第3話 体育倉庫の怪
入学してから早くも四ヶ月が経過し、夏季休暇が始まった。
僕はといえば、相変わらず“何でも解決するマン“としての活動を続けている。
演劇部に届いた怪文書の謎を解いたり、家庭科調理室のポルターガイスト現象を鎮めたり(心霊現象ではなかった)、下駄箱に入っていた名無しのラブレターの差出人を見つけ出したり。
夏季休暇の間は学園内の設備点検等が重点的に行われている。
空き教室を作業員の休憩所として使用するのだが、飲み物や弁当の準備といった作業をする人手が足りないのだと担任に言われ、空園女史の視線を感じつつ、その作業を引き受けた。
そのお陰で僕は夏季休暇の間も殆ど学園に入り浸っている。
家にいても気が滅入って散歩に出掛ける(そして大抵の場合そこでも事件に巻き込まれたりする)だけなので渡りに船だったが。
部活動は行われているから学園内が静まり返っている訳ではないし、図書室も解放されている。
僕は殆どの時間を図書室の窓際の席で本を読んで過ごした。
昼ご飯の時間になると、僕は作業員さんが弁当を食べるのを見届けに行く。
それからポツンと一つ残された弁当を食べた。
毎日二種類の弁当を頼むのだが、その総数は作業員の数より一つ多い。
何故なら、賃金を出せない代わりに、昼食は自分の分も頼んでいいという契約だったからである。
塩気の効いた鮭が白米によく合う。
煮物も入った和風幕の内弁当だったが、やはり肉体労働者たちには肉の方が人気だったらしい。
その時の鮭が、今、文庫本と結託して僕を睡りへと誘っている。
エアコンの効いた図書室は心地良く、熱中して読んでいたはずの文字列がどんどんボヤけていった。
外からは野球部やサッカー部の掛け声が聞こえて来る。
眠い。
ねむ
「しんちゃん事件よ!」
「ひぇぇぇ」
「図書室ではお静かに」
耳元で密やかに、しかし力強く発せられた声。
それはここにいるはずのない人物の声で。
突然のことにあられもない悲鳴を上げてしまった僕が悪いのだが、どうにも納得できない。
何故僕が怒られなければならないのか。
僕は思わず空園女史を睨み付ける。
「ど、どうしてここに、っていうかいつの間に背後に……!」
僕の睨みを輝かしいまでの笑顔で打ち消して、空園女史は僕の隣の席へ腰掛けた。
「しんちゃんと一ヶ月以上も会えないだなんて耐えられなかったので。それに私、普通に近付きましたよ? しんちゃんがウトウトしていたのがいけないのでは?」
そう言われると反論しづらい。
僕らを包む制服が生地の薄い夏服に変わっても、空園女史の悩み事は分からないままだった。
僕からしてみれば空園女史は文武両道な上にお金持ち、さらに見た目もモデル級の完璧超人で、社宅暮らしの一般ピーポーである僕からしてみれば何の悩みも見出せないのである。
「悩みがないのが悩みとか?」
「その言葉が私の悩みをより深いものにさせました」
「えー」
そんな会話を思い出している場合ではない。
確かさっき、事件と。
「そう、事件なのです。体育倉庫に幽霊が出るのですって」
「はあ」
「夏季休暇に入ったばかりの頃、オカルト研究会が肝試しをしたのです。その際、施錠されているはずの体育倉庫の中から不気味な声がしたと」
「ひぃ」
「それだけで済めば良かったのですが、その肝試しの日以降、体育倉庫から夜な夜な声が聞こえるようになったのだそうです」
「ふぅん」
「今は丸一日部活動に充てられるため、夜遅くまで生徒が残っていることはないそうなのですが、夏季休暇が終われば部活動も夜遅くまで行うことになりますし」
「へぇ」
「夏季休暇の間に、幽霊騒ぎを解決してほしいとのことです。運動部の顧問一同からの依頼ですって」
「ほぉ」
「真面目に聞いてます?」
「はい」
さすがに怒られた。
