第31話 その後ろでアレックス

 飛行機が飛び立って。しばらくはしゃいでいたアルテとセレネ。だがすぐに眠気が来たらしく、現在はくうくうと可愛い寝息を立てている。


「……ねえ文月」

「ん?」


 窓側に座り、ぼうっと景色を眺める文月に、美裟から話し掛けた。


「あんたは『どう』なの? 今」

「……ん——……」


 美裟には彼と話したい話題があったが、それは今押し殺している。文月にとって必要なものでは無いと考えているからだ。


「……やってることは、ただ『母さんに会いに行く』だけなんだけどな。結構なおおごとだ」

「この子達はいつも通りだし、あたしはもう腹括ってるけど。あんた自身はどうなのよ。なんだか成り行きで流されてるようにも見えるわ」

「うーんと……そうだなあ」


 文月の能力で治せるのは身体のことだけだ。メンタルケアはできない。特に、彼自身のメンタルについては。

 美裟が気付き、察し、ケアすべき点であると。彼女自身が自覚している。


「細かいことは置いといて、単純に興味あるんだ。『知りたい』。母さんがどこで何をしてるのか。何故そんなことをしてるのか。俺が組織のトップに立つとかそんな話は置いといて。まず『知りたい』んだ」

「…………」


 この旅を、彼は楽しみにしている。そう感じさせる話し方だった。


「世界の誰も知らないようなことを教えて貰えるんだろ? そんなの普通にワクワクするだろ」

「……日本で普通に進学・就職する安定性を蹴ってまで?」

「いやそりゃ……。ノリと勢いが強いことは否定しないけどさ。でもどっかでは思ってたんだと思う」

「何が?」


 文月は自分の右手を出して、握って見せた。


「俺は普通の人生は歩めない。いや、歩まない。……この力は。それを持つことは、『普通』からは随分と逸脱してるんだと」

「…………そう」


 まだまだ、若い。18だ。

 自分の人生を考えるには若すぎる。まずは興味関心。やりたいことを思う存分やって、やりきって。

 考えるのはそれからで良い。


 後ろの席で会話を聞いているアレックスはそう思った。


「付いてきてくれてありがとうな」

「まだ早いわよ。どんな話かも知らないんだから。後悔するかもね」

「なら今のうちに言っとかないとなあ」

「あっそ。でもあんたがするのは感謝じゃないわよ」

「え?」

「『安心』しなさい。これからは、あたしは常にあんたの隣に居るから」

「……分かった」

「邪魔なら言ってくれたら消えるから」

「……まあ、時と場合によるかな」

「くそ野郎」


 他愛も無い会話。だが大切な時間。お互いの気持ちを伝え合い、意思を共有することは大切である。


「……あのね文月」

「ん?」


 それが嬉しくなってしまった美裟は、口を滑らせ掛けた。


「………………いや。なんでも無いわ」

「はっ?」


 きょとんとする文月の顔を見て、何故かムカついてきた。


「あたしも寝るから。それじゃ」

「……別に良いぞ?」

「!」


 そして文月は。

 そこまで察しが悪い男ではなかった。


「どんな話でも。俺は何でも」

「——!」


 穏やかな。まるで妹——否。家族に向けるような表情で。

 ずっと。

 思い返しているのだ。美裟は急に、顔を赤くしてしまった。


「……大丈夫か?」

「あのねえ…………」


 顔が熱い。赤くなっているであろうことは美裟本人も気付いている。誤魔化そうと口角が上がるが、意味は無い。


「……あたしはねえ。昨日の夜からずっとドキドキしてんの」

「!!」


 その熱が。

 彼女のひと言で文月にも伝播した。


『……恋人じゃ駄目か?』


 それを思い出させた。


「…………美」

「はいおしまい」

「!?」


 自制しなければならない。美裟は強く、自分を律した。それこそ。この件こそ、成り行きのノリの勢いではないか。


「何が『……美裟』よ気持ち悪い。もう寝るから」

「えっ。ちょっ」

「黙って景色でも眺めてろくそ野郎」

「なっ……!」


 美裟は毛布にくるまり、無理矢理寝てしまった。


『とんでもなく優しい——』


