閑話

第56話 閑話 豆投げ鬼/親友

【豆投げ鬼】


——


 ある日のこと。


「文月様。本日は休日ですと、昨日にお伝えしたと思いますが」

「えっ……」


 朝である。いつものように研究室へやってきた文月は、中に居たひとりの女性にそう告げられた。アルテとセレネの家庭教師であったという、フランソワだ。


「休息は大事ですよ。文月様も日々、お疲れでしょう」

「いや、俺は治療だけだし疲れないけど……」


 そんなことを話していると、背後で騒ぎ声が聞こえ始めた。


「?」

「ハッピーセツブ——ン!!」

「あははははっ!! 鬼アウトーっ!!」

「ぎゃぁぁぁあ!」


 どたばたと、騒ぎの中心はアルテとセレネだった。彼女らはその手に何やら袋を持っており、その中身を鷲掴みにして、逃げ惑う兵士達や魔女達に投げ散らかしている。


「何してんのあんた。今日は節分よ」

「美裟」


 振り向くと、美裟も袋を持っていた。その中身を摘まんで、ぼりぼりと食べている。


「なにそれ」

「豆」


 ぼりぼりと。


「…………なんで食べてんの」

「ん」


 美裟はぼりぼりしながら、顎でアルテ達の方を差した。兵士達や、魔女達を。


「ごくん。……あの人達、豆投げ付けられたら喜ぶのよ。なんか気持ち悪いから、あたしはパス。あの子達はなんかテンション爆アゲだけど」

「……ていうか、今日はそんなイベント日? なんだな」

「『こういうの』、大事よ。精神衛生的にもね。ずっと訓練とか研究より、楽しくて良い職場じゃない。はい」

「へっ」


 美裟は手に持った袋と、鬼の仮面を出した。


「あんたはどっちが良い?」

「え……」


 気持ち悪いと言われてしまった手前。仮面は受け取れない。

 豆を受け取った。


「あら、文月はそっちなのね」

「!」


 ごろごろと、車椅子の音。愛月である。


「母さん」


 そしてその綺麗な顔を隠すように、鬼の仮面を着けていた。


「……母さん、だよな?」

「いや声で分かりなさいよ」

「うふふ。あのねえ。ひとつ良いかしら」

「?」


 いつもの調子で、愛月はゆっくり話し始める。


「今朝からずっと、城中を巡っているのだけど。誰もわたしに豆を投げないのよ。どうしてかしら?」

「…………」


 本当に不思議と言った声色で。

 見上げると、車椅子を押すメイドは微妙な表情になっている。


「(……そりゃ、誰も投げられる訳ないじゃない。カリスマで創り上げた組織のボスに豆なんか)」

「分かった。じゃあエマさん? しっかり逃げてね」

「え……」


 文月がそこまで察したのかは分からないが。袋に手を突っ込んで振りかぶる。


「きゃあ。ほらエマ、早く速くっ」

「え。は、はいっ!」

「鬼は外っ!!」

「きゃっ。ちょっ。割りと地味に痛いわっ。エマ逃げてっ」

「いたっ! かしこまりました!」


 慌てて旋回し、逃げ始めるエマ。文月は当然追い掛ける。


「福は内っ!!」

「きゃあっ! ふ、文月。こっちは車椅子なんだから、少し手加減を」

「鬼は外っ!!」

「い。痛いわっ。これもう文月が鬼なんじゃなくてっ?」


「…………」


 その様子を、美裟は見ていた。

 そして、少し楽しくなってきた。


「……美裟さん。私の分の豆、要りますか?」

「ありがとうございます、フランソワさん」


 この島で、愛月に遠慮無しに『豆を投げ散らかせられる』のは。愛月を楽しませられるのは。


——


「鬼はーっ。……外っ!!」

「!」


 文月の背後から、高速で投げ付けられた豆がエマを通り過ぎ、愛月の後頭部にブチ当たった。


「きゃぁあっ。ちょっ。い、今までで一番痛いわっ。文月??」

「私です。覚悟してくださいね? 『愛月鬼』さん」

「や。やばいわ。あの子は。ほらエマっ。もっと速くっ!」

「福はぁぁーっ」

「怖い怖い怖いっ! どっちが鬼よ!」


 どたばたと。


「ハッピ————セッツブ——ン!!」

「きゃあっ。何?? セレネ?」

「あっ。ママ! ママ鬼なんだねっ。ようし!」

「増えたわっ! 『豆投げ鬼』がっ。エマっ!」

「つ。……疲れてきました。愛月様……」

「駄目よ逃げて!?」


 最終的に全員合流した。


「あははははははっ! 逃げなさいこの鬼どもっ!」

「な、なんかアルテちゃんキャラ変わってない!?」

「おりゃぁ~っ!!」

「あっ。豆なくなった! これどうしよ」

「ふふん。文月の豆は終了ね。これで幾らかマシに……」

「調理場に予備があるわよ」

「きゃぁあっ。教えちゃ駄目~っ」

「愛月様をお守りしろお前らっ!」

「そっ。そうよ! わたしを守って!」

「良い度胸ね。鬼はぁ~っ」

「壁を作れっ!」

「外ぉぁあっ!!」

「ギャアアアアアアア!!」


 どたばたと。

