2.午前一時の強がり。
覚えがある。
あれは高校三年の終わりに差し掛かったころだろうか。高校生活での主だった行事が大体終わった、そう、ちょうど今日のような冬の一日だった。文化祭の委員会活動が終わってからはめっきり会う機会も、会話する時間も少なくなっていた
二人の会話は最初、寒くなったねー。そうだねー。という、他愛もないものからスタートし、ここ最近学校で有った話、それ以外のニュースなどの話と転がっていき、やがて受験の話に差し掛かった。
久我は言うのだ。自分の行こうとしてる大学はどうも、うちの高校から進学を目指しているのは自分一人しかいないらしい。学力的には全く問題無いし。模試の判定もずーっと一番上。だけど、仲間がいないからちょっと寂しい、と。そして、話を
今振り返ってみれば、相当思い上がっていたと思う。
しかし、当時の自分は余りにも自分勝手かつ都合のいい解釈をした。つまり綾瀬の頭の中で久我は、
「綾瀬くんといるのが楽しいから、一緒の大学に行きたいな~(チラッ)」
という思わせぶりな態度を取っていたのだ。もちろん現実の久我はそんなことを言っている訳がないし、ただ単純に話の流れで「そこそこ仲のいい友人」の志望大学を聞いてみただけで、せいぜいが「受験の辛さ、進学の辛さを共有したいよー」くらいの考えだったはずなのだが、その時の綾瀬はそんな冷静な判断は下せなかった。
そんな訳で、それとなく「久我の志望校に興味があるアピール」としてみたのだが、どうも反応が芳しくない。もし久我が綾瀬と同じ大学に行きたいのであれば、この時点で大分色の良い反応を貰えるはずなのだが、返ってくるのは「教えてもいいけど、役に立たないと思うよ?」「いや、ホント、一人暮らしはまだしも、結構田舎だから、楽しくないよ?」「そもそも綾瀬くんって大学で何がやりたいんだっけ。あの大学、あんま大きくないから、ちょうどいい学部無いかもよ?」その他もろもろだ。
流石の勘違いチェリーボーイも途中で違和感に気が付き、最終的には「まだ、あんまり決まってないからさ。色々、知ったら”これ”っていうものを見つけられるかなーって思っただけ」というお茶の濁し方をした。
そこまでの食いつき具合と比べると、我ながら雑な方向転換だったと今でも思っているくらいなのだが、当時の久我は何か思うところがあったらしく、「そーだよねぇ……結局決まんないよねぇ……」と、自分の世界に入っていってしまっていた。
後から知ったことだが、久我は高校当時、一部女子から大変受けが悪かったらしい。理由は簡単。それなりに人気のある男子と、付き合う訳でも無く、「性別の違う親友」ポジションを保ちたがるから、だそうだ。
男女問わず、基本付き合えるのは、一人だけだ。相手の男性が所属するコミュニティが全く違うならば二又、三又くらいは可能かもしれないが、何分舞台は閉鎖性の高い高校である。
そうなると二又などほぼ不可能なわけだから、どんなにおモテになる美少女様でも。何をしても黄色い声が飛び交うような水も滴るいい男でも、付き合えるのは一人だけである。
つまり久我が誰か特定の男子と付き合えば、それ以外の男子とは逆立ちしても付き合えないわけで、可能性の有無は別にすると、フリーの男子が増えることになるわけで、お付き合いできるチャンスもぐっと広がるはずなのだ。
ところが久我の場合、特定の彼氏を持ちたがらない。ここまではまだいい。問題は、そのくせ、多くの「男子の親友」を持ちたがるのだ。その上、パーソナルスペースが狭いのか、やたらにスキンシップを取りたがる。恋人でもないのに、である。
相手は悩み多き思春期の男子高校生である。そんなスキンシップ一つで好感度など簡単に上がっていくし、気が付いたら「俺実は彼女に好かれてるんじゃない?」という大変イタい勘違いをする輩もちょいちょい出てくるのである。例えばそう、綾瀬のような。
そんな訳で、特定の彼氏は持たず、けれど男は惑わし、本人は全く自覚のない久我
男子相手ならばともかく、その辺の女子が数人で束になっても叶う相手では無く、最終的に「同性評価は低いけど、直接の手出しはされない」という一方的な休戦状態に落ち着いていたらしかった。
久我は、暫く綾瀬の背中をさすっていたが、ある程度落ち着いたとみたのかすっくと立ちあがり、
「んじゃ、ちょっと呼んでくるよ」
「呼んでくる……ってタクシーを?」
