第5話 結託

「……これで最後か?」


 サレハは片手でのみ槍を構えて上下左右を見回した。


「……ああ。そうみたいだね」


 ピリピリと張り詰めた空気を断ち切るかのように、ナギルが半月刀から返り血を振り払う。刀を鞘に戻しながら、未だ用心深く巨大な長槍を両手に持ったままの黒ずくめの武人のほうに歩を進め、クレメンテとジルの方に再び向き直った。サレハの方は、先ほど三人片づけた後、油断してナギルを頭上から襲われた不手際が堪えたようだった。主が剣を収めた後も、鋭敏に神経を尖らせ周囲を探っていた。


「さっきはどうもありがとう。助かった」


 暗い裏路地に差し込む青白い月光のように、よく通る凛とした声が夜明け前の寒々と澄んだ空気の中に響く。

 初対面で話すのにも関わらず、ナギルには他人への警戒心がない。それは育ちがいい人物にありがちな素直さを絵にかいたようなものだった。善良な大人たちに囲まれ、人を疑うことを知らないまま無垢に育った人物なのだろう。

 これまでずっと既知の仲であったかのように彼は、口元に微笑みを浮かべてクレメンテとジルの顔を交互に見た。つられてクレメンテの顔もほころぶ。


「……いや、こちらこそ。まだあの暗殺者が生きていただなんて……こんな暗闇の中、よく気づいたな」


 ナギルは謙遜するかのように目線を逸らし、はにかんだ笑顔を見せた。


「暗殺者は生ける屍リビング・デッド」のようなヤツらだから、念には念を入れないと。ハッシシを吸って襲ってきているからね。暗殺者はとどめを刺さない限り、死を恐れることなく襲ってくる」


 ハッシシを吸う者――暗殺者アサシンの噂は聞いたことがある。「山の老人」と呼ばれる正体不明の謎の人物に率いられた、金のためだけに暗殺を請け負う暗殺者集団のことだ。「ハッシシを吸う者」には特に社会的・宗教的な理念はない。金さえ貰えば、誰でもまとにして暗殺する。

 「山の老人」は山中に秘密の楽園を造り、大麻で眠らせた里の若者を連れ去って、ありとあらゆる快楽に極めさせる。快楽に溺れた若者たちに、「山の老人」は、この快楽の園に永遠に暮らしたければ忠誠を誓うように仕向け、暗殺などの謀略を強要するのだと言う。

 「ハッシシを吸う者」は大麻を吸引した恐れを知らぬ状態で、独特の形状をした反り身のナイフを振りかざして暗殺を行った。彼らは捕縛されるのもいとわない上に、もし捕まえることができたとしても、大麻による錯乱状態で意味の通ることを自白させることが難しい。それ故に「ハッシシを吸う者」を捕えたとしても、暗殺の依頼者の名前も、「山の老人」の正体も、アジトの在処も分からないまま処刑するしかない。


「変わった形のナイフだね……」


 ナギルと話しているクレメンテの背後を回って、ジルがピクリとも動かない暗殺者の亡骸のそばに歩いて行った。遺体の隣に落ちている、一度刺したら抜けないようにであろう極端に反り返った刃のついた両刃のナイフを、物珍しそうに眺めていた。


「触るな」


 最後まで辺りに敵がいないか気を配っていたサレハがジルの行動に気づいて、即座に制止する。


「それには毒薬が塗ってある。獲物を一発で仕留めるために」


「毒薬」という言葉を聞いてジルは、触れようとしていた手をサッと引っ込めた。それから、ちょっと思案するように斜め上に視線を上げ、思い切ったようにサレハに向きなおって尋ねた。


