第27話 近しい存在

 美裟とは、中学からの付き合いだ。


「ちょ待……っ」

「せーのっ!」


 『呪い』の解けた彼女は、早速やりたかったこと——部活を始めた。

 それも、何故か柔道部。


「うごぉぉお!!」

「よーしっ! どう?」

「…………!」

「あれ、おーい。川上?」


 そして、俺を見付けては技を掛け、ぶっ倒すという地獄の習慣が始まった。


「痛ええだろ! 死ぬぞ! 萩原お前え!」

「あっ。起きた。嘘つけ。死なないくせに」

「いや怪我はすぐ治るってだけだ! 死んだことなんて無いから分かんねえの!」

「試してないんだ」

「試す訳ないだろ! あと痛みはあるんだから、無茶すんな!」


 そのお陰で受け身だけは得意になったのは、今となっては感謝すべきなのかもしれないけど……。


「じゃあ次、寝技!」

「もう勘弁してくれ!」

「つれないわね。1回だけ」

「駄目だ!」

「ねね。お願いよ」

「…………」


 当時から既に、発育の進んでいたこいつとの寝技が、どれだけ恥ずかしかったか。


「おりゃ! 袈裟固め!」

「ぐええっ!」


 そりゃ、なんだこいつと思っていたが。今にして思えば、嬉しかったんだろうなと思う。

 これまでの人生で、運動は殆どしたこと無かったらしい。体育もずっと見学で。夏もプールなんか絶対入らなくて。

 それどころか、彼女は。

 周りから避けられていたんだ。いじめ、とは少し違って。

 『呪い』が、顔に出ていたから。


 だけど。

 それが解けた彼女の素顔は、とても綺麗で美人だった。それ以上に彼女の笑顔は、全力で喜び、楽しむような幸せが凝縮されたように見えるくらい眩しかった。

 周り……特に小学校時代の美裟を知る男子達は随分と驚いたようで。


「今日、また告白されたわ」

「へえ、凄い」

「速攻振ったけどね」

「え、なんで?」

「あたしあいつに、机に虫とか置かれたことあんのよ!? 覚えてないとでも思ってんの!? それとも何!? 名前同じで別人とでも思ってんの!?」

「ぉ……おお。落ち着けよ」


 モテた。モテてた。それについては、俺も凄く嬉しく感じたのを覚えている。


「今日は袖釣り込み腰よ!」

「いや、ちょっと待て……」

「せーの!」

「ごええええ!」


 だけど中学3年間で。

 何度告白されたかは覚えてないが、美裟は一度もOKを出さなかった。誰とも付き合わなかった。


「川上くんってさ、やっぱり萩原さんと付き合ってるの?」

「いや?」


 何度訊かれたか分からない。その度に否定してきた。

 美裟の方も訊かれていたようで、向こうもずっと否定しているようだ。


 男女が一緒に居ればすぐにそういう噂を立て。

 いじる訳だ。

 尤も、俺の場合は。


「死ね」

「…………」


 信じられないかも知れないが、これが基本だ。

 大体はすれ違い様に『死ね』。後はもう無視。


 これは中学だからまだマシな方で。小学生の時はがっつりだった。

 美裟は虫だったか。


 蛇。

 鳥。

 猫。

 ウサギ。


 あらゆる死体が、毎週のように、俺の机に横たわっていた。


『治せるんだろ?』


 と言った風な空気を纏わされて。


 死にそうな動物って、公園に居るだろ。

 あれを見付けて、治してやったんだ。確か5~6歳くらいの時。

 それからこうだ。気持ち悪がられ放題だ。


 『◯◯菌』。っていう悪質な遊び? いじめ? があっただろ。小学生時代。◯にはターゲットの名前が入る。それを押し付け合う鬼ごっこのようなやつ。


 俺のはガチで、『触ると病気にされる』と信じられていた。

 病気に『なる』んじゃない。『される』んだと。俺が悪意を持って、特定の個人に接触して、動物の死体から吸い取った『死の力?』みたいなのを放出すると。


 どこでそんな話になったのか、子供の創造力は凄い。


 程なくして、母さんも居なくなって。俺は祖父さんと、病院にお世話になることになって。徐々に誤解は解けてきた。


 とは言え、『嫌われている』という事実は変わってない。事実はともかく『気持ち悪い』という感情は消えてない。俺が無害だという証明は、病院から学校、そこから保護者。そうして子供達まで回ってきても、やはり気持ち悪いものは気持ち悪い。


 『川上君は病気で、可哀想なんだ』という雰囲気が出てきたのは、中学2年からだ。


 美裟のお陰だ。


「巴投げっ!」

「流石にそれは…………がはっ!!」


 校内一の美少女が、身体を張って証明してくれたんだ。俺は安全だと。寧ろ役に立つと。


 身体を張ったのは俺だけど。


「どうしたの。怪我? ああ、部活で転けて。じゃ2組行こ。川上んとこ。治してくれるから」


「川上ー! 擦りむいた! 治してくれ!」


「川上ー! 俺の顔、治してくれ!」


「それは元からだ。諦めろ」


 3年の頃には、俺はクラスに馴染んでいた。普通に。ひとりの、『個性ある男子』くらいの認識で。


「お互い、人生変わったわね」

「……ああ」


 お礼を言ったら投げられた。俺が美裟からのお礼を拒否した以上、それは不公平だと言われた。

 なんだか嬉しかった。


——


 祖父さんが死んだのがその頃だ。母さんの父親。直前まで元気だったのに、ころりと死んでしまった。


「死人は無理だった。だから、俺は死なない訳じゃ無いよ」

「…………!」


 それどころか。

 これまで俺が、祖父さんを無理矢理生かしてしまっていたんじゃないかと考えてしまった。

 今までは、虐められても家に帰れば祖父さんが居た。

 だけどもう、俺には友人もできた。


「……そうね。文月」

「えっ?」

「…………お母さんがまだ帰らないなら、あんたをそう呼ぶ人はもう居ないじゃない」

「……?」

「あんた、自分で気付いてないと思うけどね。凄く不安定で、危なっかしく見えるのよ」

「え…………」

「愚痴や不平不満は言わない。虐めも誰にも相談せずひとりで溜め込んでた。友達も居なかったし、それで暴れたり、引きこもったりもしなかった。……感情が無いかと思えば、叩くと怒るし、映画見て泣くし。話せば楽しそうに喋る……」

「…………」


 この時の美裟が何を言いたかったのか。俺は分からずじっと見詰めていた。

 泣きながら。


「だ。だから放っておけないのよ。殴られても無抵抗だし。なんでやり返さないのよ。あたしなんて昔あたしを虐めてた連中、全員一本背負いしてやったわよ」


 恥ずかしい話だが。


「……俺も美裟って呼んで良いかな」

「!」


 俺は誰かに甘えたかったんだろうなと思う。小学生の頃は特に。母さんが去ってからは本当に。


「好きにしなさい。……馬鹿文月」


 美裟に母さんの影を見ていた……とまでは言わないけれど。

 『近しい存在』は、特に成長期の子供には必須なんだと思う。

 身体を張ってくれた美裟には、感謝してもしきれない。本当に同い年かと疑うくらい、『完璧』な女だ。


「そういえば『文月』って、あんた7月生まれなの?」

「いや、4月だ」

「なにそれ……」


 だけど。

 でも俺は、俺を置いていった母さんを恨めない。

 せめて、母さんの口から真実を聞くまでは。

 それに、俺の分、ふたりの妹に愛を注いでくれていたのなら、それだけで充分だ。

 ちょっと普通とは違う女の子だけど。俺や、美裟と同じ目には遇って欲しくない。


 そして俺も。

 もっともっと成長しなくちゃいけない。いつまでも人を頼ってはいけない。


 俺が。

 アルテを。セレネを守るんだ。もうビビるな。敵にも、武器にも、物騒な会話にも、リスクの高い魔術にも。

 怪我や病気は全部俺が治す。『組織』へ行くのが早まった? 上等だ。


 俺達家族の再会の邪魔はさせない。


「…………」


 ミサ姉は?


 …………。


 分かってる。ここへ及んで、言い訳も取り繕いも無い。

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