 母の言葉を思い出す。


『嫁に行くようなもんだ——』


 バクバクと。

 この心臓の音だけは、隣の男に伝わりませんように。

 美裟は自分の神様に強くそう祈っていた。


——


「(…………)」


 その後ろで、アレックスは。


「(……文月様とふたりきりの時くらい、『その話』を進めても良いと思いますが。いやはや自分に厳しいと言うか、他者を優先しすぎと言うか)」


 聞き耳を立てるのは失礼と思いつつ、執事の癖で会話は全て勝手に耳に入ってきてしまう。


「(『好きな殿方とならいつでもイチャイチャしたい』とお考えの愛月様とは、真反対の女性ですね。しかもまだティーンというのだから)」


 愛月とも、アルテともセレネとも違うタイプの『女性』。

 アレックスは、日本で初対面である文月と美裟——特に美裟について、とても注意深く観察している。その人間性を見極めなければならないと。


「(しかし、『しっかり』している。ジャパニーズシントー『ジンジャ』のシャーマンという話ですが、女学生にしても驚くほど地に足着いていますね)」


 アレックスはその仕事柄、様々な宗教者と対峙してきた。本当に、色んな相手が居た。

 その中でも美裟は、上位に位置するほど『ちゃんと』している。新興宗教の信者などは大抵、思考がふわふわとしている気分屋であるからだ。


「(島国日本に根付いた、文化・生活習慣に深く馴染んだ固有の宗教。信者を仮に『1億3千万』とするなら、世界でもトップクラスの信者数になる)」


 日本は、世界から見て奇妙である。特有である。個性的である。アレックスはそう考えている。なにせ、『あの』愛月の生まれ故郷だ。

 隣国韓国や、近年の発展が凄まじい中国も、今の国家は建国100年も無い。様々な理由、事情があるとは言え事実だ。

 対して日本は。建国何年だろうか。

 『天皇制度』で『元号』を使い始めたのが『645年』である。そこから数えても1000年以上。初代天皇の即位であれば『紀元前660年』まで遡る。つまり約2600年?

 その間、他国によって主権を奪われることなく。敗戦はしたが植民地にもならず。

 世界地図で見ると東の果てにある小さな島国が。


「(神の国。奇跡の国)」


 大小様々な国ができては消え、併合しては崩壊し。それを繰り返してきた歴史を持つ欧米人からすれば。独特の感性と『誇り』を持つ日本人は、時に眩しく見える。


「(あの愛月様を生んだ国ですからねえ)」


 キリスト教と言えば、クリスマスと結婚式と有名な讃美歌だけ。

 仏教と言えば、仏壇と除夜の鐘とお盆と葬式だけ。

 イスラム教はほとんど無い。


 愛月や文月や美裟が、そんな日本人であるということは。

 これから彼らが行おうとすることに於いては案外『妥当な人選』なのかもしれない。


「(宗教的価値観・偏見をほぼ持たない『無垢の民族』)」


 それは色眼鏡を通さずに世界を見ることのできる、唯一の先進国民なのかもしれない。

 アレックスは勝手に、文月達に期待を寄せていた。


「(……ティーンのカップルの会話でここまで考えるとは。私も老いてきましたねえ)」


 そして最後に。やはり。

 文月について思う。


「(お優しい。そして、『知りたがり』。その点は全く、愛月様そっくりですね)」


 期待を寄せているが、だが同時に懸念点もあるのだ。


「(だがやはり、自己主張は弱い。他者を愛し、自己愛も強い愛月様よりは、『組織のトップ』として苦労するでしょうね)」


 組織のメンバーは殆どが白人、黒人である。つまり『日本的感性』の持ち主と共感できるメンバーは多くない。


「(それに、今の幹部達は皆、愛月様自体に共感してチームとなった、『人軸』のメンバーばかり。世代交代は仕方の無いこととは言え、彼らが文月様を素直にボスと認めるかどうか)」


 彼らとの出会いで、さらに成長して欲しい。

 一番近しい恋人との関係に手こずっている場合ではないと、勝手に心配していた。

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