第52話 天体観測

「何ですか、いきなり」

「いやいや、ちょっとついてきてくれ」


急にクエリーシェルに腕を掴まれて、連行される。普段こんなに強引なことはないのに珍しい。


「どこに行くんですか?」

「ちょっと塔にな」

「塔って、この家の端にそびえるあの塔ですか?」

「あぁ、その塔だ」


あそこは今まで立ち入り禁止だと言われていたから普段立ち入らなかったのだが、その分掃除も何も行き届いてなかっただろうに、行っても大丈夫なのだろうか。


虫や小動物の類いならある程度受容できるが、さすがに埃まみれや菌糸類がいるような環境には行きたくないのだが。


とりあえず、言われるがまま連れて行かれるがままにされる。


「何をなさるおつもりで?」

「いいからいいから」


やけに機嫌が良さそうな様子にイマイチ腑に落ちないながらも、塔まで到着する。そして手を引かれると、エスコートされるがままに階段を登って行った。


「な、にこれ……」


思わず絶句する。惨状に慄いてるわけでなく、あまりにも、自分の趣味にマッチした綺麗に整えられた環境に思わず魅入ってしまった。


「どうしたんですか、これ」

「リーシェが好きそうなものを集めてみた」


どれもこれも細かな細工が施されている調度品が置かれ、カーテンもシャンデリアも全て夜空をイメージしているのか瑠璃紺色るりこんいろ縹色はなだいろ金糸雀色かなりあいろ黄支子色くちなしいろなど青と黄色で装飾され、落ち着きながらも煌びやかな刺繍で心踊るような部屋に仕上がっていた。


「いつの間に……」

「入院している間にな。喜ぶかと思って」

「掃除やら搬入やら大変だったんじゃないですか?」

「まぁ、そうだな。だが、リーシェが喜んでくれるなら、私としては苦ではなかったさ」

「……どうも、ありがとうございます」


既に涙腺が弛んできた。


最近甘やかされているせいか、涙脆くなっている気がする。どれもこれも自分好みである。まさかここまで自分の趣味にドンピシャなのも早々ないので、素直にクエリーシェルの観察眼に感服した。


「気に入ったか?」

「えぇ、とても」

「本当はこの塔は私の実の両親が天体観測用に作ったんだ。2人とも星座とか星とかが好きでな。リーシェは星座など詳しいか?」

「一応占術関連の国におりましたし、方角を把握するために一通りの星座はわかりますが」


普通の答えのつもりだったが、恐らく彼の望んでた答えだったのだろう。抑えきれない感情が口許から漏れ、ニヤニヤし始めるクエリーシェル。


「ということは、星座に纏わる物語は知らぬ、ということか?」

「物語、ですか?そういうのもあるんですね。その辺については不勉強で、私はわかりかねます」


珍しく目をキラキラと輝かせているクエリーシェル。歓喜してるのか、少し身体を震わせている。


(そんなに、私が知らないことに喜ぶとは)


