Where?
@araki
第1話
「相変わらず頭が堅いな、暁海」
けらけらと前田が笑う。ここに来て四度目の嘲笑。上司だから流しているが、そうでなければ殴り飛ばしているところだ。
「何がダメなんです? 私は妥当な推理をしたはずですが」
「おこがましい。お前のそれは単なる妄想だよ」
「事実に沿った論理的帰結です。いいですか」
暁海はその場に膝を突く。そして目の前に転がるうつ伏せの青年、その首元を指さした。
「ここに何かで縛られたような痣があります。その上」
暁海はさらに頭上の天井を指し示す。そこにはちょうど輪を作った縄が吊されていた。
「凶器が目の前にあるんです。自殺以外あり得ませんって」
筋の通ったまともな話をしたはずだ。けれど、前田はため息と共に首を振る。
「その決めつけこそが半人前の証拠だよ」
やれやれといった様子で肩をすくめる前田。そうしたいのはこちらの方だ。なぜこんな当たり前を呑み込めないのか。道理を無闇に突っぱねる童ではあるまいに。
暁海の中で怨嗟が渦巻く中、前田は遺体に視線を向けた。
「ひとつ。なぜこれが床にある?」
「それは死後に縄から抜け落ちて――」
「そんな緩い結び方で死んだのか? 縄抜けじゃないんだぞ」
奇跡に近い首吊りだな、とせせら笑う前田に暁海は押し黙る。
前田はおもむろに床へ座り込む。さらに話を続けた。
「まあ仮に、そんな偶然が成立したとしよう。で、暁海の言うとおり途中で死体がすっぽ抜けたと」
すると前田は遺体の後頭部を鷲掴みし、そのまま上へ引き上げる。それから、その顔をこちらに見せつけた。
「遺体ですよ? 弄ぶのはあまり趣味がいいとは――」
「いいから見てみろ」
こちらに押しつけるように、前田が頭部を近づけてくる。
暁海は渋々その顔を検める。そして気づいた。
衝突の衝撃を受けているはずの頭部。その顔には傷一つ付いていなかった。
「これも偶然の産物か?」
「……分かりましたよ」
暁海は降参の思いで両手を挙げる。ここまで言われればさすがに引き下がるしかない。
「首つりは単なるフェイクってことですよね」
「無駄な時間をとらせるなよ、ポンコツ」
大仰にため息を吐く前田。いちいち癇に障る男だ。
「でだ」
前田は視線を正面に向ける。
遺体を挟んだ向かい側、そこで一人の少年が体育座りをしている。顔から一切の精気が抜けている彼。その顔にはとある特徴があった。
「相変わらず慣れませんね。遺体の横に同じ顔の子供がいる状況は」
「抜けた魂がデフォルメされた結果がこれなんだ。いい加減慣れろ」
小言をぴしゃりと言うと、前田は少年に声を掛けた。
「そろそろ話せよ」
明らかに苛立ちの混じった口調。いたいけな子供に掛けるべき声ではないと思うも、彼は少なくとも目の前の遺体と同じ年月を経た魂なのだ。これが本来正しい接し方なのだと理解する。納得はできないけれど。
「死に際の記憶がないのは把握している。ただ、それでもお前が協力してくれれば余計な手間がぐっと減るんだよ」
「……話すことなんてないよ」
少年はおもむろに顔を上げる。あどけない顔。けれど、そこには自嘲に近い笑みが浮かんでいた。
「僕はもう終わったんだ。いまさらあれこれ話しても何にもならない」
幼い口調。外見に引っ張られているのだろう。
そんな彼に、前田は容赦なく畳みかける。
「お前はどうでもいいかもしれんが、俺は仕事をしなきゃならない。お前の刑をな」
「刑?」
怪訝な顔を見せる少年に、前田は頷きを返した。
「お前は罰を受けなきゃならん」
「どうして。僕は殺されたのに」
