市も廃止を簡単には決められない。


 人間には動機が必要だ。おそらく、園長と後藤老人も、虎を死なせてしまった仲間の飼育員のためや、動物園のためと大義が付けば動く。


 それに、実際に人が死んだわけではない。人が死んだ事実を隠したと噂が流れても、嫌がらせだと開き直れる。


 翌朝、午前二時に左近から電話が入った。


 最終的に動物園は、象一頭、象二頭の三年分エサ代、虎二頭、アルパカ二頭、レッサー・パンダ二頭、ライオン三頭、オオカンガルー二頭、シンリンオオカミ二頭、オジロワシ二頭、エゾフクロウ二頭、羊六頭と、過分な要求をしてきた。


 時間から言って、夜中に動物園の幹部を集めて、緊急会議で出した結論だろう。

 左近が確認してきた。


「動物園側の要求を全て聞くと、追加予算の十万ユーロだと、足りないわ。計算すると、追加でさらに五万ドルは掛かるけど、どうする? OKする? それとも十万ユーロ以内に収まるように交渉する?」


 足元を見られた気がする。だが、割り切った。

「OKしてください。ただし、きちんと協力するように言い含めてくださいね」


 どうせ、懐に入って来る金は表沙汰にできない、税金を払えない類の金だ。なら、市に代わって経営する赤字動物園の運営のために投入してもいいだろう。

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