第53話 狐悪魔

「………………」


 空を見上げる。

 今日も良い天気だ。

 上を見ても下を見ても雲。最高の景色。

 文月は今、城の一室から窓の外を眺めていた。

 テーブルには、A4のルーズリーフ1枚と、ボールペン。その脇に美裟が淹れてくれたコーヒーがある。


「あれ? おかしいな。宇宙って酸素無いんですよね」

「馬鹿。酸素だけじゃないったら。ほら、ここの式おかしいって」

「ねえクレア。貴女いつまで経っても円を描くのが下手ね」

「そんな大量の銀なんてどうやって調達するのよ!」


 その部屋は、まるで実験中の理科の授業のような様子だった。女子高の雰囲気が少しだけ漂っている。見た感じ、年齢層も10代~20代前半辺りが多そうだ。

 『夜』に所属する魔女達の、『宇宙魔術』の研究所であった。


「……参ったなあ」


 魔術の研究。当然、何が起こるか分からない。そして、実験であろうと魔術を行使すると『罰』がある。文月は彼女達の研究中はこの部屋を離れられない。

 美裟はまた、兵士達の所へ行っているらしい。アルバートに気に入られてしまったようだと言っていた。


 ぼそりと、空に向かって呟く。手元のルーズリーフには、今朝愛月から説明のあったことをメモとして纏めようとして。


 現在ペンが止まった所だった。


「太陽。太陽か……」


 太陽へ『攻め込む』という、強烈すぎる言葉。

 神々とされる者達へ、宣戦を布告するという非現実。

 文月と美裟以外の『全員』がそれを本気で取り組んでいる異常事態。


「いきなりスケールでかくなったな……」


 天使とか悪魔とか、割りと『精神的な』、無意識に心の内側のような感覚で居たらしい。

 実際、『天界はどこか』と訊かれると。

 『太陽である』と。


「たまげたなあ……」

「ですよねぇ」

「…………」


 ぼそりと、呟いた言葉に。

 反応した声があった。


「えっ。うわっ!」


 文月は吃驚してコーヒーを引っくり返してしまう所だった。テーブルを挟んで、向かいに。

 いつの間にか、男性が座っていた。


「えっと。初めましてですね。文月君」

「……初めまして」


 にこりと、優しげに笑う男性。いや……青年と言って良い。文月とあまり変わらない年齢に思える。少し緑系の色味が着いた金髪で、正に『優男』と言える落ち着きを身に纏っている。


「僕はウゥルペス。『夜』幹部のひとりですよ」

「幹部」

「まあ、新参者ではありますけどね。歳は21です」

「えっ」

「あはは。そうそう。だから文月君とは仲良くなれそうかなと思って、声を掛けてみたんです」


 ウゥルペスは爽やかに自己紹介をする。文月は、驚いた。少し意外だったのだ。

 21やそこらの青年は何人も居る。その全員が、アルバートの部下として訓練をしている。

 だがこのウゥルペスからは、そんな様子は無い。中肉中背で、鍛えているようにも見えない。何よりセットされたような髪は、兵士にはあり得ない。


「……魔術師ですか? それとも……『奇跡』」

「いえいえ。どちらも違います。あっ。敬語は要らないですよ。系図上は僕の方が下っ端じゃないですか」


 愛月が『幹部』にするということは、このウゥルペスにも何かしら『特筆すべき点』がある筈だ。アルバートのような軍人で無いのなら、消去法で魔術関連だと思える。


「奇跡なんて、持ってたら良かったですけどね。あれは本当に、本当に本当に稀有なんです。『1000年にひとり』って所ですね。当の文月君からしたら実感が湧かないかもしれませんが、貴方は本当に、『稀少種』なんですよ」

