12 切り札



 舞い踊る火を囲み、はやし立てる声は大きくなる。炎の壁を取り巻く異形の戦士たちは吠えうなり、闘えぬことを不満に思っていた。

 魔法の炎をあやつる魔術師もまた、一向に降伏せぬ地上の王に愛想を尽かしたようだ。下から上へと大きく両腕が振り上げられると、業火の波が高々と噴き上がり、王様の眼前へと火の粉を散らしてなだれ落ちた。


 居並ぶ討伐隊の兵士たちが大盾を手に、崩れ落ちる炎の波と火の粉のしぶきを迎え撃つ。にび色の盾を赤く染め、炎は散った。

 最後の警告というやつであったのだろう。いとも簡単に崩れ去った火の波の向こうで、魔術師が笑う。影にさえぎられた魔術師の顔は、その口元以外ようとして知れない。腰の曲がった姿からは想像できない、不釣り合いなほどに白い歯が嘲笑に光った。


「どうだ? まだわからぬか。そなたらへの慈悲というものが」


 王様は答えることもしなかった。

 なにが慈悲だ。生きてしもべとなるか、死してこの地に眠るか。そのような選択に答える必要もないと、地上の王は冷ややかなまなざしで魔術師の問いを遠ざけた。

 魔術師は、今度は声を上げて笑った。


「ほお、なるほど。ここで火葬されても良いというのだな。それも好い。骨の兵士を野に放つのも、また面白かろう。この者たち以上に地上の者へ、死への恐怖を与えてくれるだろうからな」


 獣の戦士たちが、魔術師を真似て笑う。骸骨ごときが自分たちの足元にも及ばぬというあざけりと、骨の軍勢とされる討伐隊の最期を思い浮かべて、いい気味だとでもいうらしい。


 炎の壁が一回り縮まる。魔術師は燃え盛る壁を左手ひとつで制し、空いた右手を己の腹のあたりで、見えざるつぼの中でもかき回すように動かし始めた。

 その手の動きに呼応するように、炎の壁の四方で、渦が巻き始める。魔術師は笑みを浮かべて、抑揚のない、されど良く通る声で討伐隊へと最後の宣告をした。


「そなたらの命など、我が手の内だ。生きるも死ぬも同じこと。生きてその目で日の光を見る気はないのだろう? ならばその身を骨と変えるがいい。白日には骨をさらして地にひれ伏し、宵には骨身を鳴らして行軍せよ。我がしもべ、白骨の兵団となれ」


 炎の渦はその語りの内に、徐々に大きく、強くなっていった。


 討伐隊は盾を四方へ向けたまま、我らが王の言葉を待つ。このまま焼かれて灰になろうなどという者はいない。切り札を失おうとも戦いをあきらめた訳ではない。王様は兵士の中央に居て、炎に囲まれ立ち尽くしている間も、魔術の壁を突破して決戦の火ぶたを切る時をうかがっていたのだ。

 それならば、その目がこの好機を見逃すはずもない。王様は抜き放っていた剣を高く天へと向け、それを右手の一角を刺し貫くようにして振り下ろし、命じた。


「一点を突破せよ! 我が後に続け!」


 大盾を構えた兵士を両脇に、王様が炎の壁へと向かって駆ける。隙間なく盾を構えた兵士が中の一団を守るように外を固め、ひし形に隊列を組むと、王様の後へと続いた。

 隊列が向かう先、炎の壁の一部分が薄く透けていた。四方に出来上がりつつある渦に引き込まれ、壁を形作っていた火炎が、わずかに薄くなっているのだ。

 この身を一瞬で焼き尽くすような業火であるかは突っ込んでみなければわからぬが、そこ以外には試す場もないと思われる。王様の捨て身の突撃に討伐隊が続き、にわかに戦場は戦いへと動き始めた。


 それを前にした異形の軍勢はときの声に沸き立ち、討伐隊へ追いすがろうと動きかけたが、その大多数は炎の壁に阻まれて前へと出られない。討伐隊が迫る右手の一角は、興奮した異形の者たちが左右から炎の壁に沿うように押し合いつつ群がってきて、早くも混乱をきたしていた。


