第四話
神明の作業場は、手作りの小部屋だ。
小部屋と言っても、部屋の隅を遮光カーテンで仕切っただけの簡素なもので、中は身動きとれないほど狭くて暗い。なぜそんな所で作業するかとサキが訊ねると、本人曰く、
「うーん。そう言われれば、なんでかなー。狭くて暗いの嫌いじゃないんだよな」
その遮光カーテン内には身体をすっぽり包み込む上等な椅子がある。その椅子自体がVRヘッドセット一体型のデバイスになっている。その前に小型のテーブルがあってメカニカルキーボード、音声入力装置とカメラとモニター、更にVRメガネが置いてある。VRメガネは充電ドックに刺さって常に満充電だ。
なぜ入力デバイスも表示デバイスも矢鱈たくさんあるのか? と、サキが不思議がると、
「企業秘密」
と言ってはぐらかした。
「ははーん、単なる気分か、もしかしたら支給品?」
とサキが訊ねると、吹けない口笛を吹いて誤魔化した。部屋にはこだわるが、それ以外には然程こだわりはないらしい。
そういう訳で、今日の神明は、暗い暗室のような小部屋で、せっかくある高級VRヘッドセッを使わず、モニターとメカニカルキーボードを使ってリモート勤務していたのである。
サキがお茶が入ったと呼ぶと、VRメガネをかけて暗室から出てきた。手にはメカニカルキーボードを持っている。ダイニングテーブルに座ると、空間操作しながら、メカニカルキーボードを触りつつ、器用に茶をすすった。
窓の外はあいにくの雨だった。ベランダに植えられた様々な植物たちが、雨の雫にうたれ揺れている。
サキは茶を飲みながら、揺れる葉っぱをぼんやりと眺めていた。二階の部屋からは、立派な枝ぶりの木が、視界の大部分を遮る形で植えられている。
サキはその木に視線を移しながら、それとなく伊豆の病状を聞いた。神明は溜め息のような深い深呼吸をした。納得できない煮えきらない表情だ。
「なーにか、おかしんだよね。カルテを見ると奴らなーんも治療行為をしていない。放置して改善する可能性はもちろんあるんだけどね」
「能古見さんはなんて言ってるの?」
「それ、それだよ。彼はどんな手を使っても――法を曲げてでも――治してくれって頼んだんだよね。頭を下げて。それはもう深々と」
サキが真意をはかりかねる顔をすると、神明は説明しはじめた。
「最初は単なる比喩的なものかともおもったんだけどさ」
「けど?」
「違法という点で一点あるんだよ」
「違う? 何が?」
「治療方法がさ」
「ちょっと待って、法律違反って――それは駄目だよ」
「駄目じゃないさ。それぐらい伊豆先生には恩がある。ほら僕は元々犯罪者も同じだからね。話したろう? 僕の身元保証人は伊豆先生なんだ。あの時、伊豆先生が納口先生を通じて司法取引の話を掛け合ってくれなかったら僕はまだ檻の中だよ。だから犯罪を犯すのはまだいい。バレなきゃ良いんだから」
サキは、しょうがないなーでも君らしいと納得した。ただ神明の晴れない表情をみて、
「それで結局、その法律違反のやり方をやるの?」
と付け加えた。
「それが微妙なんだよね。つまりね、方法として疑似脳細胞の置換率をどんどん上げてくのは、そりゃ技術的には可能で有望なんだけど。でもねぇそれやっちゃうと最早それが伊豆先生なのかわからなくなるんだよ――」
神明は、PPCS手術が、失われた脳細胞の連結構造を能古見病院内に設置された超大型量子コンピュータで推論している事。推論なので元の構造と同じかわからない事を説明した。サキはよく理解できないと言ったが、なんとなくは理解した様子だった。
「だからさ、推論パラメータを弄って、同時にどんどん脳細胞の置換率を上げると、ダメージを受けた脳の回復は可能かもしれない。いや理論上どんな脳疾患でも治療できる。でもそれが元の本人のままかは誰にもわからないんだ。そういう訳で、今の所、①脳細胞の20パーセント以上は置換しませんよ、②パーソナリティと関係が深い前頭葉や大脳新皮質付近は弄りませんよ。という二つのガイドラインがあって、事実上の法律なんだよね。今行われているPPCSはせいぜい5パーセントあたり。ただ初期の頃はガイドラインがまだなくて、30パーセント前後の置換手術を行った人は結構いるにはいるんだよね。無論それ以上は存在しない。本気で危ないから。で、新しく手術するにはそういう危険性も考えて20%以下しかできない決まりになっているわけ」