「…………でも、『夜』にはもうひとり居るって」


 確か、美裟が言っていた。アルテから聞いた話だが。


「まあ、そうですけど。あれは殆ど反則ですからね。文月君とは別枠でしょう。まだ、お会いしてないんですね」

「……確かに、まだまだ色んな人と挨拶しないと」

「あははっ。そんなに畏まらなくて良いですよ。ウチは割りとその辺り適当です。心配しなくても、同じ組織なんですから。すぐにその機会は訪れるでしょう」

「……なるほど」

「だから僕は、普通ですよ。何の特徴も無い、普通の悪魔です」

「…………」


 さらっ、と。

 文月は一瞬、スルーしてしまった。


「はぁっ!?」

「はい?」


 吃驚して、コーヒーを引っくり返してしまう所だった。

 ウゥルペスを見る。にこにこと笑っている。普通に。ごく普通に。


「あ。……悪魔、なんだ?」

「はい。愛月さんの目的を達成するには何人もの『魔女』が必要なので。それで僕がヘッドハンティングされてきました」

「えっ…………」


 普通に説明した。

 と、いうことは。


「きゃあっ!!」

「えっ! ウゥルペス様!?」

「ちょっ……いつの間に!?」


 驚きの声が挙がった。

 ふと、研究に夢中になっていた魔女達がウゥルペスを見付けたのだ。するとあわてふためきながら、代表らしいひとりがウゥルペスの前に膝を突いた。


「良いって。研究を続けたら良い。あと僕にもコーヒーをくれるかな」

「は……。はいっ!」


 表情を崩さず、ウゥルペスが指示を出す。それから、魔女達はどこかそわそわし始め、変な空気が室内に流れ始めた。


「……そうそう。彼女達は全員僕の契約者です。良いでしょう?」

「!!」


 文月は、初め大して気にしていなかったが。

 ざっと数える限り、13人居る。その中に混じって一応、アルテとセレネも居るのだが。

 そのアルテとセレネを除いて、これが皆、ウゥルペスの『魔女』であると。


「正確にはお嬢様ふたりと、家庭教師のフランソワ以外の全員、ですね」

「…………なる、ほど」


 ケイはふたりだった。

 その比ではない。

 この、優男ウゥルペスは。この女子高生10人を相手に。全員。


 文月は、どんな自己紹介だ、と思ったが。ならばどんな自己紹介ならば良かったのか、と考え。

 やはり本人から直接聞くのが一番なのだなと落胆しながら納得した。


「一応言っておきますけど、催眠とかはしてませんからね。本人達が望んで、僕と契約したんです。まあ、一部成り行きでやっちゃった子も居ないでは無いですが」

「…………そう」


 もう驚かない。いつも思っている気がするなと、文月は思う。


「で、ちょっと気になってるんですけど」

「?」

「人間と契約したら魔女になって魔術が使えるようになりますよね」

「ああ」


 ウゥルペスは。


「なら、元から使える『半魔』と契約したら、どうなるんでしょう?」


 悪戯っぽく、不敵に、そう言った。


——


「(——おっ)」


 悪魔という種族柄、人間の心の機微には敏感である。それはウゥルペスとて例外ではない。彼は悪魔として『平均的』である。

 だから、その言葉を言われた文月が発した『それ』を、分析しようとする。


「っ!」


 何人かの魔女が、ふたりの間に突如流れ始めた『ぴりついた空気』を察してこちらを見た。

 アルテも、それに気付く。


「(……お兄さま……?)」


 ウゥルペスは室内の全てを把握して、なお表情を変えない。


「(なあんだ。愛月さんから聞いてた話と少し違いますね。優しさの塊で純日本人らしくのほほんとしているかと思いきや)」


 なんなら、愉しそうな笑みに変わって。


「(しっかり出せるじゃないですか。『殺気』。いや……)」


 この冗談を言われた相手が美裟ならば、まだマシであっただろう。彼女が悪魔に唆されることは決してないと言い切れるほど信頼している。

 だが。

 幼い妹に手を出そうと言うのなら話は別だ。


「(……敵への殺気、というより、『妹の害となるモノの排除』のみを決している眼。『義憤』と言った方が適していますかね)」

「……ウゥルペス」

「冗談ですよ」

「!」


 不敵な笑みから、一転。ウゥルペスはまた爽やかな笑顔を作った。


「ちょっと試してみたかったんです。文月君を」

「……俺を?」


 肩透かしを食らったような文月は、目を丸くする。


「ええ。『敵』に対してきちんと『敵視』できるかどうか。お優しい日本人は『戦争』を、その言葉を聞くだけで本能が拒絶するような人も大勢いると愛月さんから伺っていまして」

「…………」


 丸くしたまま、さらにぱちくりする。


「……いや。『敵』なんて小学生でも、嫌いな奴、暗い奴をターゲットにしていくらでも『戦争』してるよ。昔から、無くならない。それは偏見だよ」

「もしかして被害者ですか?」

「……そうだけど」

「いえ。すいません。悪気はありませんよ。今の文月君が『夜』の継承者としてふさわしい判断ができていれば、何も問題ありませんからね」

「…………」


 この悪魔は。

 正しく『悪魔』である。文月は確信した。


「ウゥルペスは、どうして母さんに協力を?」

「寝取りたいからです」

「…………あ、そう」

「(あ、これには『義憤』出さないんですね)」


 味方だが信用はできない。悪魔は嘘ばかり。ずる賢く、愉快そうに人を害する。

 一番は、アルテとセレネに悪影響を与えてはならないなと、固く決心した。

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