 後でアルバートが言うには、『夜』らしい休日になったらしい。因みに彼は調理場から豆をくすねてきて、自室で酒のつまみにしていた。


「…………で、この後掃除すんの?」

「勿論。メイドの休日でもあるから『わたし達が』きちんとお掃除するのよ」

「………………」


 最後にテンション爆下げになる所も、『夜』らしいと言えばらしいようだ。


——


——




【親友】


——


「あいたた……まだなにか、頭に感触が残ってるわ」

「あははは……」


 節分の翌日。

 愛月は付き人にエマと、文月と娘ふたり、美裟を連れて『堕天島』へやってきていた。


「この島も久し振りね。……ちょっと前までは町なんて無かったんだから」

「へえ、そうなんだ」

「ソフィアがそれだけ、有能だったということね」


 本日も休日。2連休である。フランソワの移動魔術でやってきたのだ。


——


「愛月様っ! お久し振りです!」

「あらディアナ。元気そうね」


 まず向かったのは、エバンス邸である。今はディアナひとりで仕切っている。この大屋敷も、町も。


「……お兄ちゃん」

「ああ」


 ディアナは一同を見ると嬉しそうに飛んできた。


「ディア姉!」

「わっ」


 それを見て、セレネが嬉しそうに飛び込む。


「町は大丈夫? わたしが送った子達はうまくやっているかしら」

「はいっ。もう毎日頼ってばかりです」


 ソフィアの訃報を聞き、愛月はディアナの補佐にと人を送っていた。町を建て直し、島を運営するための専門家達である。


「でも皆おじさんだからねえ。可愛い女の子の付き人でも作りなさいね。色々と楽よ」

「あはは。……私にはまだ早いです」

「うふふ。じゃあ早速行きましょうか。案内してね?」

「はいっ」


 ここへ来た目的は、墓参りである。ソフィアだけではない。

 先の戦闘で文月の到着が間に合わず、亡くなった兵士達もここに眠っているのだ。


——


「——それこそ、姉妹のような感じだったわ。わたしの方が少し、お姉さんだった」


 道中。愛月が語り始める。ソフィアとの思い出を。


「(ステラ・マリス……。イギリスの宗教団体の『聖母の生まれ変わり』として信仰の象徴だった時代ね)」


 美裟は、改めて思う。

 幼い頃に海外へ拉致されたのだ。凄まじい人生のスタートだろう。

 その中で出会ったソフィアとは、どんな関係であったのだろうか。


「いつも、わたしの後を付いて回ってたわ。あの子の家は貧乏で、いつもボロボロの汚い服で。……泣き虫でねえ」

「……ママが?」

「ええそうよ。でもディアナ。あなたを産んでから人生は180度変わった。魔女としてわたしの補佐をしてくれて。活躍してくれて。だからわたしも彼女にこの島をあげたし、あのお屋敷だって。彼女の子供時代の、『野望』を体現したと言っていたわ」

「…………」


 町の墓地に到着した。創始者でもあったソフィアの墓石は、一際大きく目立っていた。


「ねえディアナ。この町、この島はね。ソフィア・エバンスという『少女』の抱いた『憧れ』そのものなのよ。だから、あなたが引き継いでくれてとっても喜んでいると思うわ」


 愛月はエマに視線を飛ばして、彼女からメモのようなものを受け取った。


「はい。これを渡しに来たのよ」

「……?」


 受け取ったディアナは、それを確かめる。何か書いてあるようだ。


「……住所?」

「ソフィアの実家よ。あなたの祖父母にあたる夫婦が、そこに居る筈よ」

「えっ!!」


 驚くディアナ。

 愛月はにこりと笑った。


「アルテとセレネだけじゃないわ。あなたの家族は。行って、もしまだ生活に困っているならこの島に呼んだら良い。貧乏だったけれど、愛されては居た筈だから。あなたも優しく迎えられる筈よ」

「……私の、祖父母」

「えー! じゃあわたしのお祖母ちゃんってこと?」

「セレネ」

「厳密には違うよセレネ。アルテ達とディアナお姉さまは、半分しか血が繋がっていないから。ソフィアさまとも繋がっていないでしょ?」

「えー! やだ!」

「うふふ。そうね」


 愛月はセレネとアルテを手招きして、頭を撫でた。


「あなた達には『お祖父ちゃんお祖母ちゃん』を紹介できなくて申し訳無いと思っているわ。だからいつか、ソフィアのご両親に会った時に、『お祖父ちゃんお祖母ちゃん』と呼んであげてね」

「うん!」


 姉妹のように過ごした、親友。同じ夫の『子』を授かり、それを通じて家族となった、親友。

 セレネが『お祖母ちゃんと呼びたい』ことが、愛月は何より嬉しかった。


「ねえソフィア。あなたとわたしは幸せよね」


 墓石の側に植えられている木々が、さわさわと優しい風に揺れた。

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