其の二 戦場へ行こう

「は?」


「ですから、エンさんにはこの案件、ぜひ受けて頂きたいと考えていますので、どうか前向きにご検討ください」


 従軍支援と聞いて、案件を受ける気も無く退出しようとしていたエンに、タチバナは案件を受けるようにと話しかけてきたのだ。

 エンはタチバナの方を向いて、少し強い口調で言った。


「タチバナさんは、俺を殺そうとしてるんですか?」


「ん? 何故そう思うのですか」


「だって… 従軍支援ってのは戦闘案件でしょ。 俺は養成所でも戦闘は可もなく不可もなくの腕前、その後も戦闘訓練は積んでません。そんな俺を戦闘案件に駆りたてるのは、死にに行けと言われているようなものです」


 戦場を駆けまわるようなことをすれば、とうぜん敵にも狙われるし、遭遇戦での戦闘も想定される。


「エンさんは、ご自身への評価が厳しいようですね。 しかし、私はそうは見ていません。先の案件でも、あなたは最も危険な役回りを命をかけてやりきった。そんな仕事ぶりを見て、むしろ里としてはあなたに目をかけているのですよ。殺すなんてとんでもない」


「あれは運悪く俺の所が危険になっただけで、俺が危険を買って出たわけではないですよ」


「しかし見事に軍を誘導して、敵軍同士を戦わせました。その中でのあなたの動きは、里のことを考えて動いてくれていたと見ています。不幸にして依頼主が滅んでしまったために完了報酬とはなりませんでしたが、あの案件で求められていた我ら濃武の里側の達成条件は、あなた一人で満たしてしまったのですよ」


「かいかぶり過ぎです。俺は追われたから逃げただけです」


 とりつく島のないエンの返答に、タチバナは真剣な表情を作って話した。


「里としては、人材が欲しいのですよ」


「じんざい?」


「はい、『人材』の意味が、単に人の頭数というだけなら、この里はそれなりの数の忍を抱えています。しかし、種類ある忍のお仕事のそれぞれにおいて、組を指揮できる者となると、人材はかなり不足しています。私の求める人材は後者。濃武の里が時代に淘汰されず隆盛を誇っていくためには、人材の獲得は必須なのです」


「まぁ言ってることは分かりますよ。現状にあぐらをかいていると滅んでいくのは、先の案件で見たような小領主だけでなく、忍の里も同じだと言ってるんですね」


「その通りです。たしかに、自らが身を置くこの忍業界が競争社会であることを自覚して、日ごろ芸を磨いている意識の高い忍の方も一部にはおられます。エンさんが山菜を調べに山に入るのも、そんな一例だと思います。そういった向上心を持ってお仕事に取り組む方は貴重な存在ですので、里も大切に扱わせて頂きます。しかし、この里が最も欲している人材は、個人技よりも統率力です。この統率力には有事の判断が不可欠ですし、その判断には経験が不可欠な要素です」


 どうもタチバナという人は、弁舌がノッてくると熱く語り出すらしい。普段の落ち着いた物腰こそこの人の忍の術で、本来の彼は饒舌な人なのかもしれない。


「しかし、忍はみな個人事業主であって、里の従業員ではありませんので、労務局としては個々の忍の平素の生活や修練には口を出せません。そこで、われわれ労務局が素養を見込んだ忍には、その方にとって経験の浅い部分を充たすような案件を積極的に紹介するようにしています。 色々と経験を積んでいただいて、ゆくゆくはこの里の大事な案件で、主力として活躍できるように成長していただこうということです」


「俺のことを買ってくれているようなので素直に喜びますけどね。でも、俺にそんな高い志はないですよ。得意なのは安全な場所からの潜入調査ですからね、芸にすらなっていない」


「ですからエンさんには潜入調査に固執せず、色々なお仕事を経験してほしいという話です。ですから、今回の案件を含め、面白そうなお仕事は案内いたします。もちろん受けるかどうかは、あなたの自由です」