「そうかそうか、リーシェも知らぬことはあるよな」

「私も万能ではないので」


嫌味な言い方ではあるが、こうまで喜ばれてしまうと少々反応に困る。こういうところは年の割には子供っぽいと思う。それがこの人の良さではあるのだろうが。


「実はな、先日の舞踏会でロゼットと盛り上がったのもこの話のことでな。彼女は物語に詳しいらしい。それで色々と教えてもらったのだ」

「へぇ、そうなんですね」

「まぁ、とりあえず星を見ようか」


用意されている椅子に腰掛ける。事前に色々と周到に準備していたらしく、既に茶菓子やお茶なども揃っている。恐らくロゼットが用意したのだろう、何ともいい香りである。


「メイドがこんなに至れり尽くせりで良いのでしょうか」

「いいんじゃないか?まぁ身分としてはどちらかというと、私の方が低いしな」

「後ろ盾がない状態なので、それに関してはなんとも言えませんが」

「カジェ国に言えばすぐに後ろ盾になりそうな気もするがな」

「それは、確かに、……否定できませんね」


あのアーシャなら喜んでしそうだ。いっそ妹として縁組しようかとも言い出しかねない。


「星がよく見えますね」

「そうだろう?ここは特等席だからな。思い出の場所だから、と父に私もあまり入れてもらえなかった」


そう言って、クエリーシェルの父親はいかに実母を愛していたかを語ってくれた。


とても慈愛に満ちた父親だったのだろう、きっと実母が生きていたら、それはそれは仲睦まじい家族だったのではなかろうか、と想像しながら話を聞く。


「っと、私の話ばかりだったな。星の話に戻そう。まず今見える夏の星座は……」


クエリーシェルは色々と調べてくれたのだろう、たくさんの物語を聞かせてくれる。


こんな風に物語を聞いたのはいつぶりだろうか。幼少期の頃よりなかったのではないか、と思い出しながら聞き入る。


どれもこれも神話に関連するもので、悲恋や死に纏わるものばかりなことに気づき、普段眺めていたこの星々にそのような物語があると思うと、見方が変わる気がした。


「面白いですね。あの星々にそのような意味が込められているだなんて」

「あぁ。要らぬ知識だろうが、知っていて損はない知識だろう?」

「要らぬ知識などありませんよ。知識は常にどの分野の、どのような些細なことでも糧になります。実際に私もこの知識のおかげでクエリーシェル様の元で働くことができていますし」


あ、流れ星、と空に向かって指を出したとき、その手を彼の手で絡め取られる。


「どうかなさいましたか?」

「リーシェ」


名を呼ばれ、指先に口付けられる。なんだか気恥ずかしくて、手を引っ込めようとするが、さすがに彼の力には勝てなかった。


「ちょ、どうしたんですか?お酒でも飲みました?」

「いや、至ってシラフだ」

「なら、なぜ」

「皆まで言わせるのか?」


胸がドキドキする。こんな雰囲気は初めてである。努めて冷静でいようとするが、鼓動の煩さで思考が邪魔される。


「あ、あの、ニール様に知られたらまずいですし」

「なぜ、ニールの名が出てくる。もしや、ニールのことが好きなのか?!」

「い、いえ、ケリー様が、その、ニール様と深い関係なのだということは、私、心得ておりますので」


言葉を濁しつつ遠回しに言えば、一瞬固まっていたクエリーシェル。だが少しの沈黙のあと、途端に複雑な表情に変わる。


「いや、断じてニールとはそう言った関係ではない!」

「え、でも、ニール様はケリー様のこと」

「いやいやいやいや、あってたまるか。というか、別に私は普通に女性が好きだ!」

「左様でしたか」

「どんな勘違いをしていたのだ……」


ちょっと雰囲気が和んだのを見計らって再び手を引っ込めようと試みるが、そうはなかなかいかなかった。


「リーシェ」

「な、なんでしょう?」

「これで懸念材料はなくなったか?」

「え、えーと……」


だんだんと迫ってくるクエリーシェル。顔が近い。吐息が顔にかかるほど近づき、もうすぐ唇と唇が触れそうなほどだった。


(こういうときってどうすれば?え、目を閉じた方がいいのかしら。というか、これって、え、と。とにかく心臓の音が煩い)


ガタンっ……!!


は!として飛び退くようにクエリーシェルから身体を離し、音がした方を見れば、顔を真っ赤にしているロゼットと目が合う。


「あ!すみません!!どうぞ、そのままお続けになってください……っ」

「……ロゼット」

「ごめんなさい!ごめんなさい!」


動揺し、申し訳ないほど謝る彼女。まぁ、タイミングの悪い?いや、ある意味良かったのか?とりあえず、複雑な心境ながらもホッと胸を撫で下ろしつつ、するりと彼から離れて彼女の方に行く。


「どうしました?何かありました?あぁ、お茶とても美味しかったです。ありがとうございます。どこの茶葉でした?お湯の加減は何度ほどでしょうか」


慣れない状況だったからか、我ながら饒舌だと思う。口がよく回ると思いながら、ロゼットの近くにいることで心臓を少しでも落ち着かせたかった。


「リーシェ」

「もう、夜遅いですから。ケリー様、おやすみなさいませ」

「リーシェ」


顔が熱くなる。こんな感情初めてだ。


「もういっぱいいっぱいなので、ご勘弁ください……」

「……、仕方ない。ロゼットも早く寝なさい」

「はい、クエリーシェル様、おやすみなさいませ」


ロゼットに続いて階段を降りようとすると、腕を引かれて頬に触れる何か。


「おやすみ、リーシェ」

「~~~っ!!お、おやすみなさいませ」


まさか、彼がこんなに猛攻をかけてくるなんて。彼の唇が触れた頬に熱が集まり、それを抑えるように手で押さえながら私は一気に階段を駆け下りた。


(今日は寝れないかも)


リーシェは初めて感じる感情に戸惑いながらも、明日に備えて布団を被るのだった。

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