「この世の道理は知らん。だがお前は本来与えられた生を全うできなかった。その分のペナルティがあるんだよ」
「……馬鹿げてる」
少年は再び顔を膝に埋めてしまう。暁海自身、最初はおかしいと思った。
ただ、何があっても生き抜くこと、それが人間の果たすべき義務らしい。自分の生き死にもままならないなんて。つくづく彼らは生きづらい生き物だと思う。
「お前には二つの選択肢が与えられている。一つは罪を一身に背負うこと。もうひとつは縁者に罪滅ぼしを手伝ってもらうことだ。ちなみに拒否権はない」
少年はしばらく黙り込んでいたが、やがて顔を上げた。
「ふたつ目って相手を選ぶことはできる?」
「できるよ。ただ、一人に割り振れる刑の上限があるがな」
「そっか」
少年はなぜか笑みを漏らす。すると彼は言った。
「じゃあ、ぎりぎりまでお兄ちゃんに分けちゃって」
暁海は目を丸くする。思わず口を挟んだ。
「いいの? 実のお兄さんだよ?」
「別にいいよ。どうせ僕を殺したのはお兄ちゃんだし」
耳を疑う発言。けれど、少年はせせら笑いを浮かべるだけだった。
「どうして? そう言い切れる根拠はどこにも――」
「だって、僕と付き合いがあったのはあの人だけだから」
少年の笑みは変わらない。けれど、その瞳には暗い光が宿っていた。
暁海は顔をしかめつつ、少年に聞こえないように前田に耳打ちする。
「ちなみに罪滅ぼしを手伝ってもらった場合、この子は――」
「だから子供じゃねえって言ってんだろ」
「じゃなかった、この人の罪はどんな感じになるんです?」
「来世が蟻からバッタに変わるくらいだな」
大した変化ではなさそうだ。だとしたら、この少年の存在がこのまま終わるのはあまりに寂しすぎる。
暁海はしばらく考える。それから、少年に尋ねた。
「どうしてお兄さんはあなたを殺したと思うの?」
「おい」
前田が厳しい視線を暁海に寄越す。余計な手間を増やすなという意図だろう。分かったので、とりあえず無視する。
「………」
少年はずっと黙っている。やはり酷な質問だっただろうか。
「多分、面倒くさくなったんだと思う」
ぽつりと、少年は呟いた。そして彼は語り出した。
「昔から僕は身体が弱くて。それが嫌だったお母さんお父さんは僕を置いて出てったんだけど」
「なんでこんな面倒な話を聞かなきゃならないんだ……」
前田があからさまに嫌そうな顔でぼやく。彼にとっても少年の話は重く感じるらしい。まともな感性が残っているようで安心した。
「だけど、お兄ちゃんはちゃんと面倒を見てくれて。あの人はお医者さんだったから、高い薬とか、色々手を掛けてくれたんだ」
「優しいお兄さんじゃない」
「でも」
少年は首を横に振った。
「治る感じは全然なくて、それどころかどんどん悪化しっちゃって。そんな僕がお兄ちゃんも邪魔になったんじゃないかな」
確かに、どうしようもない状況だ。少年の兄が精神的に追い詰められていたのであれば、彼が話したような結末に行き着くのはあり得ないことではない。ただ、
――やっぱり引っかかる。
医者は人を救うことに命を賭ける人種と聞く。たとえそれが建前なのだとしても、 それまで手を尽くしてきた患者をそう簡単に自ら手にかけられるものなのだろうか。
その時、前田のぼやきが耳に入った。
「こいつに死の直前の記憶はないんだ。時間の無駄だよ」
「そうかもしれませんが……」
暁海は口ごもりつつも、前田を見る。そして、眉をひそめた。
前田はなぜか向こうに目をやっている。
その視線を辿っていくと、壁際に置かれた机が目に止まる。その上には一枚の紙が置かれていた。
――あれは……?
