其の八 決闘
「何者か!」
前方にあって行く手を阻む大勢の中の一人が、エンに向かって叫んだ。
もちろんエンには答える義理など無く、むしろ同じ質問をエンの方がぶつけたいくらいだ。
夜間に大勢で動いているということは、彼らもどこかの軍なのだろう。少なくとも後ろから追われている今、前からも挟まれたこの状態でじっと止まっていることが、一番の悪手だ。
エンは懐から光り玉を取り出して、右の木の幹に投げつけた。
一瞬だけだが、玉は強い光を発した。
前方の軍、とくに前例の兵が不意の眩しさに思わず目をつむる。その一瞬の発光に紛れて、エンが左の並木の隙間へと飛び込んだ直後、ここまでエンを追ってきた黒い軍の先遣の二人がこの場に到着した。
並木の裏に回ったエンの耳に、街道を飛び交う怒号が聞こえた。
『恐らくここが、戦場になる』
エンは草の上に倒れ込んだ。ここまで走り続けてきたエンの息は上がり、息を殺したくてもゼイゼイと荒い呼吸になってしまう。
エンが飛び込んだ並木の裏の草むらは狭く、その奥はすぐに草の生えた急斜面になっていた。仰向けになったまま見上げると、大人三人分くらいの高さの土手のような地形だった。
ようやく少し息の整ったエンは立ち上がり、並木が隠してくれているその斜面を、這うように登っていった。
斜面を這い登りながら、エンは先程の前方に立ち塞がった者たちのことを思い出していた。一瞬のことではあったが、光り玉に照らされた者たちの中に、見知った顔があった気がしたのだ。
エンは斜面を登りきった。上から街道の方を見ると、木々の隙間から街道の様子が見えた。
先ほどまでは無かった明かりが、街道で揺れている。たいまつを持った黒い軍の先鋒部隊が追い付いて来たのだろう。
前方の丙谷領の方から現れたあの軍が丙谷軍であれば、思惑とは少々異なる展開ではあったが、形としてはエンは無事に逃げ切り、甲田の軍を丙谷軍にぶつけることに成功したことになる。
街道の明かりを眺めながら、その場に座りこみたいと思ったその時、エンのいる土手の上に一人の男が姿を現した。
「やっぱりガクだったな」
「ああ、今夜エンに会えるとは思わなかったよ」
そう、あの一瞬の光の中でエンが見たのは、ガクの姿だった。ガクもまた、一瞬の光の中にエンを見た。そして兵同士の戦闘が始まった時、ガクも草むらに入ってエンを追ってきたのだ。
「エン、おまえ一人で、ここまで甲田軍を引っ張って来たのか?」
「ああ。 速さには才能が要るけれど、持久力には根性が必要なだけで才能は要らなかったみたいだね」
「ふん、そのおかげで丙谷軍は、こんな所で遭遇戦を行う羽目になったよ」
下で黒い軍と戦っているのは、やはり丙谷軍で間違いがないらしい。
「ガクは二重スパイだったのか?」
「結果的にな。たしかにオレは丙谷の人間だが、この案件を紹介されたのは偶然さ」
ガクは刀身の短い剣を抜いた。エンの武器はクナイが二つのみ。そのクナイを両手に持って構える。
「おまえに恨みはないが、死んでもらう」
ガクはそう言うと、エンに向かって一足跳びで突きを放ってきた。
エンは胸の前でクナイを交差し、突き出されるガクの剣を左から受けて、右へといなした。
かわされて前のめりになったガクは左足で踏ん張って止まり、返す刀で振り向きながら横凪に斬撃を放ってきた。
だが、さすがにこの動きは、受けに回っているエンには見切ることが出来たので、後ろに跳んでかわした。
ガクはエンの意外な身のこなしに少し驚いた。
「偵察専門かと思ってたが、おまえ武術もいけるのか」
「まぁね」
これは嘘である。
昼間にガクが狩ってきた兎は、罠にかけて獲ったものではなく、どれも剣で突かれて仕留められていた。エンはそれを憶えていたので、ガクの攻撃は突きでくると読んだのである。
