第54話 セレスティーネの『兄観』
「これも冗談ですよ。僕は今からさらに契約者を増やそうとは思っていませんので。愛月さんは魅力的な女性だと思いますけどね。残念ながら僕の趣味じゃありません」
——
その日の研究が終わり。解散となった。
ウゥルペスは自室に戻っていき、それを見て数人の魔女が付いていくように部屋を出る。残りの魔女は研究室の片付けや清掃を分担してテキパキとこなしていた。
「手伝いますよ」
「いえっ! あの、大丈夫なので! 文月様は楽になさっておいでください!」
「…………」
自分は、どのような立ち位置に居るのだろうか。やっていることは、彼女らの治療なのだが。
『ご主人様の雇い主の息子』。
確かにどう接すれば良いか分からないなと、彼女達に同情した。
「……ウゥルペスって、どんな人なんですか?」
「えっ!」
訊いてみるが、文月の言葉は全て彼女達の『驚き』に変わってしまう。そもそも話し掛けられることすら、彼女達にとっては『あり得ない』ことであるらしい。
「いえっ。えっと。……ウゥルペス様は、お優しい方です。それこそ、文月様と似ていらっしゃるかと思います。誠実……あぁ、10人も契約なさっておいて誠実では無いとは思いますが、私達の前では少なくとも、『そう在ろう』としてくださいます」
「…………なるほど」
ならばやはり、昼間のウゥルペスは『嘘だらけ』だったのだろう。契約者である彼女の言葉は正しいと思える。基本的には悪い奴ではないのかもしれない。少し、人をからかうきらいがあるだけで。
「それに、私達ひとりひとりに、『夫を持つこと』もお許しになりました。……とてもお優しい方、です」
「…………そう、なんだ」
それがどういうことかは分からない。ウゥルペスの真意も図れない。悪魔について、魔女について、契約について文月は知識が足りていない。
「あの、あの」
「はい?」
「ぅ……。ウゥルペス様にも『普通』なのですから、私達にこそ、敬語など必要ありません。……身が持ちませんので。どうかお願いいたします」
「あ。……えっと、分かった」
「ありがとうございます。それでは失礼いたします。また明日、よろしくお願いいたします」
「うん。お疲れ様」
——
敬語は必要無い。
初めはアレックスに言われた。それから、それを言われることが多いなと改めて思う。
こんなに落差のある上下関係は、日本には中々存在しないだろう。メイド達や魔女達を見ても、アジア系の子も居るには居る。
だが、もう母国の感覚ではなく、ここの感覚に慣れてしまったのだろう。ケイの契約魔女である色葉も恐らくそうだった。彼女も日本人だが、しっかりと魔女だった。
「(……いや、ざくろさんと色葉さんはケイにタメ口だったな……)」
悪魔と魔女の主従関係も、悪魔の数だけそれぞれあるらしい。一概に型にはめて『こうだ』と決めつけることはできないのだろう。
ざくろと色葉はケイのことを夫と呼んでいた。つまり主従関係と同時に夫婦関係でもあるということだ。ウゥルペスの所はそうでは無いのだろう。
文月は色々と考えながらしばらく、研究室に留まっていた。
——
「フミ兄、もう陽が暮れるよ?」
「ん」
不意に、視界にセレネの顔がアップで映り込んだ。研究室の清掃の後も居座る兄を不思議そうに見る目をしている。
「ああ。そうだな。そろそろ夜か」
太陽が、雲の下へと沈んでいく。この九歌島は、どうやら移動しているようなのだ。日によって窓から見える景色、また方角も違っている。
「……さっき、大丈夫だった?」
「えっ?」
夕焼けを反射するセレネの不思議そうな目は、不安そうな目に変わった。
「ウゥルペスさんと、睨み合っているように見えたので。一瞬、室内がざわつきました」
「えっ。そうなんだ?」
隣のアルテが補足する。恐らくはウゥルペスの『冗談』の時だろう、と文月も思い至る
「うーんとな……」
何と、説明しようか。考える。はぐらかしても良いが、賢いこの子達には通用しないだろう。そもそも『文月がウゥルペスを睨んだこと』を察することができた時点で自分より何枚も上手だと、文月は考える。
「……アルテ達のことですか」
「!」
ほら。
勘か、推理か。思い至るのだ。この出来すぎた妹達は。川上家の中で、どうして自分だけ頭が悪いのだろうと思ってしまうほど。
「フミ兄、いーい?」
「ん?」
