第5話 始まったばかり

 季節は、冬。それも12月だ。今は冬休み直前。


 つまり、クリスマス直前だ。


「日本は雪、あんまり降らないんですね」


 窓から外を見るアルテが呟いた。ワンルームだと、どこで呟いても全員に聞こえる。


「地方によって豪雪にもなるけどな。この辺りはあんまりだなあ」


 金曜日の学校終わりに、空港までこの子達を迎えに行った。その翌日。


 とにかくふたりには、ここでの生活に慣れて貰わないと困る。

 一夜明け、流石に文句は言わなくなったけど。まだ不満に思う所は多そうだ。

 ……あんまりあれなら、美裟に頼んで預かって貰おうか。あいつの家は広いし。


「ねえフミ兄、わたしお腹空いた」

「よし。じゃあなんか作るか」

「ほんとっ? フミ兄の料理!?」

「まあ大したもんは作れないけど」


 部屋はまあ狭い。布団も1組しかなく、3人で一緒に寝るしかない。まあふたりは身体が小さいからなんとかいけるけど。

 寝転がる俺の上で寛いでいたセレネが、それを聞いて目を輝かせた。

 なんか距離縮まるの早くないか? 別に良いけど……。


「楽しみです。お願いします」


 アルテもちゃっかりキラキラさせている。そんな期待されても困るんだが。


 因みに俺は『料理ができる』んじゃ、無い。

 『焦がさない程度に焼ける』だけだぞ。それができたら色々できるだけ。料理ができるように見せ掛けられるだけだ。

 じゃあまあ、適当に卵でも焼くか。


——


「待ってくれ!」

「!」

「!」


 手で、制止した。ふたりはベーコン入りスクランブルエッグを前にして、ぴたりと止まってくれた。

 ナイフとフォークをぴたりと止めて。ていうか2セットあってよかった。ふたりは箸を使えないらしい。


「「……え?」」


 正に、『え?』という口の形のまま。俺の顔をふたり揃って見た。


「予防線を張らせてくれ」

「え?」


 口の形のまま。


「俺の料理は、美味く無い」

「…………」

「お前達は、大きな屋敷で、高級料理を食べて来てる」

「…………」

「だけど、俺は違う。庶民の安い卵で、料理人でも無い高校生が作った、日頃誰かに食べさせることも無い、ただの適当なスクランブルエッグだ」

「…………」

「だから、あんまり期待しないでくれ」

「…………」

「な?」

「……どうしてそんなこと言うの?」

「えっ」


 目は、そのまま。

 セレネがそう言った。


「…………どぅして。そんなことぉ。言うのぉ?」

「ええっ。ちょっ。セレネっ?」


 みるみる。

 眉をひん曲げて。

 その大きな瞳に涙を溜めていった。


「いただきます」

「!」


 その隣で。

 なんの気なしに、普通に。

 アルテが食べ始めた。


「……アルテ?」

「ふぇ……」


 隣で涙ぐむ姉妹を無視するかのように。すんとすました様子で。


「…………うん。とっても美味しい」

「アルテ」


 そして咀嚼して。

 何度か頷いて。


「セレネ。ほら」

「うぇ。……ぇぇ……」


 すました顔で。

 セレネの皿のスクランブルエッグをよそって、泣きじゃくるセレネに無理矢理食べさせた。


「ぅぅぅ……。もぐ」

「どう?」


 涙を溢しながら、ゆっくり咀嚼するセレネ。


「…………ふぇ」

「美味しいでしょう?」


 すました顔で。

 この、アルテとセレネの表情の違いが。

 なんだか心に衝撃が来る。


「…………んぅ」

「……ね?」


 やがて自分の手でも、食器を動かして食べ始めた。


「…………ぐすっ」

「…………」


 セレネは時々しゃくりあげながらも、手を止めない。

 アルテも、まるで隣に泣いている子が居ると気づいていないかのように、ただ黙って食べ続けている。


「…………!」


 俺は。


 何か間違えてしまったらしい。


「お兄さま」

