1.聖霊祭 その2

 聖霊祭の踊りを終え、ラクアとティズ、ティアラの三人は、泉から引いた水道を開けて、水を浴びていた。素足に水を当て、水をよく含む布を使って手足を清める。汗をかいた体に、泉の水は心地よく、男であるティズは上衣をはだけて服の上から水を浴びた。さすがに女のラクアたちにはそれは躊躇われ、布で汗を拭うのが精一杯であったが、それでも泉の恵みは有り難かった。

「…気付いたか?」

 ティズが視線を水桶に置いたまま訊ねた。ティアラが頷く。

「何が?」

 ラクアは足を洗う手を止めて、二人を見やる。

「離れた木陰の下にいた、男たちだ」

 ティズが答える。

「誰?」

 ラクアは乾いた布で、足を拭きながら聞いた。ティズがちらりとティアラを見る。

「…一人は、帝国の宰相だと思う。フードをかぶった男の方。もう一人は分からない」

 ティアラがティズに代わって答えた。

「ああ。どこかで見たことがあると思うんだが、思い出せない」

 ティズも同意する。

「…どうして、帝国の宰相が?」

 ラクアの質問に、ティズはふんと鼻を鳴らした。

「近々、帝国がここを攻めてくる、という噂がある」

「ま、噂だけどね、」

 ティアラは水桶の水を捨て、体の水を拭き取って、立ち上がった。

「帝国が…攻める?ティカルを?この聖地を?」

 呆然とした様子でラクアが呟く。ティアラは束ねていた金髪をほどき、ラクアをぽんと促して歩き出す。ティズがそれに続いた。

「いまのところ、噂だよ」

 水を含んだ髪と服を、ティズは犬のように体を揺すって水気を飛ばす。ティアラが迷惑そうに彼を睨んだ。そんな二人を追いながら、ラクアは突然の話に頭がついていかず、ただ二人を見つめるだけだった。

 三人が巫女姫が休む場として与えられている小屋まで行くと、そこには彼らの剣の師である、ザイール・ラジルが待っていた。三人を迎え、小屋の中へと促す。

 中で待っていたのは、もちろんファティマ・ドウルであった。

「ラクア、ティズ、ティアラ、お疲れ様。月読みの舞いもまたよろしくね」

 ファティマ・ドウルは眩しいほどの笑顔で三人を労った。彼女の目は見てはいても世界を映さないことを知っている三人は、頷く代わりに代わる代わるファティマ・ドウルの肩に手を置く。ファティマ・ドウルが嬉しそうに頷いた。

 ラジルが五人分の葡萄酒をテーブルに置いて、三人に座るように促す。ラクアたちはファティマ・ドウルを囲むように、テーブルに着いた。

「それはそうと」

と、ラジルが話を切り出した。

「お前たちは気付いたか?」

 葡萄酒を一口含んで、ティズが頷いた。

「ああ、帝国の偵察ですね?」

 頷いて、ラジルがティアラとラクアに視線を移す。

「そうだ。先んじて帝国側から書状が届いた。帝国の支配下に下る意志はないか、と」

 驚いて、三人はファティマ・ドウルに視線を送った。清らかなその面持ちからは何の表情も見て取れない。

「それで?」

 ティズがラジルに促した。

「不可侵の地である我らが聖地は、誰の配下にも下る意志はない、と返事を送った」

「…それで、近々帝国が攻めてくる、ということですか?」

 ティズの言葉に、ファティマ・ドウルもラジルも頭を振った。

「それは分かりません。どうしても、この地を掌握したいと望むならその可能性も否定はできません」

「でも、ティカルは過去二千年に渡って、どこの国にも属したことのない、不可侵の地なのに?それを、自分の支配下に置きたいって、どういうこと?」

 ラクアが信じられない、という面持ちで言った。その言葉に、ラジルが深いため息で応える。

「…お前たちも知っていると思うが、何年か前、ラズウェルド帝国の皇帝が代わった。ギナス帝と呼ばれる齢二十四、五の若い男だ。先帝の養子として育てられた者らしい。帝国はその男に代替わりしてから、だんだん勢力を拡大している」

 ファティマ・ドウルが頷いて、ラジルの言葉を引き取った。

「帝国がティカルに攻めてくるかは、まだ分からないわ。でも、海洋の国アルンのモ・ズールには手を出すでしょう。ティズ、あなたには、この祭礼が終わったら、すぐにアルン公国に行ってほしいのです。彼の国の軍隊を指揮して、帝国の脅威から救ってもらいたいのです」

「巫女姫、ティズは、秋の大祭には帰れるのですか?」

 ラクアが訊いた。それを制して、ティズは胸に右の拳を当て、承諾の意を表した。

「ファティマ・ドウル、お任せを。海洋国アルンのモ・ズールを帝国から守って見せます」

 ラクアが何かを言いたそうに一同を見渡す。

「秋の大祭には、キアルをティズの代わりに出そう。キアルは次世代の中でも剣舞いが得意だから」

 ラジルはラクアの肩を叩いて、ティズとティアラに頷いて見せる。ティアラは承諾するように頷き返した。

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