第6話 ホームセンター「天国と地獄」

 お母さまから、聞き及んでいる。

 私達のお兄さまについて。


 とても、心優しいお人だと。


 例えば誰かを助けることに。救うことに。

 何も躊躇わずに行動を為せる人だと。


 倒れている人を見れば当然のように、野次馬を押し退けて治療しようとし。

 バッグを無くしたと言えば当然のように、必死に探してくれた。


 突然現れた妹をふたり、預かれと言われて。

 当然のように、文句のひとつも言わずに受け入れてくれた。


 あの数時間で既に、私達は理解と確信をしていた。

 この人こそ、間違いなく私達のお兄さまだと。


 あの狭い部屋に。笑顔で迎え入れてくれた。


「セレネ」

「……ぐすっ。分かっでる」


 そんな人の作るスクランブルエッグが。

 美味しくない訳が無いのに。


「私達のせいだよ」

「分かってるってば……」


 まだ。まだまだ。

 私達とお兄さまは、出会って間もないから。

 セレネが泣いてしまうのも仕方が無いけれど。


「……戻って、来るかな。フミ兄」

「お兄さまはアルテ達みたいに子供じゃないんだから大丈夫」


 これまで築いてこれなかった兄妹の関係は。

 これから築いていけば良い。


「ちゃんと謝れる?」

「……頑張る」


——


——


「……ただいま」

「フミ兄っ!」

「うわっ」


 玄関でちょっとだけ深呼吸して。ドアを開けた。

 瞬間、セレネが飛び込んできた。危ない。キャッチミスるとこだった。


「うわああん! ごめんなさいぃ!」

「わっとっと。セレネ」

「うわああん!」


 涙と鼻水でぐしょぐしょの顔面を俺の胸に擦り付ける。どうしたってんだ。


「…………」


 肩を抱いて、良いのだろうか。

 頭を撫でて、良いのだろうか。


 世の兄はこの場合どうしてるんだ?