 褒められて期待を寄せられた。数ヶ月前までのエンなら心から喜んだだろう。しかし今のエンの気持ちが浮かないのは、やはり里は自分を消したいのではないかという疑念を持っているせいである。


 あの晩、力尽きて倒れたエンの場所を労務局員に知らせた老人というのは、濃武の里の目付とみて間違いないだろう。

ということは、目付はエンの行動を見ていたということになるが、問題はいつから見ていたかである。

 もし、エンとガクが闘っている途中から見られていた場合、エンは仲間を殺した上にその事実を隠していると受け取られかねない。

 さすがにその場合は、エンは労務局から追求を受けるだろう。ところが、追求がないということは、目付はガクが敵軍を手引きしてきた時点で、すでにその様子を見ていた可能性が高い。

 そうであれば、労務局はガクの裏切りを知っていることになる。忍が依頼主の情報を敵に知らせるなんて事実は、今後の信用問題に関わる、里にとっては決して世間に知られたくない失態だ。


「里のことを考えて動いてくれていた」先ほどタチバナはエンにそう言った。

 ガク本人に加え、ガクの裏切りに関わったほとんどの人が死んだ今、エンだけが裏切りの事実を知っている。そのエンが、ガクの裏切りについて報告しなかったのだ。

 もし報告していれば、事実は正式に記録へと残り、多数の人に知られることになっただろう。エンとしては同じ組の仲間と殺し合ったなどと言いたくなかっただけのことなのだが、報告しなかったことで結果的に、里は不名誉な事実を広く知られずに済んだのだ。

 果たして労務局は、素直にエンに好意を向けてくれるのか、それともエンを消して口を封じたいと思うのだろうか。



 外の雨は小降りになっていた。

 労務局の裏手の小道には木が点々と植えられており、木陰には椅子が置かれている。ここなら濡れることはない。エンは腰を下ろし、しばらく考え込んだ。


 従軍支援といっても、あくまで戦うのは侍だ。忍が矢面に立って敵の戦闘部隊と戦うことはない。

 もしも忍が戦場で侍と対峙した際には、忍の方がさっさと逃げるのが常識だ。忍は戦いの専門家ではないからだ。

 では、敵味方の忍同士が戦場で対峙した場合はどうか。

その場合は闘って殺すこともあるし、かなわないと判断すれば、逃げることも許される。

 侍と違って忍は、死ぬことに美学を持ってはいないのだ。

 つまるところ、従軍支援が戦場でのお仕事といっても、闘うことがお仕事の目的ではないので、戦闘力の高い忍ばかりが派遣されるような現場ではないということだ。エンにもやれるかもしれない。


『受けてみるか……』


 エンが前向きさを動員して心を決めたとき、五十歩ほど離れた木陰の椅子に腰掛けた男がいた。

 派手な身なりに憶えがある。


『あ、あの旅芸人だ』


 独りのようだが、口もとに動きがみえた。


「・じゃどん~・たたかいば・~ごわど・~」


 エンの読唇術をもってして、これほど難解なものはこれまでなかった。ほとんど何を言ってるのかが解らない。

 ふとエンは、昨日のサヨとの会話を思い出した。

 エンはあの男の派手な出で立ちと妙に馴染まないあの歌から、あれは西国の狂言師であると予想した。それに対しサヨは、あれは上方の立ち漫談系のお笑い芸人だと言った。お笑い芸人というエンの聞いたことも無い芸種を主張して譲らなかったサヨのためにも、ここは事実を確認してやろうと、エンは派手な男の方へと歩いていった。

 男もすぐに近寄ってくるエンに気づいた。すると男はすっと立ち上がり、エンに鋭い目を向けて言った。


「またお主か。ここの忍だったのだな。だがお主と語ることはないぞ」


 愛想もなくそう言うと、今日もエンの前から立ち去っていった。

 なぜか緊張感のようなものが滲み出た旅芸人だ。あれで人を楽しませることなどできるのだろうか。

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