第9話 パンク

 人は、人を管理できない。人類は人類を管理できていない。

 今、全部で何人いるのか。そんなことも分からないんだから。スマホで調べてすぐ出てくる人口は、『管理下にある人数』でしかない。机上でしか。紙の上、パソコンの中でしか見ていない。そんなんじゃ本当に、真の『全人類』の数は分かりっこない。『凡そ』でしか測れない。


 俺は、もっと知らなくちゃいけない。俺の家族のこと。俺自身のこと。

 この子達のことを。

 せめて、管理できる程度は。

 守るために。


「まあ、正確にはお母さまにまだ日本国籍があります。ですから出生届のされていない無戸籍児ですね。事実上の無国籍、ということでしょうか」

「ちょっ……ちょっと待ってくれ!」

「はい。お兄さま」


 頭がこんがらがる。いきなり、この10歳の小さな口から。

 どんだけでかく重いことが発せられたんだ。


「しゅっ! 出生届出してないのか? 母さんは!」

「はい。法的には、『川上愛月かわかみあづき』の『子』は、お兄さまのみですね」

「…………! 向こうの国籍を取得してないのか……?」

「向こう……と言いますと」

「お前達の父さんのだよ! 再婚したんだろ? 母さんは!」

「してませんよ」

「!!」

「アルテ達も、自分の父親を知りません。アルテ達はどこの国でもない場所にある『組織の本拠地』で生まれ、育てられました」

「はぁ!?」


 意味が分からない。


「それじゃ、母さんはどこに居るんだ!?」

「さあ……」

「!!」


 意味が。

 分からない。


「お前達はどこから来たんだ?」

「アルテ達は、地を行き巡り、そこを歩き回って来ました」

「…………!?」


 ここへ来て、白を切る子じゃない。アルテは。

 本当に『分からない』んだ。自分達の居た場所が『どこ』で『何』なのか。


「アルテ達が日本まで来たのは、ロンドンのヒースローからでした。だけどその前にどこに居たのかは分かりません。寝てる間に移動して貰ったので」

「…………そんな」

「ねえ、パスポートは?」

「!」


 美裟が呟いた。そうだ。パスポートが無いと、飛行機には乗れない。

 だけど身分証明ができないこのふたりには、パスポートは作れない筈だ。


「あれじゃないかな。あるよ。ほら」


 それを聞いて、セレネがダッフルバッグから取り出した。


「…………!」


 名前が、全然違った。写真も、よく似てるが別人だ。

 英語? はよく分からないけど……。


 これは偽造だ。


「……そこまでして、貴女達を日本へ。文月の元へ寄越した理由は何なのよ」

「緊急避難」

「!」

「……と、執事のアレックスが言ってました」

「緊急……避難」


 内密とか。匿うとか。確か手紙にもそんなことが書いてあった。

 一体何なんだ?


「『組織』ってなんだよ。何の組織なんだ? 母さんは、一体何をやってるんだ?」

「……お兄さま」

「俺は! 一体『誰』の子なんだよ!」

「文月っ!!」

「!」


 はっとした。

 美裟の怒声で。


「……お兄さま。痛い、です」

「ご! ごめんっ!!」


 俺はいつの間にか。

 アルテの肩を強く掴んでしまっていた。


 慌てて下がる。

 ……テーブルは傾いて、お茶は全部倒れてしまっている。


「…………ごめん……」

「……フミ兄……」


 がっくりと、項垂れた。頭がパンクしそうだ。

 心配そうに、セレネが俺の手を取ってくれた。

 暖かい。


「……お兄さま」

「…………」

「これ以上は、アルテも知りません。どんな組織なのか。何かと戦っているのか。詳しいことはアルテ達『子供』には何も。……アルテは、アルテの体験したことしか話せません」

「……う」

「不勉強で。お役に立てず。……無能なアルテを許してください……」

「そんなことないわよっ! ほら文月! 謝りなさいっ!」

「…………ぅ」

「文月?」


 初めから。

 意味不明な母親だった。もう、10年以上会ってない。アルテやセレネと顔が似てるとか言ったけど。俺は本当にあの人の顔を覚えているんだろうか。


 子に、籍を与えず。

 何者かと戦っている。


 俺には、謎の能力と。

 異父の妹にも、何やら妙な力がある。


 緊急避難として。

 パスポートを偽造してやってくる。


 なんだこれは?


「……なんだこれ……」


 頭がパンクする。

 何も考えられない。

 そうとしか、形容できない。

 今の俺は。


「…………文月」

「お兄さま……」

「フミ兄……っ」


 俺を呼ぶ声。だけど応じられない。今は。

 脳の処理に追い付けなくて、身体が動かないんだ。


「……少し、休憩しましょっか」

「…………はい。お茶、入れ直しますね」

「ありがと。アルテちゃん。あと、なにか拭く物を」


 その間ずっと。


「……フミ兄」


 セレネが、俺の手を握ってくれていた気がする。


——


——


 フミ兄は凄く優しい。

 色んなものを沢山買ってくれるし、服も自由に選ばせてくれる。


 目が合うと、笑ってくれる。近付くと頭を撫でてくれる。わたしはフミ兄を、会ってすぐに大好きになった。


 そんなフミ兄が悲しい顔をするのは嫌だ。


 どうしたら良いか分かんない。


 わたし達は、生まれた時からママしか居ない。パパは知らない。

 国、ってのも知らない。学校も知らない。

 ずっと、ママと、ママの部下の人しか知らなかった。


 フミ兄は、そのことを悲しんでいる。


 わたしには、分からない。

 それの何が駄目なんだろう。籍? が無いことの。パパが居ないことの。学校に行ってないことの。

 何がいけないんだろう。


 フミ兄だって。パパが居ないのに。


 でも、フミ兄は学校に行ってる。

 なんでだろう。


「…………」


 悲しそうにするフミ兄は見たくない。


「…………」


 どうしたら良いんだろう。

 床に置かれた手が、とても寂しそうに見えて。

 思わず握った。


 わたしにはそれしかできなかった。


「……アルテちゃん。ちょっと」

「えっ? ……はい」

「?」


 ミサ姉が、アルテを誘って玄関へと向かった。


「セレネ。悪いけどお兄さまを見ててくれない?」

「どういうこと?」

「……美裟さんと、ちょっと買い物してくる。皆で美味しいもの食べよう?」

「…………わかった」


 アルテは、時々よく分からないことを言って、よく分からないことをする。


 だけどアルテは頭が良い。わたしなんかよりずっと。


 何か考えがあるんだ。

 ずっと一緒に居るよ。わたしはフミ兄と。


「早く帰ってきてね」

「うん。勿論」


 また皆で笑って。

 さっきまで楽しい感じだったのに。アルテがわたし達のことを話したら急にこうなった。


 誰が悪いんだろう。

 何がいけなかったんだろう。


「……フミ兄。元気出して」

「…………ぁぁ。ありがとう」


 わたしを見て。

 もっと楽しそうに話して。


 わたし達が悪いなら、謝るから。


 これからもっともっと。

 仲良くなりたいから。

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