第10話 異常な妹
「両親がどっちも不在ってね。周りが思ってるよりうんと辛いのよ」
「…………はい」
冷たい風が吹く寒空の下。夕暮れに照らされたアスファルトを歩く。
「あいつは普段、そんな様子は見せないけどね。その心には、あたしも知らない闇が、多分あるんだと思う」
「…………」
歩きながら、美裟は文月について語る。アルテは言葉ひとつひとつを咀嚼するように聞いている。
「アルテとセレネには。ずっとお母さまが居てくれました。……お兄さまには、申し訳ないと思います」
「……どうかしら。そういう、貴女達ふたりに対しての嫉妬とかは無いと思うけど。寧ろ同情の方が大きいと思うわ。兄として、妹を第一に考えてね」
「…………まだ、アルテ達とお兄さまは、出会って数日です」
「まあ、あいつからしたら関係無いわね。『家族』の大切さ。その愛情にはずっと。ずっとずっと憧れてたんだから」
「そうなんですか?」
「病院で働く……とは違うけど、似たようなことはしてたから。失う悲しみに嘆く人も。助かった喜びに震える人も、沢山見てきたのよ。病院っていうのは、沢山の『感情』が溢れてる場所だから。文月だって沢山の経験をして、色んな影響を受けてきたのよ」
「…………ご自身には、家族が居なかった、のに」
「そうよ。だからこそ、本当に。貴女達ふたりが大事なのよ。相当嬉しかったんだと思うわ。学校でもその話ばかりだもの」
「…………」
アルテには、セレネが居た。ふたりには、母親が居た。
だが文月には、誰も居なかったのだ。
「でも、美裟さんがずっと傍に居てくださったんじゃないですか?」
「……あたしは……」
そんな文月を心配する美裟は。彼の支えだったのではないだろうか。
アルテはそう思った。
「どうかしらね。今まであいつの役に立ったことなんて、多分無いわよ。あいつは何でもひとりでこなすんだから。怪我も病気もしないし。車もお金もあるし」
「美裟さんは、お兄さまのことが好きなんですか?」
「…………」
その、何気ない質問をされて。美裟は地面へ視線を落として考えるような表情を作った。
顔を赤らめて慌てて否定すると予想していたアルテは、それを見て不思議に思った。
「……そうね。違うわ」
「えっ」
真剣な表情で。美裟は答えた。
「あたしは、文月に命を救って貰った。……命『以上』のものを救って貰った。普通なら、命の恩人なら『ありがとう』で済むんだろうけどね。あたしの場合は違う」
「……?」
「あたしの命はあいつのもの……とまでは言わないけどね。あたしはあいつの為に生きることを決めてるの。『あいつの為』になるなら、別に、他の誰と結ばれようと構わないわ。あいつが幸せならその隣に居るのがあたしでなくても良い。寧ろ、ただ命を助けたってだけで付きまとわれるのは迷惑でしょ。寄るなと言われればもう二度と近付かないつもりよ」
「……!」
アルテは目を丸くして驚いた。
「……凄い、ですね」
「気持ち悪いでしょ? でも決めたの」
「いえ。……とっても大人だと思います」
「へ?」
「『彼が幸せなら隣にいるのが私でなくて良い』って。……そんなの耐えられません。達観しすぎです」
「貴女に言われたくないわね。……10歳でその落ち着き振りは」
「アルテは、聞きかじりで習っただけの、ませた子供の背伸びです」
「それを自分で言うところが異常なのよ」
「……そうでしょうか」
ころんと首を傾げるアルテを見て、美裟は少しだけ笑顔になった。
「どんな人なの?」
「えっ……」
「貴女達の、お母さん」
これが、美裟がアルテを連れ出した理由だった。
文月は、訊かなかったのだ。数日一緒に居て。訊けなかったのだ。
自分の知らない『母親』を。自分の知らなかった『妹』から聞かされることを。
少なくとも今は、受け入れられないのだ。
「……変わった人、かなあ」
「へえ?」
アルテは顎を撫でながら、そう答えた。
