其の四 技は隠し持ってこそ

 春とはいえ夜明け頃はまだ冷える。旅装で寮から出てきたエンはブルッと身震いしたが、歩き始めるとすぐに体は温まった。エンは美濃国の北東方面の甲田領へと向かっていた。仲間の忍とは現地にて合流する手筈となっている。 


 今回のお仕事に参加している十二人の忍には、すでに昨日の労務局での説明会において組分けが決められていた。猿級一人と鼠級二人の合わせて三人で一つの組とし、四つの組が編成された。そして、甲田領と丙谷領のそれぞれへ二組づつが潜入することになっている。それらの忍以外にも濃武の里から労務局職員三名が派遣されることになっており、依頼主である乙村家への報告と緊急時の対応に備えて領境付近に待機する手筈である。

 エンはトキという顔見知りの猿級が率いる組へと割り当てられた。さらにガクという面識のない鼠級との三人でトキ組とし、甲田領への潜伏を任されたのだ。


 さて、この猿級や鼠級とはいったい何のことか。

 忍には、実績と実力によって級が与えられているのだ。なお、濃武の里において制定されている階級は、上から『りゅう』『とら』『たか』『さる』『ねずみ』の五段階である。里によってはさらに細かな階級を採用している所もあるらしいが、一般的にこの業界であれば、どこもこの五段階で話は通じる。

 ただし今のこのご時世、中小の忍里において龍級や虎級のような上級の忍を抱えているような里はほとんど存在しておらず、それはこの濃武の里も例外ではない。もちろんエン自身も、そのような上忍には出会ったことはおろか見たことすら無い。


 エンはというと、鼠級である。

 まだ忍歴三年を経たばかりの、最下級の忍ということになる。


 歩き続けたエンは二日後の夕暮れ時には甲田領までもう一息の地点にまで到達できた。ここで人目につかぬよう森へ入り、野宿をして一夜を過ごす。付近で獲った山菜を火であぶって食事とした。


 潜入捜査の時のエンは、キノコや山菜の研究者として旅装で現地に入ることが多い。後の世にて小氷河期とも評されるこの時期は、毎年各国で飢饉に喘ぐ地が少なくなく、農作物で領民の暮らしが賄えない年には、こういった山の幸の知識は人々の命を支えるものとなる。

 そのような事情もあり、日頃からこのての研究者は各地をウロウロと歩き回っていても怪しまれにくかった。しかも、偵察のためにふいに姿を消したとしても、山菜の調査のために道を外れて山や森に入っていったと思われるので、現地に住む人々から違和感を持たれにくいという利点もある。堂々と街道を歩いて移動できるこの変装は、苦労して道なき道を越えながら潜入して来る忍に比べると、はるかに楽で時間もかからない移動法なのだ。


 翌午前中に甲田領へと入ったエンは、そのまま領内を散策して回った。城下の町や田畑、そこで暮らす領民たちの様子。武家屋敷の傍を通って甲田の城もその目で見た。日が大きく傾くまで、なかなかに堂々と領内をうろついたが、こういう時はコソコソするよりもよほど怪しまれないものだ。

 そして夕刻、甲田領の東のはずれ。エンは道端に積まれた小石を見つけた。目線を上げれば、木の枝に草が結ばれている。周囲に人気のないことを確認したエンは、小石や結ばれた草とは逆側の茂みへと飛び込んだ。


「おう、ここだ」


 声の聞こえた方を向くと、すでに組長のトキが到着していた。

 このトキという男は森での移動を得意とし、主に作戦中の定期報告でその能力は役に立つ。その特技のおかげで新人の頃から先輩の忍たちに重宝され、その結果、彼は上級の忍から昇級の推薦を貰うことに成功した。そうして猿級へと昇格したトキは、エンの同期の中では最速の出世を果たしていた。そんなトキはもちろん今回も森を縫って甲田領へと入ってきた。


 二人で草の上に座り、昇級面接での話をトキに語ってもらっているうちに、残る一人の組員であるガクが到着した。こうしてトキ組三人が揃ったところで森の奥へと移動し、焚き火を囲んで話すことにした。じつはエンもトキも、ガクという忍についてはまだ何も知らない。あまり愛想がよさそうにも見えず、本人からベラベラと話をするタイプでもなさそうだ。


