第28話 ステラ・マリスの少女

 文月達は、数日振りに自分達のアパートに帰ってきた。道中、特に襲撃などは無かった。車のナンバーは赤橋に割れている筈だが、当の赤橋が捕まっているのだ。


「……あれか? アレックスさんて」

「うん。ゴツいでしょ」

「ああ……」


 玄関の前に立つ白人の男性。きっちり着込んだスーツの下から隆起している筋肉。

 だが顔は穏やかで、にこにこと微笑んでいる。


「初めまして。アレックス・アルカディアと申します。お会いできるこの日を楽しみにしておりました」


 その男性が。文月を前に『片膝をついた』。


「——文月様」

「!!」

「!」


 その一瞬で、文月は硬直した。大の大人、それも外国人、さらにムキムキの男に。

 『様』付けで呼ばれ、片膝で迎えられるなど。


 そして美裟とアルテは、気付く。

 『坊っちゃん』ではない——と。


「そしてアルティミシアお嬢様。セレスティーネお嬢様。よくご無事でいらっしゃいました」

「アレックス」

「はい」


 アルテのひと言で、アレックスは顔を上げる。


「……お母さまは?」

「…………」


 不安そうな声で。

 この男は、母の執事だ。それが何故、単独でこんな所に居るのか。

 兄を、坊っちゃん坊っちゃまではなく『文月様』と。つまり子供扱いをしていない。

 急な予定変更。早まった迎え。

 『何』が起きているのか。


「……その件も含めまして。詳しくお話したいと思います」

「分かった」


 これ以上は、中で。訊きたいことは山ほどある。

 そして。

 アレックスは文月を。

 アルテは美裟を。ちらりと見た。


「!」


 ここから先の会話は、『より深い』。つまり『部外者を排除する』なら今ここで。

 聞けばもう、後戻りはできないと。彼らの目が語っていた。


「(オサナナジミ……というものでしょうか。日本の尊い文化ではありますが、非常時に『なあなあ』で命を扱う訳にはいきません)」

「(エンリョ……という日本人特有の概念。これから日本を離れるお兄さまにとっては、少なくとも今は不必要な考えだと思います)」


 美裟をどうするか。それの決定権はどこまで行っても。誰がなんと言おうと本人達にある。


「……文月」

「おう……」


 美裟の中には『それ』もあったが。まずは。


「無事で良かったわ」

「まあ、怪我しないしな」

「馬鹿」

「ああ。心配掛けてすまん」

「……文月」

「ん?」

「あたし……帰った方が良い?」


 これまでなら。無理矢理居座っただろう。あたしが聞きたいから聞かせなさいと言って。

 だが本当に『生命の危機』があるような案件であるならば。

 美裟にも両親が居る。これから大学がある。就職がある。

 そちらに進めば安全だろうが。だが文月とは二度と会わないだろう。

 そんな決断を、高校生が決めてしまって良いのだろうか。


「いや。美裟も一緒に聞いてくれ」

「!」


 あの修羅場を経験した文月が少しだけ。


「良いですか? えーと、アレックスさん」

「ええ勿論。文月様の関係者であれば」

「……!」


 精神的に成長していた。


「文月……!?」

「ああ絶対に聞いてくれ。『俺達が』ずっと知りたがってた話じゃないか」

「!」


 美裟はもう身内である。

 つまり全てを知る権利があり。

 守るべき家族である。


「…………!」


 文月からの初めてのアプローチに、感極まる美裟であったが。


「——ええ。『当然』私も、同席するわ」

「……ああ」


 すぐにいつも通りの表情に戻した。


——


——


「ステラ・マリス」


 川上愛月の物語は、とても長く思い話になる。

 アレックスは、簡略化し、端的に話そうとした。詳しい歴史などは後でゆっくりすれば良い。今は簡単に、この場での共通認識として留める方が良いと。


「……それが、『組織』の名前?」

「いえ。意味は『聖母マリア』。星の海の聖母とも」

「?」


 愛月の元へ、彼らを連れて行かねばならない。


「——昔、ある団体で愛月様はそう呼ばれていました」

「!」


 アレックスはメモ帳を取り出し、そこにそれを綴った。


 『Stella Maris』と。


「その団体では聖母マリアの生まれ変わりとされ、崇拝の対象でした」

「……母さんが……!?」

「はい。勿論、そんな訳はありません。幼い愛月様は『何も知らぬ』ただの日本人の女児。……メンバーが拉致し、団体の本拠地であるイギリスへと連れてきたのです」

「拉致……」

「いずれ処女懐胎されると、丁重に丁重に。それはもう狂気を帯びるほど丁重に扱われました。直接触れた者は皆無なほど。当時10歳にも満たなかった『何も知らぬ』愛月様は、徐々にそれを信じていきます」