「者ども、静まれ!」


 魔術師の一喝も、着実に形作られる炎の渦の轟きと血に飢えた異形の者たちの吠え声のせいか、先ほどまでのようには行き渡らない。しかし魔術師は、勢いの弱まった壁の一角を突っ切ろうする討伐隊にも動じることはなかった。


「そのようなことで、この手からは逃げられぬわ。渦にその身を食わせてくれる」


 壁の四方に出来た渦は、いままさに王様と討伐隊へと放たれようとしていた。魔術師が回していた右手を止め、ぐるりと大きく振り上げて、握った拳を振りかざそうとした時だ。


 甲高い破裂音が、戦場にこだました。

 予期せぬ音の出所へ地上も異形も関係なく、その顔を向ける。幾人かの目には闇の中へ小さく弧を描き、炎の尾を引いた火の玉が舞うのが見えた。


 火の玉は、幾重にも積み上げられた池へと落ちた。一番下に位置する、もっとも深く大きな池の中へ落ち、炎は消えて見えなくなった。

 それで終わりかと思った者が大半であっただろう。だがそれは、始まりであったのだ。

 先ほどの破裂音の比ではない、爆音が上がる。それと同時に池から白くにごった水柱が噴き上がり、近くにいた異形の者たちへ盛大に水しぶきが振りかかった。


 あの魔術師でさえ振り上げた拳をそのままにして、なにごとが起きたのかと、顔を覆う影の中から目を凝らす。

 その一時、意識がそれただけで、出来上がっていた炎の渦は、ゆるりとほころび始め、形を崩していく。魔術師はそれで我に返り、いま一度最後の一手を放とうと上げたままの右腕を回し、渦を形作ろうとした。


 今度はその動きに合わせるようにして、異様な音が戦場へ届いた。

 足を止めていた王様と兵士たちは、構えた盾の内で互いへ目配せし、予測と困惑を共有する。あの腕を折られた兵士は自身へ集まった味方の視線に、なぜにと思いながらも、うなずいてみせた。

 ぎりぎりと、なにかを締め上げるような音。それが池のふちを走るように広がる亀裂から出たものだと気付いた時には、魔術師の視線の先で、水が地を割って流れ出してきた。


 亀裂に沿って噴き出した水の勢いに池の壁は瞬く間に崩れ、その水流は近くにいた者たちの足をさらう。

 人であってもその勢いには、立っているだけでやっとのことであった。ましてや、背を丸め、地へとお辞儀するかのように身をかがめた者たちだ。異形の戦士たちはなすすべなく、押し寄せた地下水にさらわれて転がり、流され、すぐに立つこともままならなかった。

 砂州を飲み込み広がる濁流は、あっという間に炎の壁へ到達し、その火を下から飲み込んで消していった。水が触れた先から魔法の火は消えて、渦も散り散りに霧散した。


 流れあふれる水の勢いに応えるように、王様と討伐隊は戦闘を開始した。王様と精鋭の兵が前へ出て、身動き取れない敵を打ち果たしてゆく。大多数の兵たちはあまり動かずに、向かってくる者だけを盾の合間から相手した。盾の外へ出た兵が反撃に傷を負えば、それと交代に次の者が外へ出て戦う。

 足元がおぼつかないとはいえ、異形の者たちは数で勝る。池から流れ出た水も、そのうちに勢いをなくすだろう。いまはとにかく着実に、不意を突いて敵の数を減らし、こちらの兵力を温存することが策であった。


 しかし、それだけでは勝利は見えぬ。まずは、あの厄介な魔術師を討たねばならない。

 王様は数名を率い、魔術師を追った。火の魔法しかないとみえて、魔術師は水から逃れ、砂州を囲む土手の上へと引いている。王様と兵士が二名、真正面から魔術師を追い、二手に分かれた残りの騎士たちが左右から土手を駆け上がった。




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