「もしかして伊豆さんは、その30パーセント?」
「ああ、そうなんだよね。だからこれ以上のPPCS手術は一ミリもできない」
その時、玄関の呼び鈴が鳴った。サキがインターフォンで確認すると、玄関先には雨でびしょ濡れの能古見がたっていた。
「ちょっと待っていてください。いまバスタオルをお持ちしますね」
サキは、玄関で立ち尽くす能古見にそう声をかけるとバスルームに走った。神明もVRメガネをかけたまま、玄関まで出てきた。
「院長、どうされたんですか? こんなに濡れて」
神明が、尋ねると、能古見はうつむいたまま言った。
「すまない。天明を……伊豆天明を殺した」
「え?」
神明の顔から表情が消えた。
「天明を殺したんだ。すべて俺の責任だ」
「殺したって、そんな何を言っているんですか?」
「ペントバルビタールの投与を命じた。殺したのと同じだ」
神明の顔色がみるみる青く変わっていった。すぐにVRゴーグルを使い、空間操作で病院にアクセスし、カルテを表示させる。データが更新された旨表示されていた。そこには〝ステルベン〟と書かれていた。神明は怒鳴るようにサキを呼んだ。
「車を出してくれ、今すぐに」
サキは声を抑えて冷静に言った。
「安全運転でいくわよ」
◆
ノーベル賞科学者、伊豆天明の訃報は、瞬く間に世界を駆け抜けた。
彼の命を奪った事故が、本来ならこれから先、多くの人の命を助けるための実験だったことは、世間の同情を誘い、彼の偉業は更に輝きを増す事となった。
そんな折、神明は納口から呼び出しを受けた。能古見中央病院の納口の居室に行くと、納口は、
「本当は食事でもしながら話したかったんですけどね。そういうお気持ちにはなれないでしょうから、とりあえずこれを渡しておきますよ」
そう言って一枚のデータディスクを差し出した。
「今回の件、能古見さんを責めないでくださいね――」
納口は極めて温和な口調で神明に説明した。それは伊豆が原因不明の徘徊を始めた事。徘徊のみならず、所構わず暴力をふるい、医師や看護師を傷つけたこと。更には、自身の体を破壊していった事。納口の医療チームは治療不可能と判断した事だった。
「伊豆先生本人の名誉に関わることです。カルテとしてデータを残すことも憚れるそういう状態でした。本人のためとはいえ、騙すような形となってしまい申し訳ありません。本当は亀尾先生に相談したほうがいいという意見もあったのです。
しかし伊豆先生の暴力は異常で、折れた腕を振り回して相手を殴るという、常識では考えられない奇行にいたり、早く楽にしてあげたほうが本人の為だ、ということになりました。
その辺りの動画やカルテがそこに記録されています。亀尾先生に相談すると必ずなんとかしようとするでしょう? 例え違法行為であってもね。それが本人を苦しめることになるし、あなたにも得はない。そういう判断をしました」
神明はデータディスクを握りしめると軽く頭を下げた。
「ご配慮、ありがとうございます。では失礼します」
そして踵を返し出口ドアに向かった。ドアを開けた時、納口が神明を呼び止めた。
「いいですか? 能古見さんは正しい判断をされたんです。でもね。一番つらいのは彼なんですよ。学生時代から寝食を共にした仲、ですからね。あなたも辛いでしょうが、できることなら支えてあげてください」
神明はドアを閉める前に一度、深く頭を下げた。
神明が退出したあと、納口は少し伸びをして窓際にたった。丘の上から見える街並みと青い空が眼前に広がっている。
「終わり良ければ全て良し。そして能古見病院への期待はこの空のように――」
納口は空を見上げて目を細めた。
「青天井だねぇ」
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