また、二撃目の横凪は、あの前のめりな体勢から繰り出せる攻撃はそれ位しかないと思っただけだった。
いずれも咄嗟の剣技で対応したわけではない。
「この後どう転ぶにしても、お前が生きていると都合が悪い」
「だろうね」
おそらくガクは、今回の依頼主である乙村氏の動向を、丙谷氏に知らせていたのだ。
そして、このタイミングで丙谷軍が出てきているということは、毎年馴れ合いの戦を行っている甲田氏を今年は本気の不意打ちをもって短期のうちに倒してしまい、乙村氏の侵攻の前に備えを敷いてしまおうという腹なのだろう。
もちろん丙谷には、乙村の企みを甲田にも知らせて、共同で乙村にあたるという選択肢もあったはずなのだが、そうしなかったあたりに丙谷の色気が見える。
ガクとしては、今夜の出来事を乙村が知るのに先んじて丙谷軍を動かすためにも、そして今後ガクが濃武の里へ二重スパイとして戻るためにも、事情を知りすぎたエンは邪魔だった。しかしガクは、いま自分の身のまわりで展開している物事の核心の部分を分かっていなかった。
「でもなガク、お前がこれから先の、どれだけの成り行きを想定してるのかは知らないが、すでに丙谷の計画は破綻しているんだぜ」
「どういうことだ?」
「あそこで丙谷軍が戦っている相手は、甲田軍じゃない」
「はぁ? 何を言ってんだ、おまえ」
「あれはタキガワ様の軍勢だよ」
そして二人は睨み合ったまま、一瞬の間があった。するとガクの表情に明らかに動揺の色が走った。
勘の良いガクは、真実を悟ったのだ。 月明かりでは分からないが、さぞかし血の気の引いた顔色をしていることだろう。
そしてさらに想像を膨らませ、丙谷軍はいま下で戦っているのではなく、一方的に殲滅されているのかもしれないと気付いた瞬間、ガクは思わず下の丙谷軍の方を見てしまった。
エンは一気にガクとの間合いを詰めつつ、クナイを一つガクの顔へ向けて投げた。
初めて後手に回ってしまったガクは剣を振り上げて、顔に向かって飛んでくるクナイを弾き飛ばした。
しかしその時には、すでにエンは跳躍していた。
「なん!?」
エンは守りが無くなったガクの膝へ、低空の跳び蹴りを決めた。 武器ではなく身体でぶつかってくるとは思っていなかったガクは、意表を突かれて対処ができなかった。
膝の皿を強く蹴られて苦痛に顔を歪めたガクは、後方へ吹っ飛ばされる形になったが、転ばされるのだけは避けようとしたため、両足で踏ん張りながら後ろに滑っていくように見えた。
しかし、急斜面までの距離があまりにも短かった。足を踏み外したガクは、それでも草をつかんで残ろうと手を伸ばしたが、その手は草をつかむ前に、エンの最後のクナイに貫かれた。
落ちていくガクが何と言ったのかは、エンには聞き取れなかった。
『アイツは俺を殺さなければいけなかったが、俺は自分の手でアイツを殺す必要がなかった。この違いは大きかった』
もしガクがそのことを理解していれば、エンがクナイによる攻撃ではなく、足場からガクを落とすための攻撃を仕掛けてくる可能性にも気付けたかもしれない。そもそもクナイは間合いが短く、武器を持つ相手の懐に飛び込むリスクは、蹴りに切り換えても大差はないのだ。
電撃戦を行っている黒い軍は、相手に降伏の意思を確認して投降を受け入れるような戦い方はしないだろう。
そんな殺戮の場にガクは転がり落ちたのである。もはや命は無いだろう。
エンは助かった。
張り詰めていた気が緩んだ瞬間、いまだかつてない疲労がエンに覆い被さってきた。
『疲れて倒れるにしても、ここからは離れないと……』
エンはよろよろと歩き出した。
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