其の五 嵐の前

 甲田領内での潜入調査も、すでに四日目の午後を迎えていた。

 エンはといえば、相変わらず場所を転々と移しては遠筒を通して領民の会話のぞき見て情報となる言葉を追っていた。

 既にここまでで、有益な情報といえる言葉を拾うこともできている。それは甲田家が軍勢を招集する時期についてである。これは休憩中の農民同士の会話を読むことで、彼らへの召集が翌週であることが分かった。

 農民が決まった時期の祭りのように軍事のことを語っているのを見れば、そんな彼らを年中行事として戦に駆りたてる甲田という家はなかなかの武闘派であると言える筈なのだが、それでいて合戦を行ったことが無いというのだから不思議なものである。甲田家が世間にポンコツだと思われる所以である。

 さて、その他にも少々気になったことはある。それは領民たちの会話の中に出てきた何者かの苗字だった。苗字であるだけにそれが武士のことであると想像まではつくものの、甲田家中に詳しくもないエンではそれが誰なのか、そして情報として重要なものなのかが分からなかった。


 これらのことを詰めるため、エンは明日もう一度だけ、山菜博士となって領民に接触を試みることを決めた。



 ── 五日目の夜、甲田領内の森の中

 焚き火を囲む三人の忍は、エンが採ってきた山菜をかじっている。


「エンは格好だけじゃなく、ほんとうに食えるキノコを知っているのだな」


 エンは変装に信憑性を持たせるため、ある程度の山菜の知識を本当に習得していた。ガクはそこに感心したようだった。こうして自然の中で行う共同生活というものには、人の心の距離を近づける作用があるのだろう。今ではガクとも違和感なく会話ができるようになっていた。


「そりゃ山菜の専門家だと言って動き回るからね。何かたずねられても困らないようにしているだけさ。でもまだ素人の域は越えていないと思うぜ。お前が食ってるそのキノコだって、にわか知識で大丈夫そうなのを採ってきてはいるけれど、もしもそれが、見た目が似ているだけの知らない種類だったら終わりだよ」


「おいおい、もう食ったぞ…… お前しれっと何てこと言うんだ」


 そんな歓談の中でエンは、甲田家の軍事召集が三日後であることを二人に話した。これは昼間、わざと農民の近くで休憩し、彼らに世間話をするように話しかけて直接聞き出したものなので間違いはないだろう。

 これにはトキもガクも喜んだ。やはり終わりの見えない仕事というのは辛かったのだ。あと何日という目処が立たつと、意気込みも変わる。


 更にはついでではあるが、領民の会話から拾った何者かの苗字についても話してみた。ただし、これも読唇術で読んだとは言わず、今日の聞き込みの中で耳にしたという言い方ではあるが。


「なあ、タキガワさまって知ってるか?」


「ん? それは人の名前か?」


「ああ。領民同士の会話を聞いただけなんだけど、何度かその名が出ていたんでな。そうだな……とくに商人の間で話されていた。何かを買い込んでいる人物となると、戦に関わる職務の者かもと思ってね」


「知らないなぁ。 甲田家の家臣には詳しくないんでな」


 それもそうだ。エンが甲田の家臣なんて一人も知らないのだから、トキだって知らないのが当たり前なのだ。エンは期待はせずに他の苗字も口に出してみる。


「じゃあヨシダさまってのは?」


「お、聞いた憶えがある。そいつは甲田の家臣だ」


 ガクが食いついた。


「じゃあ、キタガワは?」


「それは甲田の家老だ。おい、もしかしてさっきのタキガワってのも、キタガワの聞き違いじゃないのか?」


 ガクの方は、エンやトキよりも甲田家について詳しいらしい。 まぁここで甲田家の者の名が分かったところで戦略戦術に関わるものではないのだから、お茶濁しの会話にしかならないのだが。



 ──翌六日目、三人は広場にいた。

 トキが森の中に、木々を切り開いて人工的に造られたのであろう広大な草っ原を発見したのだ。

 甲田城の搦手から発する道は、いくつかの方角へと枝分かれしている。そのうちの一つとなる城の背後の森へと続いてゆく道に沿って進み、やがて山の裾野へと至った所にこの広場は存在していた。

 草が一面に緑の絨毯の如く生えそろい、季節がら鮮やかな花々が咲いては、絨毯に明るい模様を添えている。


「甲田の練兵場かな……」


「こんな所に森を切り開いて造っているんだから、そのての用途としか思えんな」


「でも、折れた草もなければ、土のえぐれたところもないよ。少なくとも最近、ここで調練が行われた形跡は無い……か」


「ふふっ、にらみ合いの戦しかしないんだから、訓練なしでもできるんじゃない?」


 拓かれたこの草原にのみ陽光が降りそそぐことで幻想的にすら見える空間に、エンたち三人以外の人の気配は無い。耳に入るのは虫の羽音と、時おり周囲の森から聞こえる鳥の鳴き声だけであった。


 さて、この広場からは二つの道が伸びていた。一つは前述の甲田城とをつなぐ裏道である。エンたちは、もう一方の未知の道を進んでみた。森を進み、丘を越えて再び森を抜けると、街道へと合流した。街道から森を抜けるとなるとかなりの迂回路にはなるが、これは甲田城への侵攻ルートの一つとなりえるものだった。これは次回の調査報告に加えることができる。

 実はこういった潜入調査のお仕事では、とりたてて報告する事が無いという状況がいちばん困る。

「何も無かった」という事実ももちろん報告には違いないのだが、それでは『仕事のできない人感』が出てしまうことを恐れて、そうは言いたがらない傾向が下級の忍にはあるのだ。なので、このような報告事項を発見することで、兎にも角にも潜入調査の成果が出るとホッとする。

 こころなしかメンバーの表情にも余裕が出てくる。


 トキ組に課せられた事前調査のお仕事は、こうして無難に進んでいるように見えた。

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