第八話
PPCSを使った脳外科手術は大別すると、
①脳スキャン、
②脳神経接続の推論計算、
③3Dプリント
の三つの工程で構成される。
脳スキャンには二つの種類がある。一つは脳細胞構造スキャン、もう一つは脳神経接続情報スキャンだ。
脳細胞構造スキャンは脳の見た目そのままだ。3Dプリントされた脳はまさにコピー、寸分たがわぬ外見となる。
しかし脳神経接続情報は、単純コピーができない。理由は二つある。
脳神経接続は、それぞれの関係性を元に学習をへて自然発生的に構成されるものだ。例えれば、積み上げられたブロックのようなものではなく、ブロックに這う蔦のようなものなのだ。よって、中の一つを外してかわりをはめ込む事ができない。ということが一つ目。もう一つはそれぞれの接続の論理的仕組みが解明されていないからだ。
その問題を解決する為に、膨大な数の脳神経接続スキャンによって蓄えられたデータに基づき、AIによる推論を行い脳神経接続を再構築する。結果、AIが何をしているかは人間には理解できない物であると同時に、元の構造とは本質的に異なるのである。
「――ということです。少し難しいですが、大事なことですので配布した資料は後でもう一度読み返してください。
まあ脳構造は言ってみればハードウェア、脳接続構造はソフトウェア。ハードウェアは完全コピされますが、ソフトウェアは同じ働きをする、代替品ということですね。
ただ本人の意思とは無関係の、脳幹や小脳のみの置換ですので本人の性格が変わってしまう、という危険性は全くありません」
長い説明を読み上げた臨床検査技師の男――
「あ、そうそう。その資料に書いてありますが、小脳を置換した影響で、何らかの障害が出る可能性はあります。それは具体例でいうと、喋ることだったり、何らかの幻覚症状だったりと――」
能古見中央病院の一室で、サキは神明に行われた手術について説明を受けていた。
サキは、事故当時の狼狽した姿とは別人、今はすっかり落ち着いて、いつものクールビューティに戻っている。
「――ということで、今は最終工程というわけです。もう一度、その窓から見てください」
その部屋には細長いガラス窓があって、隣の部屋には大きな装置に頭を突っ込んでいる男がいた。亀尾神明本人である。
「ほら、あの装置、MRIみたいな円筒状ではなく、ワッフルメーカーみたいにパカッと割れて上下から挟み込んでいるでしょう?
あの装置で脳に溜まった3Dプリント時のバリみたいなやつを除去しています。――あれ、よく見るとまるで、巨大なアンコウから丸呑みされているみたいでしょ?
〝モンクフィッシュ〟って呼んでいるんですよ」
神明は仰向けに寝かされ、確かに見ようによってはアンコウに喰われている途中の人のようだった。
一通りの説明を聞いた後、少しホッとした様子のサキは、深山に何気ない質問を投げた。
「それにしても深山さん、不思議ですよね」
「ん? 何がです?」
「だって脳細胞の中身までスキャンできる技術があるのに、なんでMRIのような機械が使われているのです? なんかこう原始的な気がしますよね。それに脳細胞がプリントできるなら、他の病気にも応用できそうな気がするんですけどね」
深山は首をひねって少し考えた。
「たしかにそうだなぁ。不思議といえば不思議ですね。マイクロプラスチックを血管に流しておいて脳細胞の分解と、再構成をメスを入れず外部からやるのだから、他の臓器でも実用化されて良さそうなもの……あ、そうそう。
他の臓器は僅かに動くからスキャン、プリントができないとかそういう話だったかもしれません。脳は頭蓋骨を固定すれば全く動きませんからね。それとも別の理由だったかな? ただそのうちできるようになりますよ。きっとね――いつになるかはわかりませんけど。
脳スキャンやプリント技術自体は実験室レベルでは、かなり前からあったみたいですよ。実用化したのがリッシモ博士や伊豆先生です。やっぱり天才の存在は大きいのかなぁ」
深山は話すにつれて、少し興奮し同時に舌が軽くなった。
「――いえ、実際そうなんですよ。本当にお二人の功績は素晴らしいものなのですが、亀尾先生はまた違った意味で本当に凄い。
なんたってAIによる脳神経接続推論をゼロから構築されたのですから。話によると、論文さえ後追いになっているらしく。
あまりの開発速度とアイディアででまわりがついていかないらしいです。本当の天才ですよ彼は」
そういうと、アンコウに食われている神明をみて、安堵した様子で言った。
「本当に手術が上手くいって良かった。先程、後遺症の危険性を説明しましたが、問題ありません。
私が保証します。あ、立場上、ご家族の方に絶対大丈夫とか言っちゃ駄目なんですけどね」
深山の左右に広がった鼻の穴が更に広がり、興奮を冷却するように鼻息が噴出されていた。
すると隣の部にあるアンコウの提灯部分がオレンジから青に変わった。
「あ、終わったようですね。私が処置室に入って、目覚めた先生に質問します。錯乱状態やなにか問題があれば、すぐに再麻酔します。そうでなければお呼びしますね」
深山はそういうと、隣の部屋に移動した。
すぐにアンコウの口が百八十度水平に開いた。複雑に組み合さった装置がまるで、カニカマの繊維がほぐれるように、次々に外れていった。まもなく中から仰向けに寝かされている神明の身体が現れた。
ベルトでがっちり固定されていて、腕には点滴針が何本も突き刺さっている。頭部を大げさなヘルメットが覆っていて最後にそれが、
プシュー
という音とともに縦二つに割れた。
