其の九 目付に拾われ

 目付という役目の人がいる。

 いるらしい、といった方が正確な表現かもしれない。

 武士の世界では、戦において目付という役目の者が戦の一部始終を監視し、敵味方の行動や働きを主君に報告することが常識となっている。

 そんな目付が忍の業界にも存在するというのだ。

 里はお仕事で忍を派遣するにあたって、実は案件を遂行するメンバー以外にも密かに忍を選抜しており、目付として何処からか見守らせているという。また場合によっては、派遣される忍の中に、目付の役目も密命として負っている者が含まれているパターンもあるらしい。

 これらは、まことしやかに語られている噂である。


 夜中の話だ。濃武の里の三人の職員が待機している領境付近の本部に子供が訪ねてきた。

 人目につかない場所を選んで野営していたにもかかわらず、それも夜中に子供だ。当然三人は警戒した。怖すぎて逃げ出したい気持ちを抑えて身構えた。

 子供は、見知らぬ老人に指示されてここに来たのだという。そして子供曰く、その老人は「お前たちの仲間が森で倒れている」と言っていたそうだ。

 それだけを伝えると、子供は去って行った。褒美を要求しないところをみると、すでに老人から貰っているのだろう。

 疲労で力尽きたエンが保護されたのは、それから三時間ほど後のことだった。



「その老人は目付だったのではないか?」


「まさかあのガキが目付だったとか?」


「いやいや、さすがにそこまでの変装をこなせる者が、濃武の里にいるとは思えん」


 ── 何の話だろう


 薄らと意識の戻ってきたエンは、まどろみながら考えた。今夜体験したことが、次第に記憶から読み出されてくる。


 ── そうだっ!


 目を見開いたエンではあったが、意識がはっきりしたと同時に、身体の痛みもはっきりとして動くことができなかった。


「よう、目が覚めたか」


「無理に起きなくていいけど、話くらいはできるかい?」


 里の見知った顔がそこには居た。たしか、今回のお仕事で忍を引率してきた労務局員たちだ。仲間に収容されたと分かってエンの心が落ち着いたその時、丙谷領へと入っていた忍が飛び込んできた。


「おい! すでに戦が始まってるぞ!」


「えぇ!?」

「戦って、誰が?」

「明日以降じゃなかったのかよ」


 分かり易いくらいに、場が混乱した。


「丙谷領に軍勢が入ってきて暴れてるんだよ」


「えぇ!?」

「暴れてるって、誰が?」

「明日以降じゃなかったのかよ」


 忍の報告の一言々々に、いちいち驚きの反応をみせている。不測の事態に際しての発言や立ち回りにこそ、その者の経験や資質が見えるというが、これはダメな人たちだ。


「丙谷の主力は、すでに壊滅したらしい。そこへは今、ウチの組員が様子を確認しに向かってる」


「えぇ!?」

「壊滅って…… 何でほんとに戦ってんの?」

「明日以降じゃなかったのかよ」


 じつに頼りないこの労務局員たちは、まだ新人なのだと察するエンだったが、先ほど漏れ聞こえてきた彼らの会話には、気になる内容もあった。


『そういえば、さっきコイツらは目付がどうかってを話してたな。目付は労務局が放つものなんだから、コイツらは知っていてもおかしくないのに。それを知らないということは、目付の存在は労務局の中でも上役にしか明かされていないんだな』


