第23話 誘拐事件決着(五)

 銀行からの帰り道、左近の事務所に移動した。さっそく次の仕事の話題になった。

「次の依頼だけど、とある組織の暗殺者の影武者よ」


 本当に暗殺する側の仕事だった。

「マジですか? まさか、本当に暗殺しろとか、いいませんよね」


「勘がいいわね。もちろん、暗殺込みの仕事よ」


 確かに三百万ドル級の仕事なのかもしれない。だが、暗殺しろとか、技術的にも心理的にも無理だ。


「俺ができるのは対象の空気を纏うところまで。空気を纏ったからといって、技術までコピーできる保証はありませんよ。暗殺は不可能です」


 左近が当然だといわんばかり提案した。

「そこはプロについて訓練を受けてもらうわよ」


「俺は影武者であって、暗殺者じゃないんです。人殺しは御免ですよ」

 左近がとんでもない言葉を普通に口に出した。


「別に殺さなくてもいいのよ。殺されてもいいから」

 等々力は感情を抑えて控え目発言する。


「左近さん、こういう言い方を女性にしたくないですけど、もう言わせて貰います」

 等々力は正直に怒りをぶちまけた。


「貴女、気が狂っているでしょう。殺されたら、いくらお金を貰っても合いませんよ。そんなの、子供でもわかるでしょう」


 左近はどこまでも冷静に仕事の話を続けた。


「だから、そこは振りでもいいのよ。殺される演技よ。殺された振りなら、問題ないでしょ。今回の仕事はプロの暗殺者になりすまして、ライバルの暗殺者と戦うのが仕事。できるんなら、ライバルを殺して生き残ってもいいし、殺されたと思わせてもいいのよ」


 殺された振りならできる。できるけど、簡単ではないだろう。


 相手がグルのヤラセなら、難しくない。だけど、話では、プロが本気に殺しに来る。当然、殺しのプロの目を欺く、殺された振りとなると、厳しい。


 等々力は全くやる気がしなかった。代替案を出すように見せかけて断ってみた。


「全く気が進まない仕事なんですけど。別に、ライバルを殺してもいいなら、本当の暗殺者を百万ドルで雇って、戦ってもらえばいいでしょう」


「依頼人が引き受けた仕事の依頼上、そうはいかないらしいのよ。今回の依頼人は、ある組織の暗殺者。でも、普通に相手と戦うと勝てる可能性は五分五分。だから、影武者である等々力君を囮にして、敵が等々力君を狙っている間に、不意を衝いて始末する作戦なのよ。それに、これは等々力君に縁がある話でもあるのよ」


 等々力に暗殺者の知り合いなんていない。いや、一人いた。でも、まさか――。

 等々力は有り得ないとは思ったが、一応は聞いた。


「まさか、依頼人って、軍曹?」

「違うわよ。いくら私でも、そんな無茶な仕事は引き受けないわよ」


 等々力はホッとした。軍曹は隠家ごと機銃掃射を受けたうえに、ミサイルで吹き飛ばされたはず。


(これで生きていたら、映画のヒーローか化物だよな。でも、だとしたら、縁がある人って、誰だろう?)


 左近がすぐに言葉を続けた。

「暗殺者のターゲットが、軍曹なのよ」


(この女、正気か? というか、軍曹、建物にミサイルを撃ち込まれても生きていたの)


 等々力は状況を整理した。

「つまり、こういう成り行きですか。影武者の依頼人は軍曹のライバルで、暗殺者。俺はライバルの暗殺者として、軍曹の前に立ちはだかるって、仕事ですか」


 左近が笑顔で褒めた。

「よく、できました」


「よく、できました――じゃないでしょう! 軍曹の立場になってみてくださいよ。誘拐した金持ちの青年が、実は壮年の武器商人でした。そうして次に現れたら、敵対する組織のライバルの暗殺者でしたって、絶対に信用しませんよ」


「大丈夫よ。よくある話だから」

 等々力は即座に反論した。


「ありませんよ、そんな状況、絶対ないですよ。俺ですら、クレイジーだと思いますよ」


「有り得ない状況だから、人は信用するのよ。それに、話は着々と進んでいるの。もう、坂道を転がり出した雪玉のように止められないわ。このままだと、等々力君、軍曹の所属する組織と、依頼人の所属する組織から狙われるわよ」


 瞬間的に思った。

(あ、この女、やりやがったな)