綾瀬は蛇口をひねって水を出す。触れただけで凍えそうなほどの冷水が勢いよく汚物を洗い流していく。
久我は「それ以外何があるの」といった口ぶりで、
「そうだけど?」
「それは……」
困った。
正直な所、今の綾瀬にはそんな余裕が無かった。体力的に、ではない。金銭的に、である。
そもそも、同窓会自体痛い出費だった。ひとりあたりの会費が一万円を軽く超えていたのだ。一体何にそんな金を使っているのかと思ったが、今日会場に辿りついて納得した。明らかに店のランクが違う。
幹事の「やっぱり肉がいいよな」の一言で決まったらしい、焼肉屋というジャンルでも、かなり上の方に位置するチェーン店。しかもパーティー用の部屋を貸し切って、コースも一番上。正直な所途中から、「むしろこの会費はお得な部類なのではないだろうか」という気がしたくらいだった。
ただ、それでも想定外だったことは確かである。参加しない、という選択肢も無かった訳では無いのだが、事前に久我から「綾瀬くんは同窓会参加する?私は参加しようと思うんだけど」という連絡を貰ったことによって、綾瀬の中でその選択肢は完全に消滅してしまっていた。
我ながら単純な動機だと思うのだが、仕方ない。なにせ久我はずっと地方の大学に通っていたこともあって会う機会が無かったのだ。もっとも、東京に帰ってきてからも会っていないのだから久我にその気がないだけだろうという可能性については考えないことにしている。だって、嫌じゃん。そんなの。
そんな訳で、正直現時点でもかなり手持ちが寂しい。
一応銀行の口座から引き出せば無いことはないし、タクシー代くらいは払えると思う。思うのだが、それをやってしまうと、明日からの生活はちょっと考えたくはない事態になる恐れがある。なにせ今の時点でも大分節制しないといけない状態なのだ。
しかもタクシーはタクシーでも深夜の割増料金である。加えて、今いる公園から、自宅のアパートまでは割と距離がある。歩いて帰れないことはないが、大規模災害で、交通機関がマヒでもしていない限りはやりたくないくらいは離れている。
まして、今日はこの冬一番の寒さで、酒を飲んで一回吐いた後である。体力にもそこまで自信は無いし、途中でギブアップするのが関の山である。でも、
「いや、タクシーは、いいかな」
久我は驚き、
「え、だって、ここから綾瀬くんの家って結構あるんじゃなかったっけ」
教えるんじゃなかった。その通りである。それでも、
「まあ、あるけど」
「じゃあ」
「けど、ほら、さっきまであんなだったから。少し歩いて、酔いを醒ましてから乗るよ。ほら、タクシーで吐いたりしたら大変だろ?」
苦笑い。心は全く笑っていなかった。
久我はまだ納得しきっていない様子で、
「うーん……そう?」
「そうそう。だって、ほら、久我さんもここから少し歩くんでしょ?」
「まあ、そうだけど。でも、」
「なら同じだよ。方向も一緒だから、途中までは一緒だし。もし、久我さんが「あ、こいつ駄目だな」ってなったら、止めてくれていいから」
久我は腕を組んで「うーん」と悩み、
「ま、そうね。ただ、いざとなったら無理やりでもタクシー乗せるからね?」
「分かってるって」
久我は疲れなど感じさせないような笑顔で、
「よし。それじゃ、いこっか」
ややずり落ちかけていたショルダーバックをかけなおす。綾瀬も出しっぱなしになっていた蛇口の水を止め、洗面台の横に立てかけておいた、今日まで一度も使ったことの無かった、見栄がべっとりとこびりついた、ピカピカのビジネスバッグを手に取り、立ち上がる。思わずよろけそうになるが、洗面台のふちを掴み、なんとかバランスをとる。
久我が心配そうに、
「大丈夫?」
「大丈夫大丈夫」
全く大丈夫では無かった。流石に吐き気は無くなったが、依然として本調子ではない。多少の距離ならともかく、電車で数駅分を歩いて帰宅できるような状態では間違いなく、ない。
それでも、ゆっくりと、確実に。出来るだけ「大丈夫」に見えるように気を付けながら、久我の後を歩いていく。切れかけの街灯がチカチカと点滅する。誘われるように虫たちが周りを飛び回る。経年劣化で緩くなった蛇口からぽとり、ぽとりと水滴がしたたり落ちる。どこかの飼い犬が、通行人に威嚇をする。救急車がサイレンを鳴らしながら夜の街を走り去る。月が綺麗な夜だった。
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