 この時点で甲田領の探索を行ったのはまだエンだけなので、この場はエンが今日見たことを二人に共有した。


「乙村との領境から甲田の城への道中には、とくに防御設備のようなものは何もなかったよ」


「まぁ戦とは無縁な甲田だしな、そんなものだろう」


 トキは寝転びながら、あまり興味もなさそうに話を聞いている。


「あと甲田の城は小城ではあったけど、正面から見た限りは柵や城壁なんかに目に付くような綻びは無かったね」


「なんだ、おまえ城の前まで行って見てきたのか。 付近は武家の屋敷なんかが並んでただろうに、大胆なやつだな」


「武家屋敷の周囲って言ったって、医者や行商だって歩いてるんだから、ふつうに歩いて行けば誰も気にとめないよ。 そんなことよりも……」


「そんなことより?」


 くつろぎながら、耳だけで話を聞いていたトキとガクが、同時にエンの方を向いた。


「城下の蕎麦屋が美味かった。あれは蕎麦がというより、つゆが美味い」


「え、そうなの? おれも行きたい。なぁガク、あした一緒に行ってみようぜ」


 エンの報告に初めて興味を持ったようで、トキは体を起こしてそう言った。蕎麦屋以外の情報は、あらかじめ想像していた内容と大した違いは無かったようだ。


「よし、明日はおれが森から城の裏手に回って近づいてみるよ。蕎麦屋に行った後でな。ガクもお前なりのやり方で構わないから、いろいろと探ってみてくれ」


 トキがそのように指示を与えて、今日のお仕事は終わった。連日の移動で疲れているので、みな早く眠りたかった。


 翌日から忍三人での探索が始まった。三人でといっても、三人が揃って人前に出ていくわけではない。基本的には個々が森や林を移動するなどして領内の様子をうかがい、調査で得た情報を持ち寄るのである。

 この日のエンは通りの様子が見える場所を探しては、遠筒とおづつを取り出して行き交う人々を観察していた。そんな筒をのぞき込むエンの姿を見かけたガクは気になってきたようで、

「なぁ、おまえが見ているそれは何だ?」

と、エンの持つ謎の筒の正体を尋ねた。


「これは遠筒だ。これを通して見ると、遠くが近くに見える」


「へぇ何だよそれ、ちょっとオレにも見せてくれよ」


 ガクは遠筒と呼ばれた筒をのぞき込む。


「わっ!? こりゃすごいな。何でこんな風に見えるんだ?」


「筒の中に透明な石をはめてあるんだよ。それを通して見ると、ものが近くに見えるんだ」


 こんな説明で望遠鏡の仕組みが理解できる者はいない。ただ、持ち主のエン自身もその仕組みは理解できていないのだということだけはガクにも解った。


「まさか、お前が作った……わけないよな?」


「ああ、死んだ親父にもらったのさ」


 ガクにはこの不思議な筒についてもっと詳しく知りたいという気持ちもあったが、親の形見だと聞くと好奇心が削がれたらしい。遠筒をエンに返すと、その場を去っていった。

 あらためて遠筒をのぞき込みながら、エンはふと前回のお仕事から帰還したときのことを思い出していた。あの時、供に潜入調査を行った新人のシノは、初めて従事してきたお仕事の感想を尋ねられ、「こんなお仕事ならアタシにも続けていけそうだ」と答えた。その発言を聞いた時、エンはほのかに懐かしさを感じた。数年前のエンも、初仕事を終えたときには同じような感想を持ったからだ。 ただし、シノの場合は単に初仕事の内容が容易であったことからの感想なのだが、エンの場合は明確な根拠があっての感想だった。

 というのも、エンには一つのささやかな特技がある。

読唇術どくしんじゅつ』である。

 読唇術は、かつてエンの父が得意にしていた。そんな父が息子のエンに手ほどきをしたものなのだが、エンには父親以上に素質があったらしい。それ以来、エンは茶屋の長椅子に座っては、訓練のために往来の人や茶屋の客の口元を読みまくった。やがてエンが忍の養成所へと入った頃には、読唇術においてはすでに父の技量を越えるほどになっていた。

 やがて養成所を終え、濃武の里に忍として登録したエンに与えられた初仕事は、やはり簡単な潜入調査だった。そこでエンは、読唇術という技の有効性を悟った。草陰から人の行き交う様子を観察し、遠目に現地の状況を探った。「特に何もなし」と、労務局に結果を報告したのは、このときエンを引き連れた先輩方だった。

 しかし読唇術を操るエンは会話する村人の口元を読むことで、その年の現地は農作物が不作であること、それによる食料不足を補うための軍事召集の噂があるという情報までも察知できていたのだ。

 ただし、エンはその情報を上にはあげなかった。新卒の新入りが先輩方を上回る成果を出すことに遠慮したのも大きかったが、なにより直接見聞きしていない情報が信用されるとも思わなかったからである。ともあれ、この先も潜入調査のお仕事が多い下級の忍としては、自分のこの能力は使えると確信した。

 そんな初仕事を終えての帰宅後、エンはこの思いを父に語ったところ、父はたいそう喜んだ。自らが教えた読唇術の有効性を息子が初仕事にして身をもって理解したこと。そして何より、今までその技能を誰にもひけらかすことなく秘技としたことに、忍としての素質を感じられたことが嬉しかったのだ。

 この時、父はエンに愛用の遠筒を贈ったのだった。

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