「……あんたたちは毒薬を使うような厄介なヤツらに、なんで狙われているんだ?」


 ジルのこの質問にナギルの顔色がハッと変わり、サレハの目がキラリと光る。困った顔をしたナギルは、思わずサレハほうに目を向けた。


「……お前たちには関係ない」


 サレハは答えなかった。


「余計なことに首を突っ込むな。命取りになるぞ」


 この黒づくめの武人は、話は終わったでも言うかのように、手に持っていた槍を背中に戻し、マントを翻した。ナギルもフードを被り直しながら、小走りにサレハに近づき、その後に続こうとする。


「……ちょっと待ってくれよ!」


 この場を早々に立ち去ろうとするナギルとサレハを、クレメンテは慌てて呼び止めた。


「オレたちはあんたたちのことを探ろうとしているわけじゃない。ただ……礼を言いたかったんだ!」


「礼を言われる筋合いなどない」


 サレハは振り向きもせず、背中で答えた。一瞬クレメンテの方を振り返ったナギルも少し会釈をして、サレハの後に続く。


「……ちょ、ちょっと待ってくれ!オレの名前はクレメンテ!クレメンテ・ドゥーニだ!!!」


 クレメンテが自分の名を名乗ると、サレハがピクリと反応して立ち止まった。話に耳を傾けてもらえるうちに、クレメンテはまくし立てて早口で続けた。


「さっき宿屋でお前らは、オレたちに間違われただろう?それであの宿屋を出ることを余儀なくされた……悪かったよ。あと、あの雑魚野郎たち追い払ってくれてありがとう。恩に着る」


 立ち止まりはしたものの、サレハはクレメンテの謝罪の言葉に振り向くこともなかった。

 風が雲を流し、微かに路地裏を照らしていた月の影が消え、あたりが暗闇に包まれる。


「……そうか。分かった」


 しばらくの沈黙の後、サレハは再び歩を進めようとした。


「……ちょっ……ちょっと待って!!!オレら今金がないからさ、金でのお礼はできないんだけど、なにか……なにか、お前らの力になれないか?……暗殺者みたいな物騒なのに追われてるみたいだし、困っているなら力を貸すぜ?」


 サレハの動きが再び止まる。ナギルは間に立って気を使っているのだろう。眉根に皺をよせ、サレハとクレメンテの顔を交互に見ていた。


「お前はマリゼラ人か?……言葉に訛りがあるが」


「……あ、ああ」


 サレハの唐突な質問に、クレメンテは驚きちょっと言葉を詰まらせながら答えた。


「マリゼラ人なら船には詳しいよな?」


 正確なところを言えば、マリゼラ人ならばみんながみんな船に詳しいわけがない。

 確かにマリゼラは島国の海洋国家ではあり、国民の大半が船乗りなどの海運業に携わって入るものの、もちろんおかで仕事を営んでいる人間も多い。クレメンテもそのひとりである。実家は漁師ではあったが、人買いに奉公に出されたぐらいだ。子どもの頃はよく父親の漁に着いて行き、手伝いもしたが、船の操縦自体には疎かった。できるとしたらオールを漕いで釣り上げた魚の選別をすることぐらいなのだが、ここでせっかく話す気になったサレハの心を挫くような事実を述べても仕方がない。

 クレメンテは、サレハの期待を裏切らないように黙ってこくりと頷いた。


「船の……船の手配はできるか?オレたち二人が乗れればいい」


 サレハの視線の熱さが、切迫しているらしい彼らの状況を物語っている。

 自ら助けることを申し出たもののそれは藪蛇だったのではないかと、クレメンテは後悔し始めていた。

 彼らは船でどこへ行きたいのか?なぜそんなに熱心に逃げる必要があるのか?

 そもそも暗殺者に狙われているような男たちだ。どんな面倒ごとに巻き込まれるか分かったものではない。


「……どこへ行きたいんだ?」


 クレメンテは急に慎重になって、質問を投げかけた。


「行先はどこでもいい。船には乗れればいいんだ。とにかくエラムを脱出したい」


 サレハの回答は端的だった。そして、口の中で「脱出」という言葉を繰り返した。


「脱出しなければ……」

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