「亀尾先生、お加減はいかがでしょうか?」
神明はぱちくりと瞬きをした。それを確認した深山は、安心したように言った。
「まあ、気分は良くないですよね。頭痛はありますか――」
と、そう言いかけた深山の言葉を神明が遮った。
「気持ちいい」
「え?」
「いや、ヒジョーに爽快なんだ。何だこれは?」
驚く深山に、神明は流れるように言葉を発した。
「亀尾神明、31歳。男。医師。山口県。妻ひとり。ただし事実婚。能古見研究所勤務。趣味は酒、好きなものは酒、以上」
目をパチクリさせる深山に対して神明は、
「今から聞く質問でしょ? 僕が考えたんだから、そりゃ分かるよ」
と、こともなげに言った。
納得した様子で頷く深山が又、なにか言おうとすると、神明は更に畳み掛けるように付け加えた。
「ついでにいうと、今質問しようとしているのは、臨床検査技師の
するとそれを聞いた深山は、にんまり笑って薬指の指輪を見せた。
「間違いですね。私、先月再婚しました。コソ婚ですみません。二度目は流石にね」
◆
亀尾神明が一般病棟に移されたのは二日後のことだった。
個室の中でもとびきり広い、しかも窓からの見晴らしが抜群に良いVIPルームのベッドに、神明は寝転んでいた。手には端末があり、一心不乱、モニターを食い入るように見つめている。
折からの晴天、病室からの眺めは、素晴らしいはずなのだが、ぶ厚いカーテンでしっかりと隠されている。
その彼が調べているのは、自分のカルテ――症状や手術内容、脳画像などだった。
「どー考えても、これはおかしい。外傷がないのはまだいい。時間の辻褄が合わない。きっかけはあの、街中での転倒だと思う。けど、まる30分以上の時間差がある。ゆっくり出血したとしても、それでもおかしい。血管を収縮させて症状を遅らせた? 局部的な薬剤投与? そんなばかな、そんな魔法のような――」
端末の画面を切り替える。そこには、検索画面があって、
〝発勁の原理・分析・構造・仕組み〟
などの文字が並んでいた。
「――いくらなんでもこれはなぁ」
そう呟いた時、開放された病室の入り口ドアから、サキが入ってきた。
手には大きなバッグを持っている。洗濯物を几帳面に畳みながら、テキパキとバッグに詰めていく。
「いやーすまないね」
神明がそう言うと、サキは、
「明日何が食べたい?」
と聞いた。
「うーん、そうだね。おでんと熱燗かな」
「いいね、まだ夜は底冷えするからね。一緒に退院祝いしよう」
「店の方はいいの?」
「バイト君が育っているからね」
サキがそう言った時、病室に又ひとり、女性が入ってきた。今日もナイスバディの花菱だ。
神明の表情が硬くなる。それに気づいたサキは、ちょっと飲み物買ってくる、といって退出した。
「明日退院できるそうだな、順調で良かった」
と花菱が言った。
「いえ、どうも」
警戒しながら神明は言った。
「亀尾君、能古見院長のことをどう思う?」
「どおって、そうですね。過労で仕事のペースを落としていると聞いていますが。昨日お会いしたときも、なにか元気がない感じで」
「彼は双極性障害、二型だ」
「え?」
神明は驚きを隠せなかった。ただ昆虫を食べる彼の姿と、昨日会った元気のない姿を思い出した。
「そうか、心当たりがあるか」
花菱が言った。
「ち、治療は?」
神明が恐る恐る聞いた。
「こっそりやっている。本人も知らない」
「しかしそれだと逆効果になりますよ。そもそも違法だ。ちゃんと診断して長期休養させないと」
「いや、多分薬で抑えられると、私は思っている。今の薬は優秀だからな」
「でも診察してないなら断言できませんよ?」
「だめだ。そんなことしたら彼が守ってきたこの病院が、納口に乗っ取られる。取締役会で解任されて体よく引退。いや、株だって盗られるかもしれない。納口は油断ならない。リッシモもそうだ。周りには危険な奴らが多すぎる」
花菱が、能古見の話をした時、
猛禽類の瞳が潤んだように見えた。
(え?……この人まさか……)
花菱はそんな神明から目線をさっと外し、来客用とは思えない、豪華なソファーにドンと乱暴に座った。そして感情が高ぶった様子で投げやりに言った。
「全く、良かれと思ったことが、どんどん裏目に出る。研究所はは早くどっかの病院に売り飛ばせばよかったんだ。ノーベル賞などとるから皆がおかしくなる」
そう言って、ポケットから忌々しそうにディスクを取り出して神明の前に放り投げた。
「夏子さんの症状、能古見病院関係者の中で出てきている。それも複数だ。夏子さんに比べごく軽い症状だから、いや、自覚症状がない、というべきか。神経系のテストをやって判明した。もしかしたら伝染するのかもしれない」
「なんですって!」
思わず声を出した神明に、花菱はシッと人差し指を立てた。
「言った通り、院長には負担をかけられない。他の医師では、皆専門性が高すぎる。幅広い見地で見れるのは君しかいないんだ。今は情報を限定したい」
花菱の言葉に、神明は専門性の高いメンバーでチームを組むべきだと進言した。しかし花菱は首を横に振った。
「正直に言おう、納口派が多すぎるんだ。病み上がりで無理は承知しているが、頼まれて欲しい」
花菱はそう言い残すと、そそくさと病室を後にした。誰も居ない病室に、ぽつんと取り残された神明は魂が抜けた、抜け殻のようになった。
謎の神経症状。
院内感染の可能性。
リーダーの不在。
「――まじかよ。なんてこった」
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