 きっと、狙われるのは本当だが、狙われるようにしたのは、左近が誘導した流れだ。


 等々力は一応、依頼人の調書を見て、さらに驚いた。


 依頼人は中国人女性で、名前をチャン・リーとなっていた。チャン・リーは短い髪を後ろで結わえた、目つきの鋭い女性だった。


「影武者って、女性の暗殺者ですか」

「そうよ。裏の業界では鷹の目・リーで通っているわ」


「ライバルっていうくらいだから、軍曹は戦う女性だと知っているんですよね」


「そうなるわね。鷹の目・リーは、女性である点とドラグノフ狙撃銃を好んで使う点以外、素性不明の暗殺者。業界で有名ではないけど、知る人は知っている存在よ。私も今回、依頼人があの鷹の目・リーだと聞いて、裏を取るのに苦労したわ」


 等々力は、なぜか笑いが込み上げてきた。こんな無茶苦茶な話があるだろうか。狂気の沙汰とは、こういう仕事をいうのだろう。


 左近が笑顔で評した。


「よかったわ、引き受けてくれるの、じゃあ、明日から早速、訓練を受けてもらうわよ」


 とんでもない事態になった。今回の仕事はさすがに辞めたいが、断る理由が欲しい。


 等々力は歩いていて、新築マンションの前を通りかかった。何気なく看板が目に入った。


 新築マンションは売り出し中。売れ行き好調らしく、売却済みを示す花が八十%以上に付いていた。ただ、最上階は値段設定が強気なのか、まだ残っていた。


 一度は、新築マンションの前を通り過ぎたが、戻ってきてマンションの中に入った。


 ジーンズを穿いた大学生が入いっても、誰も対応に出なかった。等々力は「すいません」と声を上げた。でも、もう一度はっきり声を出すまで、対応してくれる人間が出てこなかった。


 もう一度、声を出す。すると、不動産会社の紺の制服を着た、大学を出たてと思われる年代の丸顔の女性の販売員が出てきた。


 等々力は家電量販店で家電でも買うような感じの声で聞いた。

「一番上の六千万円の部屋って、まだ、余っていますか」


「はい、六千七百万円の部屋でしたら残っていますが」


 対応は丁寧で笑顔だが、女性販売員が明らかに「冷やかしなら、帰れ」と言いたげな空気を出していた。当然の反応だ。


 等々力は全く気にしなかった。マジック・テープの二折り財布から、作ったばかりのブラックカードを取り出して「このカード、使える?」と聞いた。


 次は明らかに女性販売員が怪訝けげんな顔をした。


(それは、そうだろう。マンションの部屋をカードで買う大学生なんて来たら、俺でも怪しいと思うよ)


 だが、これでハッキリする。もし、カードが偽物なら、左近は等々力から詐欺的手法で十万ユーロを巻き上げた事実になる。


 抗議しても十万ユーロは帰ってこないかもしれないが、仕事は断る理由になる。

 女性販売員は「少々お待ちください」と上司に相談しにいった。待つこと、五分、等々力にとって悪い事態がやってきた。


 明らかに支店長クラスと思われる年配の男が出てきて「失礼しました、すぐにご案内いたします」と挨拶してきた。


 支店長は頭を下げて、両手でカードを等々力に返した。

 念のために「カードを使えるの」と聞くと、「もちろん、使えます」と答が返って来た。


 左近の紹介した金融機関は、本物だった。同時に、カードの上限額が六千七百万円以上ある事実も証明された。


 等々力は、そのまま最上階の部屋を見せられた。

 支店長は色々説明しようとしたが、説明を停めさせた。


 等々力は中をざっと見て「思ったより狭いな」と聞こえるように口にした。

 等々力は支店長に向き直り「やっぱり、いいです。思ったのと違ったので」と断った。


 支店長はすぐに「当社で扱うもっと広い物件をご案内しましょうか」と申し出た。

 等々力はアントニーで学んだ金持ちの空気を纏った。


「必要ないですよ。ちょっと、気に入った場所にあったから、空いていたら買おうかなと思っただけです。場所がここじゃないなら、もう他にも三軒も持っていますし。こういう買物って、その時その時のノリで決めるものでしょう」


 支店長は畏まって名刺を取り出して頼んできた。

「さようでございますか。では、また御必要の際には是非ご連絡ください」


「うん、また、気が向いたらね」


 等々力が新築マンションの販売場を出るときには残っているスタッフ一同が礼をして見送ってくれた。明らかに上客扱いの対応だが、いい気はしなかった。


 スタッフ一同のお見送りがまるで、等々力の乗る霊柩車を見送る葬儀の一シーンと重なって見えた。


 とはいえ、これで報酬三百万ドル・クラスの仕事が本当に存在する依頼だと、明らかになった。


 軍曹の「覚えておけ、ジョルジュ、もし、お前を殺す仕事が来たら、真っ先に受けて、お前を地獄に叩き落してやる」のセリフが頭に蘇った。

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