「お兄さま」

「!」


 部屋の奥から、アルテの声がした。

 見ると、にっこりと笑って頷いていた。


 俺の、どうしようか微妙なポジションにある両手を見たんだ。


「…………っ」


 肩を抱いて頭を撫でた。さらさらの髪だ。染めてない、地毛の金髪。


「フミ兄ぃぃぃ……」

「よしよし。ごめんな。俺が悪かったよセレネ」

「違うの! わたしが! わたしがぁぁ……」

「よしよし」

「ふみゅ」


 どうやら、俺が心配するような大事じゃなかったらしい。美裟の言う通りだ。

 あいつにもお礼しないとな。


——


 セレネを撫でながら部屋へ戻る。どうやらスクランブルエッグはふたりとも完食してくれたらしい。ていうかあれじゃ足りないよな。


「そうだ。今日は買い物でも——」

「お兄さま」

「ん?」

「アルテにも、欲しいです」

「何を?」


 俺は今、右手でセレネを撫でている。

 空いている左手を、アルテに奪われた。


「……セレネだけずるいです」


 小さな口を尖らせて、そう言った。


「…………ああ。悪かった」


 アルテも撫でた。


「……いえ。先程は生意気なことを言ってごめんなさい。お兄さま……」


 まるで小動物……は失礼だけど。

 気持ち良さそうに、嬉しそうに撫でられるふたりを見るとなんか。


 俺まで嬉しくなってくる。


——


 さて。

 いつまでも撫でている訳にはいかない。セレネが中々離れず、つられてアルテまでしがみついてきて。大変だったが。

 ふたりは、不安で仕方ないんだ。たったふたりで、母親と別れて、外国に来て。


 俺がしっかりしないと。


「色々と必要な物があるな。買い物だ」

「お買い物!」


 目を輝かせたのはセレネ。


「服はあります。というか、服くらいしか生活用品を持ってきていませんが……」

「まあ、取り敢えずホームセンターに行こう」


 暮らしのことならホームセンターだ。

 来ただけでちょっとわくわくするのは俺だけだろうか。


——


「あれっ? お兄さま、お車持ってるんですか」

「まあな。軽だけど」


 アパートの裏にある駐車場へやってきた。俺が車を持ってることが不思議なようだ。


 金はな。

 まあ、ある。大きな声では言えないけど。あの『病院』での協力の報酬があるんだ。それくらいは賄えるくらいの額が。

 免許は夏休みに取った。部活とかやってないからな。

 車があると何かと便利なんだ。今日みたいな大きな買い物でも帰りに困らずへっちゃらだしな。


「じゃあなんで昨日タクシーだったの?」

「学校の帰りでそのまま電車に乗ったからな。ウチには寄ってないんだ」


 ともあれ、乗り込む。運転席に勿論俺。


「あっ! アルテ待って!」

「なに?」

「わたしがフミ兄の隣座りたい!」


 助手席に乗ろうとしたアルテを、セレネが止めた。


「私もお兄さまの隣に座りたいの。早い者勝ちよ」

「ずるい~!」


 困った。

 こういう場合、世の兄はどうしてるんだ?


「セレネ」

「フミ兄! フミ兄はどっち——」

「じゃあ、帰りは俺の隣だ」

「!」

「行きは、アルテに譲ってやってくれよ。順番でさ」

「…………分かった」

「ありがとう」


 ありゃ。

 もう少し駄々をこねると思ったんだけど。

 意外と素直に聞いてくれた。


「絶対だからね! アルテ!」

「はいはい」


 ていうか、ナチュラルに助手席座ろうとしたアルテもアルテで凄いよな……。なんていうか、計算高い? はちょっと違うかもしれないけど。

 冷静で、常に落ち着いた様子のアルテ。10歳とは思えない立ち回りだ。今朝のミルクの件だって。お互い時間を置いて、気持ちの整理ができたら謝りましょう。そんな気遣いの言葉だった訳だよな。

 このふたり、何者なんだ……?


「まあすぐだ。10分くらいだよ」

「はい。お願いします」

「……でさ」

「はい?」


 言おうか言わずか悩んだんだが。やっぱり気になる。


「もしかして持ってきた服、全部その修道服だったりする?」

「はい」


 即答。マジかよ……。

 小さなシスター姉妹を連れる男。

 俺は何者なんだ……。


——


「ここが! ジャパニーズホームセンター!」


 高い天井。広すぎる箱の中。セレネが両手を広げて叫んだ。

 テンションMAXだ。


「取り敢えず、欲しいもん——じゃなかった。『必要なもん』を入れてくれ。俺も適当に見ていくけど。あっ。はぐれたらそこのベンチか、最悪駐車場な。時計は読めるか?」

「もっちろん! 行くよ、アルテ!」

「あっ。ちょっ。……もう」


 走り去るセレネ。

 アルテは俺の方をちらりと見る。


「行ってきな。でも商品棚とか倒さないように。どんなに迷っても、1時間後にこの南出口で」

「……はいっ。セレネー! 待ってよー!」


 どうやらわくわくするのは俺だけじゃなくて、俺の家系だったようだ。


 あっという間に行ってしまった。遊園地感覚だな。修道服で駆けずり回るのはちょっと良くない気もするけど。


 さて、俺も俺で要りそうなものを探すか。歯ブラシとか、コップとか、その辺だよな。


「はいっ! 歯ブラシ!」

「わっ」

「あははー!」


 セレネがにゅっと現れて、商品を俺の持つカートにシュート。

 また商品棚の森に消えた。


「はいっ。お箸」

「わっ。今度はアルテか」

「練習したいです。ではっ」


 続いてアルテも、ふたり分の可愛いキャラクター柄の箸をシュートしにきて、また消えた。

 神出鬼没。


 楽しそうだなあ。


——


「はいっ! 可愛い靴下見付けたっ!」

「はいっ。このカバン欲しいですっ」

「はいっ! なんかよくわかんないやつ!」

「はいっ。そういえば無かったので、ヘアピンですっ」

「はいっ!」

「はいっ」


 …………。

 なんか。なんとなく。

 運動会を、思い出す買い物だった。

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