「他の『母親』を知らないですけど。いつも微笑んでいて。頭を撫でてくれて。たまに変なことを言って部下の方を困らせたり。だけど訓練は厳しいので、セレネは少し苦手に思ってるかもです」
「訓練?」
「はい」
いつの間にか、アパートまで戻ってきていた。
買い物は、していないが。
「……お兄さまにも、話した方が良いんですよね」
「…………そりゃね。それが今日の本題だから」
「でも……」
「大丈夫よ。さっきも言ったけど、あいつはもう子供じゃないから。一度冷静になれば、きちんと受け止めてくれるわ」
それは暗に。
自分では家族の代わりにはなれなかったと。
美裟が嘆いていることには、アルテは気付かなかった。
——
「…………悪い」
「大丈夫です。アルテも、お兄さまの立場に立たずに言ってしまいました」
「……」
ふたりが戻ってくると。
文月はアルテへ頭を下げた。
受けたアルテは落ち着いて、自らも謝った。
そして文月もこれを受けた。
「文月」
「美裟」
美裟が床に座った。テーブルを挟んで文月の目の前だ。
「大丈夫ね?」
「ああ。ありがとう」
確かめるように笑いかけた美裟を見て、文月は少しだけ照れてしまった。
「セレネも。もう大丈夫だ。ありがとうな」
「うん。……良かった」
文月は落ち着きを取り戻した。時間にしては10分余りであったが、その間に彼の頭の中では結論が出ていた。
「じゃあ、済まないけど改めて。アルテも座ってくれよ。話の続きをしたい」
「……お兄さま」
「本当に悪かった。痛い思いをさせてしまった。……許してくれるか?」
「勿論です」
「……ありがとう」
アルテも笑顔で、美裟の隣に座った。
——
「……ええと、ですね。『組織』や『敵?』については、今後お兄さまが関わる際に詳しく知る機会があると思います。……今は、それくらいしか言えません」
「そうだな。今ここであれこれ想像しても仕方ない。……お前達のことを教えてくれよ」
「さっき、外で話してたんだけど。『訓練』って言ってたわよね。何の訓練なの?」
文月と美裟にお茶と、双子には牛乳を入れ直して。
美裟が切り出す。そこでアルテは、ダッフルバッグからいくつかの道具を取り出してテーブルに広げた。
「…………これは?」
注意深く見る。羊皮紙やインク、羽ペンなどの文房具。化粧ポーチ。蝋燭にマッチ棒。手帳など。
「……『魔術』用の道具です」
「!」
「アルテ達はずっと。ひたすら『これ』の練習をしていました。……例えば」
アルテがその中から、1本の紐を持ち上げた。
見る限り、何の変哲もないただの紐だ。長さは30センチくらいだろうか。真っ直ぐではなく、等間隔に3つの結び目がある。
アルテは、その紐を両手に持ち、引っ張ることでその結び目のひとつを解いた。
「!」
すると、風が吹いた。
「えっ?」
ふわりと、アルテの綺麗な金髪を揺らしたかと思えば。
横に座る美裟、テーブルの向こうに居る文月の髪も靡いた。
部屋の中だと言うのに。誰かが扇いだ訳でもなく。
「もうひとつ」
困惑するふたりを尻目に、アルテはもうひとつの結び目も解く。
「わっ」
今度は、さらに強い風が生まれた。驚いて声がでてしまうくらい、はっきりとした強風だった。
「……何それ!?」
「じゃあ、最後」
「!」
最後のひとつ。その結び目を解くアルテ。
「ちょ……っ!」
「きゃっ!」
「うおお!」
空気が爆発したような衝撃が発生し、美裟は仰け反って倒れてしまった。
正に突風と言える強風が発生し、文月の顔面を叩き付けた。
「…………凄いな……!」
「もー! アルテったら!」
「!」
驚愕する文月の隣で、可愛らしい声がした。
見ると、セレネが頬をぷっくりと膨らませていた。その顔と服がびしょ濡れである。
「…………あっ」
風によりテーブルの上のコップが倒れてお茶と牛乳が全て溢れ、セレネがそれを全て被ったのだ。
「……ごめんセレネ」
「もー!」
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