第38話 怪盗はやっぱり死ぬかもしれない(三)
運転席で待つがインカムからは何も指示が来なかった。現状報告くらい欲しいものだが、何も聞こえてこなかった。あくびが出そうになるが、我慢した。
時計が午前二時を廻ったところで、モーター・ボートがゆっくり動き出した。動き出したが、予定と違い、ゆっくり河岸に向かっていた。故障かと思って、慌てた。
左近から切迫した声で通信が入った。
「予定が変更になったわ、車に戻って」
何事も予定通りにいくとは限らない。けれども、今回に限って言えば、予定通りにいって欲しかった。
モーター・ボートが河に着いた。急いで土手を登って、車に戻った。車に入ると、すぐに車は発進した。
「何がどうなったんですか」
「説明している時間はないわ。これから先に橋があるわ。等々力君は橋の上で待機よ」
記憶を辿った。確かに河の上流には、橋があった。
ただ、橋は高さが二十mくらいあった気がする。ボートから河に向かって飛び込むのではなく、橋からのダイブに変更になったのか。
「高さ二十mからのダイブって、下が水でも、死ぬ高さですよね」
左近が即座に言い返した。
「橋の欄干から、水面までの高さは、約十m。きちんと飛び下りれば、怪我しないわ」
(言い方を代えれば、下手な落ち方をすると、大怪我もしくは死ぬ危険せいがあるのか。でも、やるしかないよな。それに、リーさんは味方だ。飛び込むまで少しくらい待ってくれるだろう)
雨が突如、降ってきた。降り方は激しくもないが、優しくもない。
今朝の天気予報では降水確率は二十%だった。なので、降らないと思っていたら、裏切られた。
傘を差して、アントニーを待つわけにはいかないので、濡れるしかない。「嫌だなー」と思うが、受け入れるしかなかった。
橋が見えてきた。橋の横で車が停まった。
等々力は降りる前に付近を確認する。だが、人の気配はなかった。等々力は雨に打たれながら橋の中央まで移動した。
雨に濡れながら待つこと十五分。
気温は高いので、寒さは気にならないが、それでもいい気分ではなかった。飛び込む事態を想定して、橋から下を覗いた。暗くて高さはわからなかった。
五mと言われれば、五mの気もする。二十mと言われれば、二十mの気もする。左近は十mといっていたが、どうも、サバを読んでいる気がしてならない。
怖くなった。等々力は恐怖心を消すために、怪盗グローリーの空気を纏った。グローリーの空気を纏うと、恐怖心は消えた。
アントニーがどこから来るのか、わからない。橋の中央で左近の乗る車と反対側の道路を見て待っていた。
暗い雨の中、一台の車が停まった。アントニーが乗っている車だと思ったら、車から二人の人間が降りてきた。車は、よく見たら、パトカーだった。
(あ、あ、まずい、警察だ。絶対この姿を見られたら、職務質問だな)
等々力は逃げようと、二人の人物から背を向けた。その直後、等々力の頭上を何かが放物線を描いて飛んでいった。
なんだと思っていたら、放物線を描いた物体は左近の乗るワンボックス・カーを直撃した。ワンボックス・カーが火を噴いた。
日本の警察は、よほど逼迫した事態でなければ、無警告射撃はしない。さらに言えば、車を炎上させるロケット砲を、標準では携帯しない。つまり、パトカーは偽物だ。
振り返ると、燃え盛る車の炎おかげで二人の男の顔がわかった。ランスとガニーだ。ランスが携帯型ロケット砲を担いでおり、ガニーはアサルト・ライフルを所持していた。
ガニーがアサルト・ライフルを構えて、短く言葉を発した。
「怪盗グローリー。これで終わりだ」
ガニーまでの距離は二十m。いくら、暗くて雨が降っているとはいっても、ガニーが外すとは思えなかった。等々力は死を覚悟した。
ところが、ガニーは銃を構えたまま、撃ってこなかった。等々力が異変を感じていると、ランスもガニーの様子に異変を感じたのか、話し掛けている。
雨と英語のせいでよく聞きとれないが「どうした、早く撃てよ」的な言葉を言っている気がした。
ガニーが銃を構えたまま、大きな声を発した。
「ないとは思う。まさかとも思う。だが、念のためだ。グローリー、頭巾を取れ」
本物かどうか、確認したいのだろうか。
でも、グローリーの正体は不明のはずだ。顔の確認に意味があるとは思えない。等々力が「なぜ」と思っていると、「早くしろ」とガニーが命令した。
ガニーは心なしか、呼吸が荒くなっている気がした。
頭巾を脱いで、インカムごと河の中に放り込んだ。
等々力の顔を見て、ガニーがゆっくりと笑い出した。笑い声はどんどん大きくなり、最後は狂ったように笑っていた。なぜ、笑っているのか、不明だった。
ガニーが意味不明な言葉を叫ぶと、銃をフルオートで発射した。銃身が大きくぶれ、辺りに弾が撒き散らされる。死んだなと思ったが、生きていた。狙って撃ったものではない。でも、なぜだ。
ガニーは全ての弾を撃ち尽くしたが、銃の引き金を引き続けているようだった。ガニーが弾の出ない銃を、いきなり地面に撃ちつけた。明らかにガニーの様子がおかしかった。
ガニーが等々力を指差して、狂ったように捲くし立てた。
「これで、四度目だ! 四度だぞ。ターゲットだと思ったら、依頼人だと抜かした。次に会ったら、俺のライバルで、さらに次に会ったら、怪盗だと抜かしやがる。お前、俺をおちょくってやがるだろう。いったい、どういうつもりだ。本当のことを話しやがれ。てめえ、何者だ、何が目的だ、言え!」
ガニーの心理状態を理解した。ガニーは次々と役目を変えて、現れる等々力に混乱を来たしていた。しかも、等々力がガニーを狙ってわざと仕掛けていると、完全に思い込んでいる。
等々力が無茶な仕事と思う以上に、ガニーにとっては異常な出来事が身の回りで起きていると感じていたのだろう。
ガニーが狂気の篭った声を上げた。
「そうか、その顔、思い出したぞ。お前、ファルージャで俺が狙撃した、爆弾を抱えたハジのガキに、そっくりだ。奴の兄弟か。俺に復讐しに日本まで来やがったな。何度も前に現れるのは俺に忘れさせないためか。そうだ、そうだろう」
ファルージャがどこで、ハジとは何を意味するのか、全く不明だった。だが、確実なのは、ガニーにPTSDの症状が出て正気を失いかけている状況。
あと、一押しすれば、ガニーは崩れると直感した。
等々力は高校時代に幾度となく同級生を恐怖に落とした幽霊の空気を纏った。幽霊の空気を纏って、低いがよく響く声で「僕はお前を忘れない」と、おどろおどろしく口にした。
雨の中で低い声だが、等々力の声は確実に二人に聞こえたと感じた。ガニーが明らかに恐怖の表情を浮かべて怯んだ。ランスも、なぜか怯んだ。
逃げるなら、今だ。等々力は駆け出し、橋欄干に飛び乗り、暗い河に飛び込んだ。背後で銃声がした。
ランスにしろガニーにしろ、距離二十mで、暗く雨が降っている中で拳銃を撃っても、当たらなかった。
落下の衝撃が体を襲った。河は増水して勢いを増したせいか、体が思うように動かなかった。水を吸った衣服のせいで、体が思うように動かなかった。泥水が鼻や口に入ってきた。
苦しい。苦しみはいつまでも続くと思った。だが、不意に楽になった。「あ、これ、死んだかも」と正直に思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます