第11話 魔法と魔術と奇跡

 きゃっきゃっ、と。

 楽しそうな女の子の声が聴こえてくる。彼女達はあっという間に、もう仲直りしたようだ。

 牛乳をぶちまけられてしまったセレネは、アルテを伴ってシャワーを浴びていた。小さなバスルームだが、幼い彼女達ならふたりでも入ることができる。


「……さっきのは一体なんなんだ」


 文月は、例の『紐』を興味深く観察していた。

 持ち上げたり振ってみたり。結び目も作ってみるが、アルテがやった時のような風は発生しない。

 本当に、種も仕掛けも無い紐だ。


「あんたと同じで、妙な力があるのね。……やっぱり兄妹なのね」


 美裟はずっと、文月が『傷を治す』所を見てきた。いわんや経験者だ。

 その妹が『そんな』力を持っていたとしても、そこまで信じられないことでは無いといった表情で文月を見る。


「…………母さんには何の力も無いよ」

「そうなの?」

「ああ。隠してる可能性も無くは無いけど。少なくとも俺は知らない。ただの普通の人だ。ていうか、そもそも皆そうだろ。俺だけが、突然変異かなんかなんだよ」


 自分達にはそんな力は無いと、赤橋——病院では言っていた。あれは、『何者かの手ら匿われる』立場であることを考慮しての台詞だったのか、もしくは真実なのか。


「……『貧血を治す』『物を探す』『風を起こす』。……俺にはちょっと信じられないな」

「……『風』以外は、道具は使ってなかったわね」

「…………魔術」


 やはりいくら考えても分からない。下手に道具を触って何か起きても良くない。

 ふたりは、大人しく姉妹がシャワーを終えるのを待つことにした。


——


「『魔術』というものの説明には、結構時間が掛かります。魔術そのものの説明と、実際にどんな効果が得られるかといった説明とが」

「ねー、わたしも説明したい」

「セレネには、後で実際に色々やってもらうから。ちょっと待っててね」

「はーい」


 再び、仕切り直して。

 買ったばかりのお揃いのパジャマを着たアルテとセレネが、隣同士で座る。


「——『効果』については、初日の空港や、今さっきやったような、色々なものがあります」

「後でわたしがもっと色々やるよっ」

「……という訳で、まずアルテが『魔術そのもの』について説明します」


 アルテはやはり、賢い。『物事の説明』など、上手に行おうとするとスキルが必要になる。10歳でその段取りを行える要領の良さが備わっているのだ。


「……ていうか、本当に本物で、実在するんだな」

「その通り。まずは前提としての認識からですね」


 文月の言葉を拾い、右手の人差し指を立てた。


「『魔術というものは存在します』。単語としての存在じゃなくて、実際に効果を発揮する、正真正銘の『魔術』がこの世界にはあります。……では、広く認知される『魔術』とはどういうものでしょう」

「……『魔法』とは違うのか?」

「良い質問です」

「キャラが……」


 文月の質問に、アルテは嬉しそうに頷いた。


「『痛いの痛いの飛んでけ』は『魔法』ですが、『てるてる坊主』は『魔術』です」

「…………へ」

「『魔法』には根拠がありません。『魔術』には、理論に基づいた根拠があります。……魔法は物理と同じく『法則』のことで、魔術はその名の通り『術』です。人が法則を利用したもの。武術と同じです」

「……よく分からん」

「それも、セレネの時に一緒に説明します。……魔術は、歴史的に見てとても古くから使われているものです」

「ちょっと待って」

「はい」


 だが。

 それも気になるのだが、美裟にとっては今は、もっと大事で、訊きたいことがある。


「じゃあ文月のは、魔法なの?」

「!」


 その質問に、当の文月も反応する。


「……違います」

「じゃあなに?」

「恐らく『奇跡』ですね」

「何それ?」

「俺の力が分かるのか!?」

「わっ」


 遂には身を乗り出してしまう。長らく、大学病院でも分からなかったことだ。勿論彼自身も、自分の力について何も分かっていない。

 その機嫌や名称、原理について。


「……『可能性0を可能にする』のが、奇跡です。あくまでも、お母さまの組織内での分類ですが」

「説明してくれ」

「はい」


 アルテは笑顔で言った。魔術については中断だ。

 彼女は、兄の役に立てることが嬉しいのだ。


「券が100枚入っている抽選箱があるとします」

「ああ」

「当たりは1枚。他は外れです」

「おう」

「では、1枚引いてください」

「ふむ?」

「今お兄さまが引いた『それ』が、もし当たったら。それは奇跡でしょうか」


 文月は腕を組んで考える。


「…………違う、だろ。1発で当たったら凄いけど、凄いだけだ」

「その通りです。それはただの100分の1を当てただけ。奇跡でもなんでもないです。……じゃあ次は、入っている100枚が全て外れの抽選箱です」

「何引いても外れだな」

「そうです。そこから、お兄さまが引いた1枚がなんと、『当たり』でした」

「……あり得ないだろ」

「それこそが『奇跡』です」

「!」


 文月は。

 雷に打たれたような衝撃を受けた。

 確かに。

 手を触れただけで『治す』など。あり得ない。


「この例でいくと。『魔法』はおまじないなどを使うことで『必ず当たりを引くような』確率に操作します。全て外れの箱なら魔法では当たりは引けません。もしくは、『引いた券を当たりに書き換える』魔法なら可能です。

 『魔術』では、その当たりを引く為の準備が必要です。こちらも、当たりが無いのなら準備も意味がありません。補足するなら、最初から外れのみだと分かっていれば、当たりを作成する魔術に変えるでしょう。

 そして『奇跡』では、たとえ当たりが無くとも『当ててしまう』。書き換えじゃなく、不可思議に。物事の因果を無視して結果を生み出してしまうのです」

「……!」


 ごくりと唾を飲み込んだ。

 物事の因果を無視する。

 文月のやっていたことは、この世の誰もがなし得ないことだったのだ。


「アルテ達がこれまでにやったことは、極論ただの技術なので、練習すれば大抵はできます。だけどお兄さまのは、お兄さまにしかできません。そして恐らく、お兄さま『ですら』制御できないんじゃないでしょうか」

「……その通りだ」


 文月はゆっくり頷いた。


「『治す』ことに、俺の意思は関係無い。触れさえすれば、『治す』。強弱の調整も、オンオフの切換も無い。別に体力とかも減らない。ただ『治る』。傷の度合いによって完治までの時間とかは変わるけどな」

「だから奇跡なんです。お母さまの言った通り」

「母さんはなんて?」

「『奇跡の前では、人はただ平伏すのみ。どれだけ努力しても手に入らない。運良く恩恵を受けられることを祈るのみ』」

「…………」

「『世界一、皆に優しくて、世界一、あなたに残酷な力』と」


 アルテの表情と声色が。

 記憶の中の母と重なった。


「…………母さん」

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