第42話 ソフィア・エバンスの条件
「ママ。入るよ」
夕方になり。腹拵えも終えた文月達はホテルまでアルテを迎えに行ってから、ディアナの案内で町まで降りてきていた。
ディアナの母親に会う為だ。
「…………」
ソフィア・エバンス。愛月の親友とアレックスは説明していた。この島の本来の責任者。天才魔女とも呼ばれているらしい。
「あと10秒待って頂戴、ディアナ」
「えっ」
丘の上に、エバンス家の屋敷があった。文月ら日本人が想像するような、西洋の大屋敷そのものだった。庭には噴水があり、花壇があり。石畳の道を通って玄関へ続いている。
内装も、映画にでも出てきそうな光景だった。赤い絨毯にシャンデリア、大勢のメイド達、廊下の壁には絵画。
門を潜ってから療養しているソフィアの部屋まで、15分ほど歩いた。
「——良いわよ」
「?」
ディアナがドアを開ける。すると白いベッドがひとつ、部屋の中央に見付けた。窓からは西日が射し込んでいる。一際豪華な絨毯の上に、そのベッドがある。
「よく来たわね。……こちらへいらっしゃい」
そのベッドの上に。
女性が居た。白髪に、エメラルドグリーンの瞳。少し頬が痩けているが、若く美人と言って良いだろう。優しそうに微笑んで、彼らを迎えた。
「ソフィアママっ!」
「あらあら、久し振りね。セレネ」
一番に、我慢できなかったのか、セレネが飛び付いた。
「——アルテも。元気だった?」
「はい。少なくともソフィアさまよりは」
「あらあら」
アルテも嬉しそうだった。
「ママ」
「なあにディアナ。やっと、そのイケメン君を私に紹介してくれるの?」
「……あのね……。この人は川上文月。愛月様の息子さんよ」
息を吐きながら、文月を紹介する。受けて、文月はぺこりと頭を下げた。
「初めまして。川上文月です」
「——へぇ。貴方が、あの人の忘れ形見」
「えっ」
そのエメラルドグリーンの瞳が、文月を捉えた。どこか懐かしむような、遠い目で見られたと感じた。自分ではなく、他の誰かを思い浮かべられているような。
「……そっくりね」
「父に、ですか」
自分の顔は。
文月もよく知っている。愛月と『似ていない』ことは。逆に、アルテやセレネの顔立ちは愛月に似て美人だ。ディアナも、双子と似ているとは言えどちらかと言うとソフィア寄りだ。彼女と会ってそれが分かった。
文月だけが、性別が違うとは言え、誰にも似ていない。
ハーフという理由でアルテ、セレネのふたりが白人寄りであるのなら。自分は何故純日本人の顔立ちと肌色なのか。
「ええそうよ」
「!」
初めて、『父親』を知る人物に会えた。文月はどくんと、心臓が高鳴るのを感じた。
「『忘れ形見』って、どういうことですか?」
「!」
横から、要らぬ世話と知りつつも訊かずにはいられなかった。美裟である。
その言葉は、故人に対して使うものだ。
「……そうね。どう表現したら良いかしら。気に障ったなら謝るわ。あの人は、一度生まれ故郷へ還っただけだものね」
「…………それって」
アルテが、閃いていた。天才の直感故か。
「生も死も超越した存在……」
「ふふ。言葉で表すと大仰よね。ただ単に、人類と『違う』というだけなのに」
「……ソフィアさん」
「なにかしら」
当初の目的は忘れかけていた。文月は、今この、感じている高揚を隠しきれない。
「俺の父親は、一体『何』なんですか」
「…………そうね」
ソフィアは微笑みを崩さない。この会話を、心から楽しんでいるように見える。
「教えるには、条件があるわ」
「……どうぞ」
ここで思い出す。この人は病気なのだ。だから、島のことはディアナに任せている。それを治す為に、ここへ来たのだ。
ディアナの口振りから、そこまで深刻では無さそうだが。しかし日中にベッドから起き上がれない程には、身体は蝕まれているらしい。
「——『私を、治さないこと』」
優しく。ゆっくり。言い聞かせるように、そう言った。
「はっ!?」
「えっ!?」
「ちょっ! ママ!?」
誰もが、驚嘆の声を挙げる。『それ』の為に来たというのに。
治療を、拒絶したのだ。