 一同はしばらく騒然となっていたが、ひとしきり騒ぎ終えると、さすがにこのタイミングで森に倒れていたエンがこの件に無関係ではないだろうと思い至った。


「なぁ、倒れてたあんたは、何か知らないかい?」


「甲田と丙谷の領境あたりで、両軍が戦ったんだよ。 甲田勢は丙谷勢を一蹴して、丙谷領になだれ込んだのさ」


 身体は重かったが口は動いたので、エンは寝転んだまま周囲にそう語った。それに対する職員の反応は能天気なものだった。


「それって、我々の計画が成功してるじゃん」


 ── じゃん じゃねー、よく考えろ。


「毎年、戦わない両郡が、夜中にいきなりバチバチの戦闘をやったのが、おかしいと思わないのか?」


「あぁ、たしかに!」


「短時間で一方的に決着がつくのは、おかしいと思わないのか?」


「あぁ、たしかに!」


 労務局員たちからは、張り合いのない返事しか返ってこない。

 エンは、どうやら甲田家がどこぞの大国と手を結んで、精強な援軍に丙谷領へと侵攻させたこと、そのため、迎え撃った丙谷勢では歯が立たなかったことを教えた。


「それじゃあ乙村が甲田を攻めても……」


「そう、本物の甲田勢が応戦してくる」


「じゃあ、案件は失敗……」


「それどころか、甲田の援軍はこれだけの速さで丙谷を蹂躙してるんだ、きっとこのまま、乙村領へも攻め込むんじゃないか?」


「えぇぇぇぇ、何だよそれ。どうしよう……」


 ここは濃武の里方の作戦本部であり、彼ら三人は作戦全体の司令塔である。その塔が、狭い部屋の中でワタワタと動き回っているのだ。たまらずエンが意見する。


「まず、一人は濃武の里へ走って、タチバナさんあたりに指示を仰ぐべきじゃないかな?」


「そ、そうだな。 すぐに行ってくる!」


 自分たちではどう対処すべきか分からないといった様子だった彼らは、上役に指示してもらうという提案に表情を明るくした。


「あと、今のうちに乙村家へ状況を教えておいてあげるべきじゃないか? 前金はすでに貰ってて、成功報酬は無さそうとはいえ、滅ぼされるとしても、我々のお客様なんだから」


「ああ、分かった。 すぐに行って、せめて事前に伝えておこう」


「あと、一人はここに残って、里の指示がくるまでに忍を集合させておこう。きっと里からの指示は、『撤収』でしょうから」


「おう、了解した」


 なぜかエンが職員に指示を出す形になっていた。あとで落ち着いてから怒られるんじゃないかと不安になる。

 ともあれ、エンの指示を受けた本部の職員が慌ただしく動き出した。

 一人が指示を仰ぐべく濃武の里へ走った。

 また別の一人は状況を知らせるべく、乙村氏の元へ走った。

 そしてもう一人は、散っている各組をこの本部に集結させるべく、報告に戻ってきていた数人を連れて森へと消えていった。

 もはや乙村家は三郡を征するどころか、命運が尽きようとしているのだから、濃武の里としても完了報酬は見込めない。そうなると、もはや撤退しかないだろう。



 翌々日、濃武の里の忍たちは、里へと撤収することとなった。

 全員が揃って移動する必要はなく、個々のやり方で引き上げればよい。

 エンもこの時にはもう、ある程度動けるようになり、肩を借りれば峠も越えられるくらいに回復していた。ただし、万全ではないこともあり、トキが付き添っている。

 昨日、労務局員から話を聞かされて以来、トキは浮かない顔をしている。というのも、今回の案件での里の犠牲は死者が一名、負傷者が一名の二名だけだったのだが、その二名が二人とも自分の組員だったからだ。


「すまない、エン……」


「もういいって、そんなに謝るなよ」


 もう何度か、こうやって謝られている。ガクが死んだのもトキの指示ではなく、本人の意思で動いた結果なので、トキのせいではない。


「それはそうとトキ、俺が侍たちに追いかけられていた時、俺たちが潜伏していた茂みの近くも通ったはずなんだけど、お前はあの時どうしてたんだ?」


「おれはすでにあの茂みには居なかった。 だから追われるおまえを見てはいないんだ……」


「そうか……なら、すでに本部へ報告に向かっていたってことか?」


 エンに肩を貸すトキの体が、ビクッと反応した。


「あ…… ああ、そうだな……」


 明らかにトキの挙動がおかしくなる。怪しく感じたエン、少し話を突き詰めてみる。


「お前の報告で甲田軍の出撃を知っていたにしては、甲田軍が戦闘を開始していると聞いた時の労務局の連中は、驚きまくっていたぞ」


 またしてもトキの体が、ビクッとした動きがエンに伝わってくる。


「お前…… 本部に報告に行ったんじゃないな。 言ってみろ、街道から離れて、報告にも行かずに、何をしていた!」


「う…… うさぎを……」


 エンは思い出した。エンが商人に扮した忍を追うためにトキたちから離れる直前、トキはガクが獲ってきた兎に異様な執着を見せていたことを。


「まさかお前、あの時……」


「う、うん…… エンもガクもすぐに戻ってくると思って…… 森の奥へ行って兎の下ごしらえをして……ました」


「念のために聞いておくが、その兎はどうなった?」


「みんな戻ってこないし…… 腐らせるのも勿体ないと思ったから……」


「ぜんぶ食ったのか」


 トキは黙ってコクリとうなすいた。


「俺が命懸けで追われてるときに! てめえーぶっ殺してや、あぁ、こら、離すな……ぶっ殺されながら肩を貸せ!」


 このあとトキは、許す代わりに酒をおごる約束をさせられた。

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