「…………!」

「ですが。10年ほど経ったある日、事件は起きます。その団体が壊滅したのです」

「何故?」

「どこかのタイミングで、『知った』のだと、愛月様は仰いました」

「知った? 何を?」


 アレックスは、文月の顔を見た。


「?」

「『全て』を。この世の仕組み。真実。本当の歴史。人間以外の『知的存在』。そして、自分は聖母の生まれ変わりでも何でもない、ただの小娘だと」

「…………それが、何故壊滅?」

「『知った』愛月様の、教義の矛盾を突くたったひと言で、内部分裂から抗争、そして最後のひとりになるまで殺し合ったそうです」

「!」

「そして。最後のひとりを愛月様自らが殺し。その足で悠々と日本へ帰国しました」

「…………!」


 アルテも。セレネも勿論知らなかった、母の生い立ち。


「……その、『知った』原因。『その者』と交わり、生まれたのが文月様です」

「!!」


 全員が、文月を見た。

 彼の、父親の話だったのだ。


「ステラ・マリス」


 再度、口にして。

 メモにある『Stella Maris』の、Marisを二重線で消し、下に書き足した。


 『Stella Malice』になった。


「……『悪意』」

「えっ」


 その単語を見てぼそりと呟いたのは、美裟だった。


「その通り。法律用語で『知っている』という意味です。……『悪意の聖母』と言った風な意味合いを込めて呼ばれる、今の愛月様の『通称』です」

「悪意の聖母……!?」

「はい。『知っている』事を、愛月様は隠さなかった。全て公表し、『正しい』歴史を世界に広めようとしたのです」

「…………」


 現在、学校で習うような歴史は、100%全て事実ではない。予想や解釈、諸説。その当時を生きた者が居ない以上、完全に全てが判明することは殆ど無い。聖徳太子の非実在説や鎌倉幕府成立の年号など、新発見によってどんどん変わっていく。

 そして全てを知る者などいない。

 キリストが本当に復活したのかどうかを証明することはできない。実際にあったとしても、見た者は全て死んでしまっているのだから。

 だが。

 川上愛月という女性は。

 『その者』との出会いによって。『知る』ことができたのだ。


「バチカンしか持ち得ない事実もあれば、ユダヤの民のみが知る真実もあります。そして、現在の世界にとって不都合な歴史はそれこそ山のように」

「あっ……」


 声を出したのは、アルテだ。

 『全て繋がった』と。


「……ええ。愛月様がその『知らせる』活動を開始したのです。ですから、『世界の敵』となりました。私どもの言う『組織』とは、彼女の活動を支援する目的の団体です」

「!」


 元『聖母』は。

 悪意ある活動家となった。

 情報は、言葉は武器である。それひとつで宗教団体が潰れたように。

 もし、国際社会で否定されるような歴史が広まれば。

 世界は崩壊するかもしれない。少なくとも、政府や国連への不信感は強まるだろう。そうなれば、人民の統治は難しくなる。要らぬ戦争も起きるかもしれない。


 世界の平和の為に。

 川上愛月を殺さなければならない。


「アメリカ、イギリスなど主要国。またその長。そして一部の宗教団体は、既に知っているのです。『彼の者達』の存在も、事実も真実も。ですから、焦っている。『知っていることを共有している』者達の中で、愛月様だけが『部外者』なのですから」

「……母さん」


 どんな気持ちで居たのだろう。どんな感情で、自分を見ていたのだろう。あの優しい笑顔の裏に、どんな闇を抱えているのだろう。

 文月は今日ほど、母に会いたいと強く思ったことは無い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る