「っ!」


 ふと、アルテが俺を呼んだ。俺はびくりとしてしまった。

 この異様な光景に。


「そういえば。冷蔵庫を見ましたけど、ミルクがありませんでした」

「えっ」

「……私達はお店の場所も知りません」

「わっ。分かった。買ってくるよ」

「ごめんなさい。私達、朝はミルクじゃないと調子が出なくて」


 耐えられなかった。


 どういった意味で、アルテがそう言ったのかをよく考えず。


 10歳の女の子に言われるがまま、俺は逃げるように自分の部屋から出た。


——


——


「貴方の『御業ちから』はね。とても優しい力。貴方も、優しい人になって頂戴ね」


 慌てていて。財布を忘れたまま。


「…………」


 あてもなく道を歩く。

 色んな事が頭の中でぐるぐるしてる。


 セレネの泣き顔と。

 アルテのすまし顔と。

 ……何故だか、昔の記憶。母さんが俺に言った台詞と、その時の顔。

 優しい笑顔。


 ずっとそれがぐるぐるしてて。

 気付いた。


 顔が、やっぱりどこか似ている。

 あの3人。

 母さんは日本人だし、あのふたりは外国人の顔立ちだけど。

 どこか似ている。

 親子と言われて、多分納得できる。


「…………」

「何してんのよ」

「えっ」


 呼ばれて、気が付けば。

 いつの間にか、俺は神社へ来ていた。

 家の近くにある、ちょっと古そうな神社。でもよく掃除されていて、綺麗な神社。

 大きな神社。


「……美裟」

「こんな朝っぱらから、死んだ魚みたいな空気だして。ていうかあの子達は?」

「…………」


 美裟はその神社の子だ。だから、ここへ来れば彼女が居る。俺は無意識に、誰かと会いたかったんだ。


 懺悔……は宗教が違うか。だけど聞いて欲しい。

 今の俺にはどうにもできないから。


——


「はあ。なるほど」

「……うん」

「そりゃ、あんたが悪い」

「うん」

「あんたしか悪くない」

「うん……」

「何が悪くて何で悪いか分かる?」

「……分からない」

「くそ野郎ね」

「……うん」


 説明すると、美裟は俺を罵倒した。

 少しずつ、気が楽になってくるのが分かった。


「無駄に予防線を張るからよ」

「それの、何が悪かったんだ?」

「過剰なのよ」

「えっ」

「あんた、昨日の夜にアパートのワンルームの狭さに吃驚されたって言ったわね」

「ああ」

「『自分達は今まで、とても贅沢な暮らしをしていたんだ』と気付くわよ。馬鹿じゃないんだから」

「…………ああ」

「あんたの作る料理なんて最初から『たかが知れてる』訳。その上自己卑下しまくるんだもの」

「…………」

「『こいつらは上流階級で文句ばかり。面倒臭いから予防線を張らなければならない。これで満足だろ?』」

「そんなこと思ってねえよ!」

「あんたが! どう思ってるかは関係無いのよ!」

「っ!」


 反論するも。

 返ってきた美裟のより大きな声に俺の口は止まってしまう。


「なんで、やっと会えた『お兄ちゃん』に、そこまで気を遣われなきゃなんないのよ! 腫れ物みたいに! これじゃお荷物じゃない! 迷惑じゃない! ……どうしてそんなこと言うの!?」

「…………!」


 大声で。

 美裟はセレネの代弁をした。

 いや。

 セレネと、アルテの。


「…………まあ誇張はしたけど。大きくはずれてないわよ多分」

「……そっか」

「無理矢理説明したけどね。あの歳の頃は、何より感情が先に来るの。ただ『悲しい』のよ。あんたが、そんな態度と言葉を使うと」

「…………」

「分かったら、早く帰って土下座しろくそ馬鹿」

「……ありがとう」

「お礼を言う相手はあたしじゃないでしょうが」


 振り返らずに走り出した。

 セレネ……!

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