訝しんだ暁海は傍に寄り、その内容を確かめる。
そして、
「……そっか」
暁海はある考えに行き着く。やっと腑に落ちた。
「一つ訊いていいかな」
暁海は少年に向き直る。少年は首を傾げた。
「なに?」
「今日って何か特別な用事があったんじゃない?」
「特別……」
少年は眉をひそめる。少しの間、考える素振りを見せたが、やがて彼は首を横に振った。
「そんなのないよ。お兄ちゃんの診察はあったけど、いつもやってもらってたことだし」
「……そう」
間違いない。今度こそ、この推理は当たっているはずだ。
「あのね、あなたのお兄さんは――」
暁海が少年に話そうとした、その時。
「ここです」
前触れもなく、部屋のドアが開く。次いで、複数の男たちがぞろぞろと中へ入ってきた。
大半が同系色の地味な服を纏っている。身なりからして恐らく警官。そんな中、先頭にいる男だけは白衣を羽織っていた。
「……お兄ちゃん」
呟いた少年は白衣の男に目をやっている。どうやら彼が少年の兄らしい。
男の集団は私たちを気にした様子もなく、遺体の周りへ集まってくる。やはりいつも通り、私たちの姿は彼らから見えていないらしい。
やがて、警官と思しき男の一人が言った。
「彼があなたの弟さんなんですね?」
「ええ、間違いありません」
「それであなたが殺したと」
「はい、その通りです」
白衣の男は淡々と、けれど沈痛な面持ちで質問に答えていく。状況から察するに、彼は自首をしたらしい。
暁海は壁の時計を見る。自分たちが来てから、つまり青年の死からそれほど時間は経っていない。律儀な人だ。
「やっぱりお兄ちゃんなんだ……」
兄と同じように少年は項垂れる。そんな彼に、暁海は疑問を投げかけた。
「だとしたら不自然じゃない?」
「何が」
「お兄さんは自首してるんだよ?」
「どうせ罪の重さに堪えきれなかったんだよ。やっておいて無責任な――」
「フェイクも作って?」
怪訝な顔を見せる少年。暁海は天井の縄を指さした。
「ここまでしてすぐに心変わりなんて、さすがに早すぎるんじゃない? 自首するにしてももう少し時間が空くと思うけどな」
「それは……」
先ほどの暁海のように少年は口ごもる。
すると、似たような質問が白衣の男に投げかけられていた。
「どうしてすぐに自首を? こんなアリバイ工作までして――」
白衣の男はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「今日は弟の定期検診日だったのですが、その後の彼の様子がおかしくて。心配になって彼の部屋を訪ねたんです。そうしたら」
男は言葉を切る。そして、静かに告白した。
「弟が首を吊っていたんです。何とか間に合って引きずり下ろしたんですが、彼の意志は固く。ならせめて私の手でと……鎮静剤を過剰投与したんです」
男は両手で顔を覆ってしまう。警官はさらに質問を重ねた。
「……弟さんがそこまで思いつめた理由に心当たりは」
「間違いなく今日の検査結果です。末期症状でした」
少年は何も口にしない。ただじっと、目の前の兄の姿を見つめていた。
暁海は手に持っていた紙、その診断結果報告書を少年に見せる。そこには確かに、望みのない内容が羅列されていた。
「君は自殺しようとしてたんだよ。この結果にショックを受けて。それを目撃したお兄さんが代わりにあなたの命を奪ったの」
「……なんでそんな」
少年は暁海に向き直る。彼は引きつった笑いを浮かべていた。
「僕はすぐに死んだんだよ? なんでお医者様がわざわざ殺す必要があったの? そんなの完全に無駄――」
「無駄じゃないよ」
暁海は首を横に振る。そして言葉を継ごうとしたが、やめる。
ちょうど打ち明けるべき人が言葉を紡いでくれた。
「せめて彼に……綺麗な最期を迎えさせてやりたかったんです」
少年はしばらく呆然としていた。
「……相変わらずお節介だね」
少年は立ち上がる。そして、ずっと傍で黙っている前田へ向き直ると、頭を下げた。
「さっきの発言は取り消します。罪は全て僕に背負わせてください」
「……あいよ」
前田の返事に少年は頷く。
それから、もう一度兄の方を見る。そして、微笑んだ。
「ありがとう。兄さん」
その言葉を最後に、彼は姿を消した。
一部始終を見届けた後、暁海は前田へ向き直った。
「お待たせしました」
「余計な真似しやがって」
前田は大仰なため息をつく。その姿に暁海は思わず笑みを漏らす。
「でも、前田さんもこうなることを望んでいましたよね」
「あ?」
「ありがとうございます。ヒントをくださって」
暁海は前田に頭を下げた。彼の目配せがなければ、報告書の存在には恐らく気づけなかっただろう。
――まだまだ半人前。
そんな自分を待ってくれているのは前田の優しさなのだと思う。いつもは見えづらい優しさだけれど。
……それはそれとして。
「やっぱり私の推理が正しかったじゃないですか」
「結果論だろ。それに未遂に終わってる。たまたまお前のご都合主義が――」
「それでも的を射てたのは変わりありません」
「……ったく」
口だけは達者だな、とぼやく前田。彼は踵を返すと、そのまま玄関へ向かっていった。
慌てて追いかけようとしたその時、暁海は手の中にある紙の存在を思い出した。
「あっ、そうだ」
暁海はポケットからペンを取り出す。それから診断書の裏に一言を書き加えた。
――本人が言ってたんだから、いいよね。
その紙をそっと遺体の横に置く。そして急いで、前田の背中を追いかけた。
Where? @araki
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