16.胃痛の種、再び!

「お、おまえはまた、なにをしているのだ!」


 ビッチが再び学園の馬車で男爵邸に帰されたのを知ったスタイン男爵は、わなわなと震えた。痛みがひどいのか、つらそうに胃を押さえている男爵を心配そうに執事が見やる。


「うるさいわね! 怒鳴らなくても聞こえるわよ!」

「これが怒鳴らずにいられるか! 性懲りもなくまた王族に不敬を働くとは! おまえは自殺願望でもあるのか!?」

「はあっ!? そんなもの、あるわけないでしょ! 第一、なんで学園長が王族なのよ!」


 まったく反省する様子もないビッチに、男爵は大きく息を吐き出した。


「王立ならおかしなことでもないだろう。そうでなくても、学生の立場で学園長を直に侮辱すること自体がおかしい」

「なんでよ! あいつはわたしとサバス様を侮辱したのよ! 少しくらい言い返してもいいじゃないの!」


 王族の長老とも言える学園長をあいつ呼ばわりしたビッチに、男爵と執事が目をむいた。


「ビッチ、不敬だぞ! 下位である男爵家の娘が王族に言い返すなど正気の沙汰ではない。その場で不敬罪が成立して切り捨てられても不思議ではなかったんだぞ!」

「わたしがそんなことになるわけないでしょ!? それに、棺桶に片足突っ込んでるなんて、かわいい冗談じゃない」

「そっ、そんなことを言ったのか!?」


 ありえない、と衝撃を受けた男爵がよろめいた。それを執事が慌てて支える。

 その様子を見て、不満そうに鼻を鳴らしながらビッチが言った。


「なによ。なにか問題でもあるの」

「……それが問題ないと思えるおまえの神経がわからない。それにそれはかわいい冗談ですむ言葉ではない。明らかな罵倒だ」

「そんなわけ……」

「そんなわけあるだろう。おまえが言われたらまず激昂するだろうに、なぜそんな無礼な言葉をよりにもよって王族に投げつけられるんだ」

「えっ、わたしは怒らないわよ? だってあの老いぼれの学園長と違って、わたしはこんなに若いんだもの。棺桶に入るわけなんてないわ!」


 ビッチから斜め上の答えが返ってきて、男爵と執事は呆気に取られた。

 しかし、すぐにわれに返った男爵は娘をたしなめた。


「言葉を慎め。あの方はおまえが愚弄してよい方ではない。不敬と言われているのに愚かすぎる」

「なによ、事実じゃないの! だいたいあの老いぼれが王族なんておかしいわ! やたら花のことに詳しかったし、きっと別人が成り代わってるのよ!」


 ビッチはそう言うが、学園長が言ったのは特に専門的なことでもなんでもない。園芸書を眺めていれば、素人でも簡単に得られるレベルの知識である。


「まだ言うか、この不敬者が! おまえのような恥知らず、とうてい外に出すことはできない。おまえがおとなしくしているとは思わんが、今回も謹慎しておけ!」

「なっ、またなの!? 部屋でごろごろしてたら豚になっちゃうじゃないの!」


 太ったことを少し気にしていたビッチは抗議する。しかし、父親である男爵はすげなく言った。


「前回のように暴食せず、節制すればすむことだ。普通なら食べ物も喉に通らないはずだが、さすがに王族も侮辱する愚か者にはそんな神経はないようだな」

「ななな、なんですって! 学園の寄付金も払えないような貧乏男爵のくせして失礼すぎるわ!」


 顔を真っ赤にして噛みつくビッチに、男爵はあきれたような顔になる。


「……わがスタイン家が貧しくなったのは、ビッチ、おまえの浪費のせいだ。何度やめろと言っても聞かず、高級品を買いあさったおまえにそんなことを言う権利はない」

「あれっぽっちの贅沢なんて、かわいいものじゃない! 自分の甲斐性のなさを人のせいにしないでよね!」

「……以前にもおまえの母が、誰のせいで貧しくなったのだとおまえに言っていたはずだが? わたしに甲斐性がないのなら、おまえの母がそんな風に言うわけがない」

「……あのばばあ! ろくなこと言わないわね! さっさとくたばればいいのに!」


 ビッチの起こした騒動で、寝込んでしまった母親を罵倒する姿は醜悪と言うより外ない。

 これにはさすがに父である男爵も激昂した。


「黙れ、この親不孝者が! いや、おまえは弟や使用人も虐待しているし、この家にとっては災厄そのものだ!」

「なっ、なんですって!? 侯爵夫人になるわたしの恩恵を受けられるくせに、そんなこと言っていいと思ってんの!?」

「……恩恵? 大審議が終われば縁を切るのに、そんなものがあるわけもない。おまえが言い出したことなのに、そんなことも忘れたのか?」

「な……っ、ちゃんと覚えてるわよ! 馬鹿にすんな!!」


 ビッチは冷ややかな男爵の言葉に一瞬だけ絶句すると、すぐさま怒鳴った。それを男爵は侮蔑を込めた視線で受け止める。


「そうか、それならばいい。……おまえの相手をしなくてもよくなるのなら、わが家にとっても重畳だ」


 男爵はそれだけ言うと、執事を引き連れてビッチの部屋を出ていく。ビッチは閉じられたドアにクッションを投げつけると、父親を口汚くののしった。


「たかが貧乏男爵のくせして、ヒロインであるわたしを侮辱するなんて許せない! こんな家、サバス様に言って取りつぶしてやるわ! 今に見てなさいよ!!」


 しかし、その罵倒に返す人物は既におらず、ビッチは一人で私室を荒らし続けた。

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