「いえ。条件にする前から。そのつもりで居たわ。お願いしようとしていたのよ。文月ちゃん。貴方は私に、指一本触れては駄目よ」
「何故ですかっ」
文月が、一歩近付いた。
「ロベルト」
「はっ」
「!?」
瞬間、文月の身体は押さえ込まれた。見れば屈強な黒スーツの男が、文月の腕を掴んでいる。
ボディガードだろうか。
「ちょっ……ソフィア様! 文月様に何を……!」
「あら、居たのねアレックス。何を勘違いしているのよ。そのイケメン君は『組織』の一員でもないし、第一不法上陸者でしょう?」
「……! 魔術的な飛行船の着陸許可など、貴女がする筈ありませんからね」
「良い考えを思い付いたわね。ちょうどディアナに交替したタイミングで。結果的には感謝しているけれど、『私を護らない』兵士なんて、私にとっては何人死んでも構わないのに」
「…………!!」
アレックスが憤りを露にする。部屋にはさらにボディガードが入り、ソフィアはおろか文月にすら近付けない状態になった。
「ママ! それは酷いわ! 撤回して! お兄ちゃんを離して!」
「ディアナ。いつまでも幼い、愛しいディアナ。そんな様子だから、その歳でまだ処女なのよ」
「か! 関係無いでしょ今!」
ディアナが説得するも、無意味に終わる。
「……ねえソフィアママ」
「なあに、賢いセレネ」
その一連を黙って見ていたのは、双子と、美裟だった。
「(……この程度ならあたしひとりで制圧できるけど……文月がどう考えるかしらね)」
冷静に。ここは敵地ではないと分かっているから。
「最終的には、わたし達が多分、絶対、勝つよ?」
「あらあら。少し見ない間に魔術が上手くなったのかしら。私に見せてくれる?」
冷静に。
だがソフィアは譲らない。引かない。
何故だ?
「ふたりきりで。お話をさせて欲しいの。文月ちゃんに、どうしても伝えたいことがあるのよ。大事なお話。最期にね」
「最期になんてさせません! 俺が絶対、貴女に触れてみせる!」
「あらあら、格好良いわね」
文月は、暴れていた。自分の目の前で、『命』を諦める存在を認める訳にはいかない。
生きたくて。どうしようもなく生きていたくて仕方がないのに、死んでしまった人を、沢山見てきたのだ。もう、手遅れで。間に合わなかった人々を。その遺族を。
「ちょっと触れば、生きられるのに! 貴女は今、世界一贅沢で悪趣味だ!」
「!」
「あらあら」
美裟が驚いた。文月がそこまで言うとは。そんな姿は見たことが無かった。病院での文月を、彼女は知らなかったからだ。
「(……でも今は)」
「分かりました」
「!」
美裟と。アルテは同じ意見だった。冷静に、ソフィアへ語り掛ける。
「アルテ達は外で待っています。その『お話』を終えたら、またお邪魔します」
「好きにしなさい。……ああ、ディアナ」
「な。何よ」
回れ右をして。アルテは出ていった。セレネも続く。このふたりの余裕は、戦力差に由来している。双子と美裟が本気で攻勢に移れば、私兵どころか軍隊すら相手にならない可能性が大いにある。ごたごたの隙を突いて文月を解放できれば、さらに魔術に歯止めが効かなくなる。
アレックスも、美裟に押されて出ていく。
最後にディアナが、ソフィアに呼び止められた。
「貴女を一番、愛しているわ」
「……何それ。どういうつもり」
「それだけよ。貴女に伝えたかった」
「変な冗談は止めて。私はママを助けたいの。また魔術を教えてよ。本当に、それだけよ」
「ええ。……愛しているわ」
「…………」
不吉な予感がした。
だが、アルテ達が決断したことは納得できる。文月への『大事な話』とソフィアは言った。
彼は、それを聞くべきだ。彼の目的の為に、優先事項である。
その後で、屋敷を制圧してソフィアを治療すれば良い。それまでは、従っていれば良い。ソフィアの病状は、今日明日で急変するものではないのだから。
「……ママ。私もよ。ママを一番愛してる」
「ありがとう。愛しいディアナ」
だが。
ディアナは『一応』、『万が一の為』、その言葉を返すしかなかった。
返してしまった。
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