第二章 【従軍支援】
其の一 笑わせない芸人
梅雨の中晴れで、その日は朝から良い天気だった。
それでも山の中では生い茂る木々の葉に遮られ、陽の光が地表までとどく場所は多くはない。
山にはいつも食糧調達だけではなく研究も兼ねて入るのだが、けっきょく食料の山菜を袋いっぱいに詰めて帰るだけに終わってしまう。というのも、仮に野山で知らない野草やきのこを見つけたとしても、それを絵には描きとめるが、食べるわけにはいかないからだ。つまるところ、間違いなく食べられる山菜の知識を増やすには、他の研究者との情報交換を行うしかないのだ。
まだ陽は高かったが、持ってきた二つの袋は山菜でいっぱいになった。
「帰るか……」
やがて街道の付近まで山を下ってきたとき、エンの耳に男の声が聞こえてきた。
「~やがちゃ~てんかを~またばいにひっぱすん~」
何を言ってるのかはさっぱり解らないが、鼻歌交じりの歌声のようだ。
街道脇の切株に腰かけて休息する一人の男がいた。だぶついた山吹色の衣服に灰色の袴をはいている。そんな派手な見た目の通りの陽気な男なのか、彼は人通りのない街道で一人で歌っている。
「どこの歌だい?」
「!? な、なんつごとか!?」
不意にエンに話しかけられた男は、ひどく驚いた様子で切株から飛びのきながら、これまたよく解らない言葉を口にした。
「あぁ悪かったね、驚かすつもりはなかったんだよ。たまたまそこの山から下りてきたら歌が聞こえたものでね」
素直にそう謝るエンの前で、男は平静を取り戻したように直立すると、真顔でエンを見据えて言った。
「お主と語らうつもりはない。失礼する」
気に障られるほど話もしてないのだが、男は愛想もなく街道を歩いていった。その派手な背中を見送りながら、あれはきっと旅芸人だなと、エンは男の素性を予想した。
ただ困ったことに、男の去った方向がエンの帰る方向と同じだった。同じ道を歩いて追い付いてしまっては何とも気まずいので、エンは先程まで彼がいた切株に座って、少し休憩して帰ることにした。
歌はうたわなかった。
──
ハッと目を開いたエンは、街道の切株で居眠りをしてしまっていたことに気が付いた。時間を無駄にした後悔と共にそそくさと歩き出したエンが通い慣れた峠の茶屋に到着したときは、もう夕刻に近かった。
「あら、お帰りなさい」
茶屋のサヨちゃんが迎えてくれた。
エンは採ってきた山菜の袋を一つ、茶屋の奥へと持っていった。奥の台所には茶屋の爺さんが居たので、袋を手渡す。
「これ、おすそ分けね」
「ああ、おう」
爺さんは、無口の見本のような人である。なのでいつも、爺さんの分もサヨが喋ることになる。
「いつも悪いわね」
サヨはエンが帰ってきたのをきっかけに、店じまいを始めながら言った。
「エン、今日ね、旅の芸人みたいな人がお客で来たよ」
「あ、それ派手な衣服を着て、一人で旅してる男だろ? 俺も街道で見かけたよ」
背中を見送ったあいつのことだ。あの後、この茶屋に立ち寄ったのだろう。
「その旅芸人がね、ここで休憩したあと、里の方へ行ったのよ。労務局の人たち、宴会でもやるのかしら。 豪勢よねぇ、芸人を呼んで宴なんて」
「景気が良くて結構じゃないか。 その調子なら、しばらく仕事には困らなそうだな」
翌日は雨だった。
夏の雨は田畑を持つ者にはありがたい恵みであるが、忍という生き物は雨が嫌いだ。屋外で動きづらい、野営しにくい、戦いにくいなど、雨で良かったことがないからだ。
エンは労務局の広間にいた。
お仕事の紹介を受けるために訪れているのである。もちろんエンだけが招待されているわけではなく、広間には四十人に届くかという人数が入っている。雨の中を参上したため、みな揃って衣服の裾は濡れていた。
忍の里のお仕事には、大きく分けると二つの種類のものがある。一つは労務局受付の傍の掲示板に貼り出されていて、定員が埋まるまで募集されている自由参加型のもの。もう一つは労務局が候補者を選抜してお仕事を紹介し、その候補者たちに参加の意思を確認する紹介型のものがある。 今日のエンは、紹介型案件の説明会に呼ばれたのだ。
最後に労務局の職員であるタチバナが入室した。しばらく彼は、挨拶と雑談で場の空気を和ませると、案件の紹介へと入った。
「今回の案件は、従軍支援です!」
タチバナはそう言って、予定されている期間や報酬など、大まかな説明が行った。
従軍支援というのは、侍が行う戦に随行して、調査や伝達など戦闘以外の面で手助けを行うお仕事である。
とちらかというと潜入調査のように、コソコソと様子をうかがうような業務が自分の専門であると思っているエンとしては、戦場で立ち回る従軍支援というのは、自分には場違いなお仕事の説明会であるように感じた。
「よし、断ろう」
あっさりとそう決断した。
断ることに手続きは要らない。お仕事を受けると表明しないまま、期限が過ぎればよいだけだ。
席を立ったエンはもう、夕御飯に何を食べようかということしか考えていなかった。
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