セレネが不安そうな目を、心配そうな目に変えて。
両手を広げた。
文月は拒むことなく、自慢の妹を抱き寄せた。
「……あのねフミ兄」
「んん」
「怖かったよ、さっき」
「!」
「多分、わたし達のことを悪く言われたとか、そんなかなあって思うけど。フミ兄が怒る理由って、あんまり思い付かないし」
鋭どすぎる。こちらが寧ろ怖くなってしまうくらいに。
しかし、自分はそこまで怖い顔をしていたのだろうかと考える。だから、先程の魔女はどこか怯えたような受け答えだったのだろうか。
「……合ってる?」
「ああ……。まあ大体」
「そっか。ありがと。でもね」
セレネは文月の胸に顔を埋めている。短い腕を回して、精一杯抱き付いている。
「フミ兄には怒って欲しくない。怖い顔なんて、して欲しくない。いつだって優しいフミ兄が、わたしは大好きだから」
「……セレネ」
「お兄さま」
「!」
アルテと目が合う。不思議そうな目も不安そうな目も心配そうな目もしていない。
セレネとは反対に。
どこか安心しているように見える瞳。
「お正月に、アルテはお兄さまに言いました。『アルテは守られる弱い者ではありたくない』と。……覚えてますか」
「勿論。そりゃ、覚えてるよ」
「……正直、『お兄さまに守られている』と思うと幸せを感じるアルテも居ます」
「…………」
「それでも、いずれアルテ達は自立しなければなりません」
「……うん」
「…………でもセレネは、アルテと全く同じ考えでは無さそうなんです」
「えっ?」
ずっと、一緒だった。常にふたりでひとつ。セットだった。周りもそう思っているだろう。見分けが付いていない者も居るかもしれない。
だが。
別人である。
当然ながら。
「……フミ兄と最近あんまりお話できてなかったけど。お部屋でアルテといつも話すんだよ」
「えっ」
「いっつもフミ兄の話だよ。生意気だけどね、心配とか。だって今までのフミ兄の生活と全然違うもんね。吃驚することばかりで、大丈夫かなって」
「…………ああ」
「ミサ姉とは話せてる? お部屋一緒なんでしょ?」
「……ああ。話せてるよ。毎日吃驚ばかりだから、その話題が多いかな」
「良かった。ママとは?」
「大丈夫。母さんとも上手くやってるよ」
「……良かった。……あのねフミ兄」
「ん?」
埋めていた顔を、上げる。至近距離で、セレネと目が合った。
真面目な目だった。
「笑ってる笑顔のフミ兄が一番好きだよ。だから、魔術頑張るね」
「!」
最後にぎゅっと抱き締めて、文月から離れる。
「考えたんだけど、多分わたしは誰とも契約しないと思う」
「ん」
そう言えば。
ざくろや色葉に相談していたような。半魔であるならばケイと同じことができるのかと。大方は女部屋でしていたようで、詳しくは分からないが。
「契約をして、悪魔が『魔女』を作り出す理由は、効率です。自分の野望、目的の為に手駒を増やす。目的達成の為の手段のひとつです」
アルテが補足する。セレネと並んで、お互いを見合う。
「だってわたしにはアルテが居るから」
「アルテには、セレネが居ますから」
そしてふたりで、自慢の兄へ微笑み掛ける。
「だからフミ兄は、ミサ姉のことを考えてあげてね」
「!!」
ここまで言われて。文月は。
——
「ありがとう。お前達」
「!」
まず、感謝から入り。
ふたりを囲むように抱き締めた。
「お前達は大切な、自慢の、血の繋がったたったふたりの妹だ。大丈夫。兄ちゃんが守ってやるからな」
「っ!」
いくら賢く聡い妹であろうと。
『妹』である。
いくら情けなく、力の無い兄であろうと。
『兄』である。
「背伸びなんてしなくて良い。もっと頼れ。なんでもしてやる。……怖い顔だったのは悪かった。気を付けるよ。ウゥルペスも悪い奴じゃなさそうだし。でも、お前達を大事に思う俺の気持ちは、本物だ」
「フミ兄……っ」
「お兄……さま」
アルテが。
歯を食い縛った。
「(お兄さま……! 『それ』を、されると……! せっかく、諦められそうだったアルテの、『気持ち』が……っ!)」
涙が出そうだった。
「……わたし達家族、抱き合ってばかりだね」
「確かに……。ちょっと周りからしたら気持ち悪いかな」
「ま、まあ。良いじゃないですか。仲悪いよりはっ」
なんとかはぐらかした。
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