最近になって気付いたことだが、いつの間にか僕にジャムパン買ってこいという人たちがいなくなった。
代わりにマジな依頼が増えていて、それらの殆どが空園女史を経由して僕の元へ届く。
「あの、もしかして僕の売り込みとかやってないよね」
「してますよ」
「しなくていいっ……!」
ばたり。
僕は机に突っ伏した。
「空園女史の悩みはあれかい? ワトソンになりたいけどホームズがいないとかかい? それで僕を探偵に仕立てて自分が助手になりたいとか?」
「今まで出た中で一番正解に近いです」
「え、うそ」
「本当です」
ますます分からなくなった。
まあ空園女史の悩みの話もこの際ちょっと脇に避けておこう。
とりあえず今は体育倉庫だ。
僕は読んでいた本を棚に戻し、空園女史と共に体育倉庫へ向かうことにした。
体育倉庫は校舎の裏手にあり、校舎から出て体育倉庫に向かう短い間にも僕の額や背中には汗が滲んだ。
どこからか響いてくる蝉の声が一層暑さを盛り立てる。
雲一つない空の下、エアコン対策なのか日焼け対策なのかカーディガンを羽織る空園女史も暑いのだろう、頰を赤く染めていた。
それなりの量の用具が収められているため、体育倉庫は教室二つ分くらいの大きさがあった。
運動部の活動中であるため、鍵はかかっていない。
体育倉庫は周りに茂る樹木や校舎のお陰で直射日光が遮られており、中は薄暗く少しひんやりしていた。
「何の音も声もしないね」
「夜でないといけないのでしょうか?」
「へくしょ! ぅえくしょ!」
「あら、夏風邪には気を付けてくださいね」
体育倉庫の中を確認して回るが、それらしき音や声は聞こえない。
開きっぱなしの扉から差し込む光に人の影が伸びたのに気付いて、僕は顔を上げた。
「あれ、貴方は」
「こ、こんにちは……」
「まあ、谷倉さん」
そこには、前に犯人扱いされていた谷倉氏が腕を組んで立っていた。
あの一件の折にはあまり顔を見ていなかったが、なかなか整った顔立ちをしている。視線が定まらずにきょろきょろしているのが何とも不審者めいているが。
「谷倉さんが何故ここへ? あ、いえすみません、運動部に所属しているイメージがなくて……つい」
「はは、お二人がここへ入っていくのが見えたので……あの、幽霊騒ぎの件で調査に来たのではないですか?」
「その通りです!」
僕が答えるよりも早く、空園女史が声を輝かせて食い気味に答える。
谷倉氏はその勢いに気圧されたのか、一瞬声を詰まらせ、気を取り直したように口を開いた。
「……その件で、お願いしたいことがあるのです」
「子猫の里親探しですか?」
「!」
「子猫? しんちゃん、何の話です?」
僕はくしゃみをした辺り、大量のカラーコーンの裏に隠された段ボール箱を持ち上げた。
そこにはタオルケットが敷いてあり、動物の毛が付着していた。
「不気味な声の正体は、段ボールに覆われ、体育倉庫内に反響した子猫の鳴き声だったということですよ。ふぇくしょ!」
「まあ!」
「あれだけの短時間で……」
「僕は猫アレルギーなのでね、すぐ気付きました。ぶぇくし」
「ああ、風邪ではなかったのね」
「うちの父も猫アレルギーなので、我が家には引き取れないんです。良かったら、里親探しに協力してくれませんか?」
組んでいると思われた谷倉氏の腕の中には、すやすやと眠る子猫がいた。
「なら、私が引き取ります」
眠る子猫の額の毛をさわさわと撫でながら、空園女史は即座にそう言った。
トントン拍子とはこのことか。
体育倉庫の怪も解決。猫の飼い主探しも解決。
最大の謎は解けないままだが、急ぐことはないだろう。ヒントも手に入れたことだし。
空園女史が猫に『かも』と名付けたことを知るのは、新学期が始まってからのことだった。
つづく>>
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