11 たどる



 旅人の隣りに並んで、いつかきっとと思い描いてた光景を目にしたとき、どうしてだか、これは自分の役目だと思った。

 少年はひとり、ぬかるんだ闇の中を行く。不意に固まった気持ちのおかげか、その足取りはしっかとしていた。


 王女が国を守るため剣の腕前を磨いている間、少年は床や柱を磨き、一人前の従者を目指した。父を失い一人きりになった少年が住み慣れた城郭でそのまま暮らしてゆくには、これが一番の方法だったからだ。

 まだまだ従者としても未熟であるし、剣では決して王女に勝てないが、お城で暮らすお姫様がやらせてはもらえぬことでは自分のほうが多少の、いや、かなりの経験があると少年は思っている。

 皿洗いに服のたたみ方、毎朝の支度に毎夜の灯の始末。どんなに未熟であろうが、従者がやるべきことは、いくらでもあるのだ。


 そうして、長年勤め上げてきた先達や侍女たちに仕事を習うほかに、王女の供でお城や都で働く熟練の職人に会う機会があると、その技を盗み見て、出来ないなりにも見よう見まねで試してもみた。役に立てそうなことなら、どんなことでも覚えようと思ったのだ。

 そんなことを熱心にしていると、余計なことを言う者も出る。

 あの勇敢な騎士隊長が生きていたら、一人息子をどう思うか。

 余計な世話でしかない無責任な言葉を幾度となく聞きながら、少年は人一倍働いた。異形の軍勢と真っ先に戦い、命を落とした父のような立派な騎士にはなれやしないと悟ったときから、せめて王女付きの従者になれるようにと自ら進んで働いてきた。


 そうして一生懸命になっていた中に少しだけ、いつかお城を放り出されるようなことになっても困らないようにという自分かわいさの算段もあったが、それも無駄ではなかったわけだ。

 臆病風とあきらめのおかげで、今この時、自分にしかやれぬことが見つかったのなら、剣が上手く振るえなくても本望だった。


 泥水を吸った服は重く、手足は地下水で冷やされている。しかし、足取りは見違えるほどに軽い。泥水のたまった堀に少年は身を忍ばせ、息をひそめて周囲を探る。

 あの負傷兵のように見つかりはしないかと不安に思わないでもないが、炎の上げる風のうなりと異形の者たちの騒がしい声で、ぬかるみをかき分け進む足音は獣の耳にも聞こえずに済んでいるらしい。

 もうじき、堀の終わりへ突き当たるはずだ。王様と兵士を取り囲む炎の明るさが土手で遮られた堀の中は、より一層影が濃く、漆黒の闇に近い。

 いままでの少年なら、そこのどこかへ大ヤモリやネズミ、ナマズかなにかの化け物がいないかとおびえているだけだったろうが、今は王様の切り札を見つけるという役目が彼を、不安の渦に飲み込もうとする己の闇から遠ざけてくれていた。


 堀の突き当りの泥壁が、闇に慣れた目に映った。この突き当りの向こうには、旅人が「あちらか」と言って示した場所が、目的の景色がある。

 土手の向こうからは見えないように注意して首をのばした従者の少年は、大小の水面が揺らめく炎を映しているのを目にした。

 近くに来ると、その迫力は増す。いつか見た絵より数十倍もすばらしい光景に、ただの探検で訪れたのならよかったのにと、いつもの癖でつい顔をうつむかせた少年は、眉間にしわを寄せた。


 植物と動物性のものを混ぜた油の、独特のにおいが鼻をつく。この灯油は箱明りのものだろう。ぬかるみに溜まった泥水の表面に油の膜が揺らめいて、かすかな光を反射している。

 ここからいくらか戻ったところには、格闘の跡があった。削られた土手や大小の穴のあいたぬかるみの跡がそちらへ残っていたのは、ここに敵を来させる前に接近に気付いた兵士が、捨て身を覚悟で、異形の者たちに立ち向かったからだ。

 まかれた油も、ここに隠された切り札の目くらましであるはずだ。嗅覚に優れたものがいたなら泥の中のなにかを嗅ぎつけられていたかもしれなかったが、兵士の機転で難を逃れているようだった。

 泥の壁に手を付き、従者の少年は目当ての物を探した。ねっとりとして冷たい泥の奥に石灰岩の壁がある。それを手の平へ感じながら端へと動かすと、泥の中へ固くて細いものがあった。

 泥に埋もれて、縄が一本、壁から垂れ下がっている。ほっと息をついて、泥で塗り込められた縄を取り出していく。位置を動かさないよう慎重に泥を落としつつ、まだ隠されているものを目で探す。

 そうしながら、いつか見たあの日のことを記憶の中から探り出して、たどった。


 王女の供で博士に連れられ、不要な坑道を埋め戻す発破の現場に足を運んだ日のことだ。いつか騎士になると思っていた少年には必要のないことだったはずだが、その時のことはしっかりと彼の記憶になっていた。

 鉱脈掘りの親方である老人は、危ないからと近づけさせてはもらえなかった王女の代わりに幼なじみの少年をにわか弟子へ選ぶと、これから発破を仕掛ける土手を案内してくれた。

 方々に草の生えた、じめついた土手の一角を節くれだった指で差し、親方は、どこをどんなふうに壊すのか噛み砕いて教えた。土手に囲われた窪地の底の、水に浸かった縦穴を潰すのに使うという、容易に近づけぬ場所を崩す方法を見せてくれた。

 後で王女へ自分が見聞きしたことを博士のように残らず伝えねばならぬと思っていたから、少年は真剣に物を見、耳をそばだてた。

 あの時、発破の迫力に興奮した幼なじみが親方に代わって話して聞かせたことを、賢い王女も記憶していることだろう。だが、あの時のことをいま再現できるのは、この目で見てきた自分にしかやれない。


 少年は決意も新たに、泥の中へと目を凝らす。

 あの親方に師事したか、その教えを体得しているらしき鉱脈掘りが発破のために討伐隊へ兵士として参加しているなら、やり方に大きな違いはないはずだ。

 果たして少年が闇へと凝らした目の先に、それはあった。

 崩れ落ちた泥のかたまりが、うずくまるカエルのようにも見える。使命に燃えた少年はためらいもせず、かたまりの中から手探りで、我らが王様の切り札を掘り起こしにかかった。



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