6 こけおどし



「止まれ! 動くな!」


 その大声で、従者の前を塞ごうとしていた化けネズミたちが四つの耳を後ろへとひっくり返し、旅人の方へと駆け出した。


「そこへ居て動くな! 声も出さないで、合図を待て!」


 声を張り上げている旅人はいまや、大勢のネズミに囲まれている。気付けば立ち止まったままで剣を構えているだけの王女と従者の周りには、一匹の化けネズミもいなくなっていた。


 音で、こちらを見ているんだわ!


 王女は旅人の方へと駆けていく異形のネズミの群れを目で追った。従者は虫明かりが届くか否かの場所へいる旅人の戦いぶりに、ただ目を見張る。


 旅人は頭から外した覆いの布を振り回し、飛びかかるネズミを、まとめてはたき落とす。布の間げきを突いて手足にかみつこうとするものには、容赦なく拳と蹴りが見舞われた。

 そうして間合いを保ちながら、わざと大きく音をさせて足を振り下ろし、化けネズミたちを引きつけていく。布に止められた花の光がネズミの上で振り回されると鱗が鈍く明かりを反射し、薄明かりの下で塊がうごめき駆け回っては、順繰りに跳び上がって次から次へと旅人に打ち倒されていった。


 それでも、トカゲの鱗を光らせた異形のネズミどもの数は減らない。王女は、じりじりと橋の欄干へと追いやられていく旅人を歯がゆい思いで見つめていた。

 なにか手を打たなければと考えてみるが、ここで大声を出したとして、結果は今の旅人と同じになるだけだ。

 でも、このままではいけない。王女が必死に頭を働かせ、その瞳で、舞うように戦う旅人の姿を追っていた時だった。


 旅人が身をかがめて、跳び上がって来る数匹のとがった前歯をよける。そのまま下がると、その身を橋の外、谷底へとおどらせた。


 木組みの合間へ消えた獲物を追い、化けネズミの群れが一斉に動く。王女と従者はその光景に「出すな」と言われていた声を上げたが、旅人が蹴倒した木材の音が大きく響いて、悲鳴交じりの驚きをかき消した。

 考える余裕もなく、王女はすぐ側の欄干へと駆け寄り、組まれた丸太材の間から暗黒の谷を見る。慌てすぎた従者の少年も王女へ顔を寄せ、同じ隙間から地の底へ飛び込んだ旅人の姿を探した。


 かつかつと駆ける音がする。谷の中空を、にぎやかしく足音が走る。木組みの柱でさえぎられていた闇の中へ、薄明かりに包まれて宙を走る旅人の姿が見えた。


 驚きで声も出ない二人の目に、軋んだ音をさせる足場が映る。旅人は幾つも架けられた橋の間に、縄で吊り、板で渡してあった足場を見つけ、それの上を異形の群れを引き連れて駆けていた。

 追いすがって来る化けネズミを一匹一匹、布と拳とで打ち払い、谷底へと落としていく。身を返しては戦い、振り返っては走る旅人の後ろを猛然と追う、うごめく塊。その数は払っても払っても、一向に減らない。

 そこからどうするつもりなのかと王女が不安に思うと、こちらへ振り向いた旅人が、その身丈に似合わぬほどの大声で言った。


「走れっ! 駆け抜けろ!」


 叫んだ旅人の手の中で、何かが光る。

 そういえば先ほどから右手を使っていなかった。王女が注視するその右手を旅人は、自身の足元へ叩きつけた。


 閃光と共に、爆音がとどろく。

 まぶしくひらめく光の中で、轟音に驚いた異形のネズミたちが跳び上がり、ばらばらとほぐれた塊が宙に身をおどらせる。そのまま落下してゆくのも、足場に当たり跳ね上がって、地の底の川へと落ちてゆくのも鮮やかに見えた。

 爆鳴光ばくめいこう、音と光ばかりの、こけおどしだ。小さな紙筒に詰められた気体から出た閃光を割って、足場を駆け戻ってくる旅人が言う。


「行け! 今のうちに対岸まで駆けろ!」


 揺れて軋みが大きくなり、いまにも崩れそうな木の足場を走る旅人の姿に、我に返った王女と従者も、また走った。差し込む光に照らされた石橋を駆け抜けつつ、材木の合間に見える旅人から二人は目が離せない。

 蹴破られて木組みが大きく開いた欄干の前を二人は駆けた。王女と従者は、こちらへ向かって突き進んでくる旅人の足元が所々で腐り落ち、たわんで揺れるのを見て取って、朽ちた足場が今落ちないことを心から願う。


 谷間を照らし出した閃光は、また旅人の手へと戻っていくかのように、急速にしぼんで消えてゆく。消えると同時に石橋へ駆け込んだ旅人は、前の二人を追って、さらに駆けた。

 低いところで不安定に揺れていた明かりが掲げられ、こちらを見やる王女と従者の顔が照らし出される。それでもしばらく旅人は走ることをやめないで、二人を先へとうながした。

 そうして旅人は谷底へ落ちずに済んだものが追って来ないか、時に振り返り目配りしていたが、爆音に四つの耳をやられたか、足場にかじりつき生き残った化けネズミは一匹も付いて来なかった。

 坑道を駆ける旅人の後ろを追うものは、たなびく古布にとめられた、蓄光花の薄明かりだけである。



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